第十項 一件落着
開発員の目が、再びメリトリスを捉える。
彼女は伏し目がちに視線を逸らし、スカートを指先でちょこんと摘んでいた。
せっかく勇気を出して現実に戻ってきたというのに、出端を砕かれたような気分だった。開発員はどうしたものかと、後頭部に手をやる。
メリトリスの思考はわからない。
わからないが、装備を作り、それを着させてしまった事実に変わりはない。結局のところ、彼女がそれを受け入れるのか、受け入れないのか。そこだけは、きちんと言葉で聞く必要がある。金を受け取っている以上、彼女の望む形で物を作る絶対さは変わらないのだ。
ただ、どうやって。
やってしまったことは取り消せない。既に満足ならない代物を作り上げてしまった。失った信頼を取り戻すのは、そう容易ではないだろう。
そうして悩むこと数秒、開発員の頭に、一旦キャスバルへ話を振って間を稼ぐという選択肢が芽生えた。
「なぁキャスバル。わたしがいるって、どういう意味だ」
腕組みをしてメリトリスを睨んでいたキャスバルが、ゆっくり開発員の方へ首を回した。
彼女は表情を一切変えず、ただ淡々と口元を開ける。
「わたしがいることを忘れていただろ。二人だけで盛り上がるなど、そんなことは許さん」
「……そうかい」
開発員は思わず、キャスバルの頭に手を置いた。しかし、当然撫でることは叶わない。
その手はあっけなく払われてしまった。
けれど、その一言で、開発員の胸の奥にあった強張りは少しだけほどけた。
「メリトリス」
開発員は、ただ名前を短く呼んだ。声は低い。
メリトリスは肩をぴくりと跳ねさせ、ゆっくりと開発員の顔へ目線を動かす。
「装備は一生ものだ。馴染んだものを、どれだけ使いこなせるか。そこが大事になる。だから、忖度なく答えてほしい。無理して使い続けても、良いことなんて起きないからな」
一度言葉が出てしまえば、あとは止まらなかった。
「なに、時間はかからないようにする。作り直すなら、二日で新しいのを仕立ててやるから」
開発員は一気呵成に言い切った。
つい先ほどまで、メリトリスにどう言葉をかけようか悩んで停止していたとは思えないほどの饒舌だった。金はある。時間もある。開発員自身に問題はなにもない。
そして、またしてもキャスバルの頭に手を置いた。
自分を前に進めたきっかけは、ここにいるキャスバルだ。
「ん」
キャスバルはゆっくりと腕を持ち上げ、胸の前で交差させた。
メリトリスに対して僅かに口角を上げると、今度は甘んじて開発員の手を受け入れる。
茶の髪が、開発員の手によって少し乱された。
ただ、キャスバルは得意げだった。
「……はぁ」
その目に当てられたメリトリスは、ため息を選択した。
彼女はゆっくりと二歩前に出て、開発員の前に立つ。
そして、目を逸らさずに言った。
「わたくしは、開発員様を否定致します」
開発員は、覚悟をしていた。
それでも、面と向かって言われると、正直くるものがある。
胸の奥に、古い痛みが少しだけ触れた。
またか、と。
また、そうなのか、と。
しかし、正直に自分の思いを口にした人間を、彼は否定するつもりはなかった。むしろ、感謝すべきだと思った。
だから、キャスバルがメリトリスに向かって伸ばしかけた左腕を、開発員はキャスバルの頭から手を離して制した。代わりに、その右腕を掴んで封じる。
「だってそうです。これは、とんでもないことです。なんで、なんで今更……」
「メリ……トリス?」
「今更もったいぶるなんて、断じて許しません!」
メリトリスの声が、工房の中で震えた。
礼儀正しく、整った所作を崩さないはずの彼女が、今は肩で息をしている。
「これほどのものを作り出す力があるのなら、世のため人のためにもっと貢献するべきです! なのに、なんで……なんでこんなところで、あなたはっ!」
メリトリスの両腕は、開発員の胸ぐらに届こうとしていた。
だが、それはキャスバルの腕によって押さえつけられる。
開発員がキャスバルを制し、メリトリスをキャスバルが止める。
奇妙な形で、三人の力が噛み合っていた。
「メリトリス。だからお前をここへ連れてきた」
キャスバルは短く言うと、メリトリスの腕をスカートの膨らみの上へ戻していく。
メリトリスは、スカートを覆うフリルを握った。
まだ、彼女はこれを着て戦ったわけではない。
しかし、戦いを経ずともなお、メリトリスはメイド戦装束をこれほどのものと表現した。
それほどまでに、装備と人間の一体という概念は斬新であり、そして理に適っている。
恐ろしいほどに。
「……敵国は、一旦の停戦を見せました」
メリトリスは、握りしめたフリルから視線を離さずに言った。
「ですが、まだ本当の戦いが終わっているとも思いません」
「そうだな」
キャスバルは、当然のように頷いた。
「だからこの、魔力と装備の融合。それはこの先の未来、絶対必要に――」
「おい待て」
一旦の停戦。
敵国が。
さらりと放たれたメリトリスの爆弾発言に、開発員は思わずキャスバルの腕を掴んだ。
キャスバルは、騒々しいなと言わんばかりに睨みを利かせてくる。
開発員は今度は肩を掴み、詰め寄った。
「おい、なんだよ停戦って。そんなの、聞いてねーぞ俺は」
「まだ正式に発表されたわけではない」
「……フロントの天使様、話をされていなかったのですね」
メリトリスは瞳が見えるほど目を見開き、呆れを見せた。
その後で、細かく瞬きをし、口を結ぶ。
キャスバルはその顔に苛立ったのか、肩を掴む開発員の指を力任せに剥がす。
「言おうとした。だが、こいつがここに泊めるのを認めなかった。だからこいつが悪い」
「なるほどな。一月もしないうちに、外じゃそんな話まで動いてたってわけか……って、おい。俺のせいは違ぇだろ」
「お前が泊めてくれたら話すつもりだった。つまり、その機会を奪ったお前が悪い」
「……はいはい」
キャスバルは腐ってもキャスバルだった。
大事な話があるから泊めろ、と言ってくれていれば、少しは変わっていたかもしれないのに。全くもって傲慢。
なのに、ただただイライラさせないところがこの女のすごいところでもある。とはいえ、軍が正式発表していないものを、軍属でもない者が聞かせろ教えろというのも筋が違う。
開発員は、これは自分の出る幕ではないと割り切った。
そして、メリトリスがいつまでもメイド戦装束を着ていることに話をすり替えることにした。
「で、お前はいつまでそれを着てるつもりだ」
「え? あ、はい。そうですね……脱ぎます」
脱ぐ、という宣言をメリトリスがしたことで、キャスバルも行動を起こした。
彼女はメリトリスに近づくと、しゃがみ込んでスカートのフリルを摘む。
「綺麗なことはいいことだ。だが、これが隙だらけになれば本末転倒だな」
「それは……そうですね」
「メリトリス。回れ」
キャスバルはそういうと、スカートの裾から手を離す。またしても開発員の右隣へ移動し、腕組みをしなおした。開発員もキャスバルの言わんとすることがわかったため、黙って見守る。
「では」
くるり、と。
メリトリスは、体幹がぴくりとも乱れない、綺麗な回転を披露した。
長いスカートが動きに合わせて翻り、その裾が開発員の腰付近を掠めていく。ふわりと持ち上がった布が、油と鉄の匂いに沈んだ工房の空気を、ほんの一瞬だけ攪拌した。
「近接戦闘において、これを掴まれたら終わりだ。開発員、だからこその魔力か」
「そうだ。メリトリスは新兵だろ。特段、他の兵士となんら変わらない強さと仮定すると、この干渉力の幅は大きな不利益にしかならない」
「……」
「……」
布の翻りは、確かに敵の視界を狭め、足捌きや腕の振りを視覚的に隠す効力がある。
ただ、その布自体を掴まれて優位を崩される、ということも考慮しなければならない。
そう説明した開発員だったが、なぜか二人の視線は冷たく彼を射抜いていた。
「なんだよ」
「メリトリスが、普通の新兵とでも思っているのか」
「あ? 違ぇのかよ」
「ただのメイドが新兵になる。それが普通の新兵の軌跡だと?」
「それくらいあるだろ。色々」
「貴様は馬鹿だな」
「なんだとてめー」
開発員はキャスバルの後頭部に優しく拳を落とすと、それを回した。
「ぐりぐりするな」
だが、その手はあっけなくキャスバルによって止められる。
首をわずかに倒し、笑顔を作ってその様子を観察するメリトリス。
開発員もなんだか恥ずかしくなって、その手を自身の腰横へ戻した。
「まあいい。メリトリスが何者であれ、大事なのは魔力の話だ」
開発員はメリトリスの目の前まで歩いていき、先ほどキャスバルがしていたようにしゃがみ込んで、スカートの裾を握ろうとした。
しかし、シャツの襟首付近にこそばゆさを覚えた直後、とんでもない力で後ろへ引っ張られた。
その勢いのまま尻餅をつき、体が完全に横へ倒れる。
見上げると、仁王立ちするキャスバルが、こちらを睨み下ろしていた。
「乙女の服だ。はしたない」
あまりにもな奇襲で、開発員は目をぱちくりさせるだけだった。
自分自身で作り上げたものなのに、触ることすら叶わないのか。
「説明したいんだよ」
「言葉だけでいい」
話にならない。
仕方なく、開発員は上体だけを起こし、座ったまま解説することにした。
スカートを視界いっぱいに見ながら、触れないよう、指差しだけで。
「スカートの中にある鉄板は、お前の魔力を覚えていると言ったな。つまり、メリトリスの裁量次第で自由自在に扱える。ということは、だ」
「翻り方も、自由」
「そうだ」
メリトリスはスカートをカーテシーのようにたくし上げた。
そして、その手をぱっと離し、瞬時に横へ回る。
翻ったスカートが、開発員の顔面を叩いた。
「げふっ」
大袈裟に倒れ込んだ開発員自身は気づいていなかったが、確かに翻ったスカートが彼に当たる直前、布は歪な形で揺れ動いていた。
メリトリスはその事実に感動し、何度も何度もくるくる回る。
右へ翻したと思えば、左で止めてみたり。
裾だけを跳ね上げ、膝丈で固定する。
そして、何事もなかったように自然な落ち方へ戻す。
「こんなことも、できるのですね」
跳ねるように上擦った声と共に披露されたのは、翻った途中の形でスカートが固定された光景だった。
宙に不自然な形で歪むスカートの姿。
本来なら重力に従って落ちるはずの布が、メリトリスの意思に従い、空中で形を保っている。その縁のフリルまでが、途中の揺れをそのまま凍らせたように、ぴたりと静止していた。
それを見ながら、随分と楽しそうに遊ぶメリトリスの様子に、開発員とキャスバルは顔を合わせて微笑んだ。
「とまあ、そんなもんだ。どうだ、気に入ったか?」
「はい。とても良いものでございます」
剣呑な雰囲気を経由したとは思えない、ここ一番の笑顔を作るメリトリス。
開発員も思わず、口から息を吐き出した。
「はは、それはよかった。……で、どうする? 持ち運びの箱はあるが」
「いえ、あとで使いのものに取りに来させます」
「そうか。なら、その使いとやらに収納の仕方については教えておく。あとは……手入れのことだな。雑学になるから、一旦それ脱げ」
メリトリスは頷く。
開発員はキャスバルに目配せし、彼女が頷いたのを見て、足取り軽く居住域へと歩いていった。
結局は、なんだかんだあったが受け入れられた。その事実は、開発員の足を跳ねさせるには十分すぎるものだ。
いや、足だけではない。彼は誰にも見られていないことをいいことに、歪んだ笑みすら浮かべる。
敵国が、一月以内に一旦の停戦を見せたという事実やらそもそも、メリトリスとは何者なのか。
気になることはある。
だが、それでも。
期待が胸を渦巻くのを止められる気がしない。
彼はついに、鼻歌までも漏らすのであった。




