第二項 龍麟装甲
キャスバルが来訪してから三日後の夕方。前回とまるで同じ時間に、彼女は再び姿を現した。
男はこの三日間、一日平均2時間の睡眠という突貫で、作業に集中していた。
一日目は、まず知り合いが営む隣の工房へ転がり込み、無理を通して素材を分けてもらった。そして自身の工房へ戻ると、すかさず不要な金属をすべて溶かして延ばし、その夜中のうちに延べ棒をひとつひとつ作り上げた。
二日目は腰回りの花弁を一つ一つ形にしていき、それが終わると、それ以外の部位も順に作っていく。それが終われば、次は胴や腕の鎧をいよいよ完成させていった。
三日目は組み立て。キャスバルが来る、わずか1時間前に、作業は完成したばかりであった。
「こっちだ、こい」
男は受付の木板を持ち上げ、キャスバルを工房の奥へと連れていく。三日前、キャスバルが来た際に箒で寄せ集め、山になっていた部品――その場所には、いま、まったく別のものが据えられていた。
龍鱗装甲。
銀に煌めく鎧が、雄大に工房の光を受けて反射していた。薄暗い作業場の奥で、そこだけが揺るぎない輝きを湛えている。
「……これは」
キャスバルは一歩、二歩と、ゆっくり龍鱗装甲へ足を運ばせていく。足元に散る金属片を踏む音さえ、いまは耳に届いていないようだった。視線は装甲へ吸い寄せられ、瞬きすら惜しむように見開かれている。
「これが最大限だ。これ以上は、不可能だ」
男は、キャスバルの横顔に向けて言葉をかけた。そして、男の声が届いているのかいないのか、ただ装甲を眺め見るその横顔に構わず、男は説明をつづけた。
キャスバルが持ってきた紙面の花弁式装甲と比べて、花弁の長さと枚数は抑えられている。希望の長さは膝下で、質量がありながらすとんと落ちる絵面であったが、実物は膝上までと短く、そのかわりに横へ広がるようにして、不足しがちな存在感を補正していた。
花弁の枚数は5枚。その花弁の内側から、さらに小さな花弁を覗かせることで、質量のなさも補っている。
男は花弁の縁を指先でなぞりながら、言葉をつづけた。
「全ての花弁の縁には獣皮……獣の皮を固めた弾力のある素材のことな。それで覆って、お互いを傷つけないようにしてある。裏地にはシルクを縫い付けて履き心地を改善した。蹴り上げたりしたらチラリと見えて、綺麗かもな」
「なんだ。シルクなど、持っていたのか」
そこではじめて、キャスバルの顔が男へと向いた。
貧乏人が、シルクなんぞ持っていたのか。
そう聞こえる物言いだったが、男は特に不機嫌を示さなかった。
言葉では返さず、顎をくいくいと上げ下げして、鎧の先を示す。
キャスバルの視線も、つられてそちらへ移った。
「あ」
キャスバルの短い声が落ちた。
煤に汚れた窓は、頼りなく夕陽を透かしている。
どの家にもあるはずの、窓の両脇の白い布が――見当たらない。
この工房にも当然あったはずで、それが、ない。そして男が、そこを示す。なら、答えは一つだった。
「高かった。むかし、若気の見栄で買ったやつだ。品質は保証する」
キャスバルは眉をへの字に曲げ、なにかおかしなものでも見るかのような顔をつくった。恐らく、キャスバルがこれまでで1番、顔を崩した瞬間だった。
「なんだよ」
男は、たまらず言葉にした。出会って間もないながらもあまり感情を面に出さないキャスバルが、ここまで顔を崩す。その事実は、彼女が自分を何か悪い感情で見ているのではないか、と男にたやすく分析させた。
「……変人だな」
キャスバルは男の顔を見ながら、失礼を口にした。唇が僅かに開き、いかにも呆れたという心情を、そのまま表情に浮かべている。
「お前がいうのか、それ」
どの口が言うのか。男は反論しながらも花弁を一つつまむと、それを持ち上げて、シルクが視界に入るようにした。
花弁を一つ持ち上げても、他の花弁はその動作に巻き込まれない。しっかりと、一枚一枚が独立している。そして、男がぱっと手を離す。自由になった花弁は、ゆるやかに、驚くほどの静けさで元の形へと戻っていった。鉄と鉄が、喧嘩をしない。
男は次に、大袈裟な手つきで花弁をめくり上げた。元はカーテンだったシルクごと、その内部構造が顕になる。
腰の周りには鉄の管が一周し、そこにバネが仕込まれているのがわかる。そのバネは花弁と結合されていて、花弁の動きが自然に任せたものではなく、動力の干渉を受けていることを示していた。
「とにかく、この腰回りの花弁一つ一つは微妙な力の付加にも対応できるよう、動力のつながりを意識している。だから、お前が使いこなしさえすれば意図的に花弁の一つを持ち上げて攻撃を受け流せる、なんて芸当もできるわけだな。兵になるくらいだ、魔力持ちだろ?」
キャスバルはいつのまにか真顔に戻ると、男の言葉を受けるなり、頷いて示した。この世界は男よりも女の方が魔力量に優れ、兵の割合も、それに比例して女性の方が多い。
自身の魔力と装備の駆動をつなげて自在に扱うというのは、熟練兵にとってはよく聞く話で、珍しいことではない。ただ、新兵にそれができるかと言われれば、難しい。魔力を繰りすぎても暴走するし、少なければ思うように動かない。なんてことはない、経験がものを言う世界というだけの話だ。いくら天才と持て囃された者でさえ、装備との調和には数年単位の時を要するとも言われている。
もっとも、その期間を帳消しにする技術は、あるにはあるのだが、それには膨大な金がかかる。意味はない。
男は、頭を振った。
「着てみろ」
キャスバルは、迷わなかった。装備の目前へと歩み寄ると、彼女は両腕を左右へ広げる。
着させろ。言葉にはせずとも、その意思ははっきりと流れてきた。
男は、その光景に不思議な気持ちは起きなかった。当然と言えば当然、なぜなら、装備の着脱には基本の流れ、というものがある。この装備を作ったのが男である以上、その男が示す着用方法こそが正解だ。
キャスバルは、礼儀知らずではあるが、その辺のわきまえは持っているらしい。真意はわからないが、そう思うことにしておく。
「まずは足から。つぎに胸板。ついで両腕、最後に花弁だ」
男の指示に従いながら、キャスバルは一つ一つを丁寧に着込んでいく。金具の噛み合う小さな音が、薄暗い工房に、順を追って重なっていった。
「軽いな、意外と」
「……いや、軽くはないぞ。普通に重い」
「そうか?まぁ、いい」
見た目こそかわいいが、正真正銘、鉄の塊だ。普通に考えて、軽いわけがない。実のところ、男は内心、重すぎるのではないかと不安に思っていたのが事実だった。だが、軽いと言われた。
軍人なら、これが軽いというのが当たり前なのだろうか。
男は軍人ではないので、その辺の常識はよくわからなかった。少なくとも、兵士が好む一般的な甲冑式よりも重いことは、確かだ。
「……どうだ」
「すげー、似合ってるな」
そして、花弁を腰に巻いたところで、その全貌が完成した。胸板は厚く、腰のくびれにつれて細くなり、そして銀の花弁が、一気に花開く。
キャスバル自身の美貌も相まって、男は思わず口数が少なくなってしまった。
しかし、キャスバルは構わず続けた。
「これなら、証明できる」
キャスバルはくるりと一回転すると、花弁の一つを指で弾く。
鉄と鉄の衝突する甲高い音は、響かなかった。
「よくできてる」
黙り続ける男を、キャスバルは花弁から視線を外し、その顔へと向けた。
「またくる。お礼をしにな」
キャスバルは、その鎧を着込んだまま、工房の入り口へと足を進めていった。
余韻も何もない、用が済んだから立ち去る。
キャスバルらしいといえば、キャスバルらしい。
ついに彼女は台の木板を外し、工房受付の外へと出ていく。
男はようやく、そこで自分を取り戻した。
「……腰回りの駆動部分には、油を刺せよ。それから、獣皮は濡れ布で撫でるだけでいい。いいな?」
キャスバルは立ち止まる。
そして、男の方へと振り返った。
「世話になった、開発員」
開発員。
開発員、か。
男がその言葉を噛み締めているあいだに、キャスバルはいよいよ工房の扉を開け、外の暗がりへと姿を消していった。
そして、8日後。
軍からの修理品を回収しに来た若造に、彼は依頼された数々の品番を報告しながら、一つ一つを丁寧に手渡していた。
「これで最後か。まったく、今回は随分数が多かったな。運ぶのも一苦労だろう」
「ええ、そうなんですよ。とはいっても、次からはきっと暇になりますよ」
「なに、どういうことだ」
「とんでもねぇ新人が現れたんですよ。聞いたことないですか?フロントの天使って」
「天使だぁ?」
男は、若造の尻を蹴り上げた。
「戦場に天使もクソもあるか。さっさと行け。ほら、いけいけ」
「もう、なんなんすか、本当に……あっ」
蹴られた尻をさすりながら、荷台を転がし始めた若造は、何かを思い出したように立ち止まった。
そして、軍服のズボンから丸まった何かを取り出すと、それを男へ手渡す。
「これ、見てください。フロントの天使の記事です」
手渡されたのは、複数の紙を無造作に丸めたものだった。
受け取るか、こんなもの。軍の新進気鋭になど、まるで興味がない。
男は、それを無言で若造へ突き返す。
「勘弁してくださいよ。記事読むくらい、受け入れてください。いい歳なんだから」
男はまたしても、若造の尻に蹴りを入れた。
若造は悲鳴を上げながら、結局その紙束を受け取らずに荷台を押して慌ただしく去っていく。
「なにが、フロントの天使だ。こちとら、商売あがったりだ」
工房の中へと入りながら、男は悪態をついて、その紙を放り投げた。
一瞥もしなければ、拾い上げもしない。
若造に図星をつかれ、フロントの天使なるものが暴れているせいで、修理ものも減る。そうすれば、売り上げも当然、減る。
そもそも、なぜあの若造は、こんなものを持ち歩いていたんだ。
心に募る不満を払うように、男は台を蹴りつけた。無造作に投げ捨てた紙束が、床の上で崩れ落ちる。
人の視線はというのは、動くものに吸い寄せられる。
当然、若造から押し付けられた、その紙束も例外ではない。
「あ?」
その表紙には、見たことのある顔が大きくのっていた。
「……キャスバル」
フロントの天使、キャスバル。領土拡大に大きく貢献。
キャスバルの顔と共に、見出しには、そんな文言が並んでいた。




