第五項 六日は中途半端だよな
開発員はしばらく、言葉を発せなかった。
無言でメリトリスに椅子へ座るよう促しもしたが、彼女はその椅子を見下ろし、真顔で数秒見つめたあと、立ったままでいいという意思を見せた。
そして、数分。
開発員は考えをまとめた。
しばらく床を見ていた視線を、メリトリスへと向けて上げる。
メリトリスの身長はとても高いため、座りながら見上げるとなると、首の負荷を自覚できる。
「まず、確認させてくれ。この依頼を断ることができるのか。または、受けるとして金を受け取った場合、俺は傲慢卿お抱えになるのかを」
開発員は思考に飲まれてしまったが、その全ては、自分の将来が貴族と関わることでどうなるか、およそ悪い未来しか思い描けなかったためだ。
ただ、自分一人で思考したところで、その答えには辿り着けない。
逃げ道はないと結論づけているが、巻き込まれた時点でこのままではいられない。それに結局は、誰かから答えを聞かなければならないのだ。
貴族の期待を背負っていることもあって、メリトリスも黙って帰ることはしないはず。
だったらせめて、自分の言葉で確認する。
それが、開発員の一旦の答えだった。
「断ることは、不可能かと。脅すわけではありませんが、一旦私を追い返したとしても、傲慢卿があなたに興味を持っていることは事実ですので」
何が脅しじゃない、だ。
開発員は言葉にしないかわりに、左目を細めて不満を露わにした。
「それと、今回の件を受け入れたとしても、傲慢卿はあなた様を庇護下に入れることはできません。決して」
「……根拠は」
「フロントの天使様を怒らせてしまうからです」
開発員は人差し指を立てて、自身の頬を数回撫でた。
指についた僅かな煤が、当てられた頬を黒く汚す。
「あの小娘が貴族以上の力を持っていると?」
「……失礼を承知でお聞きいたしますが、開発員様はどれほどフロントの天使様について、ご理解されていますか?」
「さあな。失礼で、傲慢で、やたら強いらしい。それくらいか」
「そうですか」
メリトリスは目を瞑ると、空気を吐き出すように小さな声で、そう言った。
そして、またしても小荷物の中に手を入れ、四つ折りに畳まれた厚紙を、開発員へと差し出した。
開発員はそれを受け取る。ただ、開発員は中身をすぐには確認しなかった。
「キャスバルは龍鱗装甲をうまく使いこなしているようだな」
寄せ合わせで作った急造装備だが、使う者が使えば、それすらも輝く。
落ち込んでいた心が、それを言葉にすることで、少し持ち直した気がする。
「あ、いえ……その」
しかし、メリトリスは開発員から目線を外すと、次はどこを見ようかと、あからさまに視線を彷徨わせた。
開発員は、嫌な予感を覚えた。
「なんだ。まさかあいつ、龍鱗装甲を壊したのか」
作り上げてまだ二十日ばかり。突貫で完成させた代物とはいえ、使い物にならなくするには、まだ早い。
開発員はやれやれと頭を掻いた。
「この金があれば、また作ってやれる。遠慮せず、また来るように言っておいてくれ」
「え、ええ。そ、そうですね。そうさせていただきます」
メリトリスは手を口の前に持っていき、ひとつ咳払いをした。
まるでこれまでの流れを無理やり切り取るような、必要のなさそうな咳。
開発員としても、このメイドが明らかに何かを隠しているのは気づいていた。
メイドというのは主人に仕えるその性質上、隠し事が得意とは言い難い。
開発員としてもここまで露骨に話を逸らされては気になるところではある。が、それはキャスバル本人に聞けば事足りると思考を切る。
なので、開発員は空気を変えようとするメリトリスの軌道に乗ることにした。そして、先ほど渡されていた紙を、わざとらしく広げる。
「……なんだこれは」
「ご覧の通りでございます。わたくしの希望する装備の形。それを嘘偽りなく書き記したものです」
「ただの、メイド服だが?」
「はい。主人へ仕えるメイドとしての誇りを、そのまま戦場でも咲かせたいのでございます」
「なるほど」
開発員は静かに、紙を折り目通りに畳み直した。
そして、散らかった台の中から適当な用紙と、その辺に転がっているペンを探し当てると、メリトリスと開発員の間の台を強引に空っぽにし、そこにそれらを置いた。
「そもそも、なんでメイドなんぞが戦場に出る。理由は」
手持ち無沙汰を感じたのか、一旦置いたペンを再び手に取ると、それを器用にくるくると回す。
メリトリスは回るペンに目線を吸い寄せられながらも、開発員の疑問はさも当然とばかりに、顔を僅かに上へ跳ねさせた。
「ああ、確かにごもっともな疑問でございますね。わたくしは二年という期限のみ、軍に所属することとなりました。理由は、主人を守るに恥じない武芸を鍛えるため」
「そんな理由で、たかがメイドを軍に引き入れるのか。軍も適当なんだな」
「ふふ、そうでございますね」
「……まあ、いい。事情は分かった。本題に戻るぞ」
開発員は回すペンを止め、その先でトントンと、メイド服の主役たるスカート部分をつついた。
重厚なフリルと、足首まである長さのスカート。開発員はこれを見て、この形状は戦闘服としてはありえないほどの危険に満ちていると直感した。
「装備にする以上、ある程度の頑丈さは必要だ。でなければ、わざわざこんなところに依頼しには来ないだろうからな」
「おっしゃる通りでございます」
ただの布でいいなら、そのまま普段使いのメイド服か、新調したもので戦場へ飛び出せばいい。ただ、メリトリスはここに来た。
ただの布の塊であるメイド服ではない。装備としてのメイド服を希望している。
「メイド服は見栄えだけか」
「いえ、失礼ながら形だけでは満足できません。そこだけは譲れない点でございます」
「装備でありながら布を主張する構造、ということか」
「その認識でございます」
男は頭を掻いた。
言いたいことはある。戦場で翻るスカートなど、被弾面積の増加や動きの鈍化、布を掴まれて不利になることも懸念される。
ただ、男はあくまでも開発員だ。
装備を希望する者の望む通りに作ってやる。
出来上がった装備にけちをつけるのは軍に任せて、とりあえずは形にすることを主軸に、気になることは振り切った。
とはいえ。
「だからといって、着用者の安全性をまるで考慮しないものづくりはひどく味気ない。つまり、なるほど。揺れを阻害しない、自由に動くスカートと、その中を覆う鉄板のスカート。防御と自由の両立か。多少重くはなるが、この金があれば自律駆動も織り交ぜられる。そうか、悪くない」
独り言だった。
メリトリスは、紙を凝視しながら顎に手を置いたり、頭を掻いたりする開発員を邪魔せず、ただ見下ろしていた。
「内部の鉄板も段差式にするか。前に一つ、左右に一つ、そして後ろは二つ。いや、もっと頭を柔らかくしよう。とにかく、そいつを布で覆えば、布の翻りと防護の観点で妥協できると見ていい。例えば、鉄板スカートの裾に推進機構を織り交ぜたらどうか。微動だにしない鉄板か、ある程度布の動きにも反応して駆動する鉄板か。守りという点では前者だが、後者の方が美しさもあって、優雅だ。さて」
開発員は瞬きも忘れて、ただ自分の世界に入っていた。
ペンの先が紙の上を滑る乾いた音だけが、静まった工房に、途切れ途切れに響いている。
メリトリスはただ、開発員が落ち着くまで、その時を待ち続けた。
そして、十分ばかり。
台の上に置かれた紙が、開発員の落書きによって、すっかり黒く染まる頃。
やっと自分の世界に入っていた開発員が、我に返った。
「……これは珍しいことをした。人がいる前では、こうならないことを心掛けていたんだが」
「構いません。とても、良いものが見られました」
「勘弁してくれ」
男はパイプ椅子に自身の背中を預けると、ぐいっと伸びをした。
軋んだ金属が、細く悲鳴を上げる。
「金はいつここに来る」
「ご了承くださるなら、すぐにでも。使いの者が外におりますので」
「マジかよ」
「ただ今!」
突如、メリトリスが声を張り上げる。
柔らかな表情ばかりであったメリトリスからは似つかわしくない大声に、開発員の肩も思わず跳ねる。
そして、まもなく工房入口の扉がゆっくりと開かれると同時に、入ってきたのは二人の男性だった。
双方細身で、整髪料で固めたらしい白髪を後ろへと流し、いかにも仕立ての良い男性用の給仕服を着込んでいる。
一人は扉を開放することだけが仕事なのか、そこから動かず、工房内へ入ってきたのは、腹の前で何かを持つ男性だった。
両の手で捧げ持たれたそれは、重厚そうな造りをした箱。
四隅が銀に煌めく鉄板で補強され、四面は赤銅色で装飾された編み模様があしらわれている。
彼は無言のまま受付台まで歩いてくると、台の上へと、その箱を置いた。
鈍い音が工房内へ響き、あまりの重さに、台の端にかろうじて残っていた鉄屑や紙が、振動に負けて床へと落下した。
そして、落ちた物には目もくれず、男性は開け口を開発員側に向けたまま、固く閉じられた留め金を外した。
開けはしない。どうやら、開けるのは開発員自身らしい。
男性は一礼をすると、頭をこちらに向けたまま後ろ歩きで、工房の外へと立ち去っていった。
そして、扉で待機していた男性が工房を閉じたとき、メリトリスが口を開く。
「お約束の金貨二十枚でございます」
「……すげぇ、マジで純金だ」
「ふふ、生で見るのは初めてですか?」
開発員は男性が去るなり、二、三度手首を振って、パイプ椅子から身を投げ出した。
その手は一直線に箱めがけて伸びていき、躊躇なく、その蓋を開いた。
すぐ目に入るのは、金。
工房には似つかわしくない、純度の高い眩しさが、開発員の目を焼く。
彼は僅かに手を震わせ、輝きの中へ手を入れると、一つの金貨を取り出した。
「見たことなら、ある。ただ、この手に持つのは初めてだ」
銀の何倍もの重み。銅と比べれば、何十倍か。
開発員は手のひらを広げると、その上に金貨を置き直す。
指の腹に、ひやりと硬い縁が触れた。
この一枚。
たったこの一枚が、人生を大きく変える。
「お気に召したようで何よりです。……さて、ご依頼の件ですが」
「ああ、分かってる」
開発員は左手へ右手へと金貨を転がして遊ぶと、つまみ直して、箱の中へと戻した。
「ひとまずは大まかに形にする。そのあと、要望をさらに詰める。それでいいか?」
「そう、ですね。それがよいかと思います。期限ですが……三週間ほど見ればよろしいでしょうか」
「いや、六日でいい。幸い、この頭の中にあるもの――設計は、この王都で調達可能だ。貴族案件なら、なおさら」
「む、六日? 一からの装備作りを、六日……」
メリトリスは顎に人差し指をちょこんと当てて俯くと、どこか一点を凝視したまま、停止してしまった。
何かを見ているのか、見ていないのか。
開発員はその様子を見て、キリが悪い数字に不満なのだろうなと結論づけた。
「なら、七日にするか。たしかに六日は中途半端だしな」
「いや。……そ、そうですね」
メリトリスは目を見開いて、言葉を放ち終わったあとで、開発員の目へと、ゆっくり視線を滑らせた。
開発員は肩を竦めてみせる。
メリトリスは、ぎこちなく口角を上げた。
「で、では、また七日後に。同じ時間でよろしいでしょうか」
「ああ、そうしてくれ」
「失礼いたしました」
メリトリスはお辞儀をすると、床に気を遣いながら、工房扉へと歩いていった。
そして、静寂。
「さて、と」
開発員はぽつりとこぼすと、台に両の手を預けて、立ち上がった。
やるべきことは多い。
具体的な設計、必要な素材の割り出し、運び入れの手配、そして、開発。
男は頬を右手で強く叩き気合を入れて、工房の奥へと歩いていった。




