第一項 静水に石
華やかで活気あふれる王都の中心部から、早足で歩き続けてもゆうにニ時間はかかる辺境の地。高い城壁の際にへばりつくようにして存在するその工業区画は、常に重油の匂いと薄汚れた灰色の空気に沈んでいた。
その一画に、煤けた外壁の小さな工房を構える一人の男がいた。国から発注される軍事物資の検品や修理といった下請け仕事で、彼は細々と日銭を稼ぎ、生計を立てている。
齢三十五を迎える彼は未婚であった。その理由は明白で、彼は誰も見たことがないような独自の装備を開発・設計し、作り上げては壊すという行為に憑りつかれた奇人だと評判だったからだ。
完成した作品に満足すると、容赦なく解体してしまう。余分な部品を買う余裕などない貧乏工房にとって、一度組み上げたものをバラして、再び一から作り直す方が圧倒的に費用が浮くという現実的な理由もあった。
夕暮れ時。煤で黒ずんだ窓の隙間から、他所の煙突が吐き出した煙が遠慮なく流れ込んでくる薄暗い室内に、不釣り合いなほど重く、鈍い音が響き渡った。
工房の立て付けの悪い扉が開かれた音だ。
自称・開発員の男は、軍靴屋の世話焼き婆さんがまた余った夕飯でも差し入れに来たのだろうかと思い、手慰みに弄っていた制作途中の金属製の知恵の輪を放り投げ、何の気なしに入り口へ視線を向けた。
「あ?」
そこに立っていたのは、見知らぬ若い女だった。
射抜くような鋭い双眸が、工房の暗がりの中で微かな光を放っている。生地の薄そうな黒いインナーシャツの上に、無数のポケットが縫い付けられた機能的なジャケットを羽織っていた。下半身には裾がゆったりとしたズボンを穿いており、いかにも動きやすさを重視した出で立ちである。
男の目を引いたのは、彼女が肩口に紐で縛って括り付けている「白い何か」だった。その場違いな白い塊が、男の違和感を強く煽り、視線を奪う。
女は真っ直ぐに背筋を伸ばし、控えめな胸を張って、開け放たれた扉の前に彫像のように立ち尽くしていた。
「なんだ、迷子か」
男は呆れたように言い捨てると、自分が食べるつもりもなく放置し、すっかり埃を被っていた袋入りのお菓子を無造作に女へと投げ渡した。
女は飛んできたそれを、瞬き一つせずに片手でしっかりと受け止める。
「面倒は見れねーぞ。それ食って中心に行け」
男は女が菓子を受け取ったのを見届けると、興味を失ったように再び腰を曲げ、床に転がった知恵の輪の組み立て作業へと戻った。
「依頼がしたい」
開いたままの扉の向こうから、女の凛とした声が響いた。
男は己の耳を疑い、一旦作業の手を止めたが、気のせいだろうとすぐにまた手を動かし始める。
「依頼がしたい」
先ほどと寸分違わぬ声量で、同じ言葉が繰り返された。
どうやら聞き間違いではなかったらしい。
男は苛立たしげに知恵の輪を再び投げ捨てると、乱雑な工房の受付台から這い出て、女の目の前まで歩み寄った。そして有無を言わさず女の肩を強引に掴み、工房の奥へと乱暴に押しやると、重い扉を閉めた。
「外の汚ねぇ空気が入り込むんだよ」
男は己の乱暴な振る舞いに対する言い訳を、短く吐き捨てた。
しかし女は表情一つ崩すことなく、不自然なほどの無反応で男の顔を真っ直ぐに凝視し続けている。
何の感情も読み取れないその眼差しに、男は気まずさを誤魔化すように頭をボリボリと掻きむしった。男は逃げるように受付台の裏側へと戻り、古びたパイプ椅子をギシギシと軋ませながらどっかと座り込んだ。
男の行動を追うように、女もまた受付台の前へと無音で歩を進める。
書類や金属の破片、得体の知れない部品の数々が隙間なく散乱している台の上を、女は静かな瞳でしばらく観察していた。端から端までじっくりと視線を滑らせた後、彼女は肩口に挟み込んでいた例の「白い何か」を取り外し、無言のまま男へと差し出した。
男もまた無言でそれを受け取る。
丸められていたそれは、束になった紙面だった。
そこに描かれていたのは、荒々しく雑な筆致だった。確かに図面の線は荒い。まっすぐではない。迷いながら引かれた線と、強く押しつけられた線が入り混じっている。それでも、その道の人にはわかる。これは、素人が描いたにしては不自然に整っている。前面・側面・背面の三方向から立体的に描き起こされた三面図。図面が示しているのは、鉄のスカートを特徴とした、極めて特異な全身用装備の設計図である。
目を引くのは、腰回りを覆うように設計された、花弁のように重なり合う鉄の板だ。金属のプリーツのように何枚も連なる歪曲した装甲板が、歩行時の脚の動きを阻害しないよう、かつ互いが擦れ合いながら美しい波を打つように緻密に配置されている。
銀に煌めくであろうその優美な曲面装甲の脇には、余白に乱暴な字で「花弁式」と補足が書き込まれていた。
「花弁か。綺麗だな」
図面に描かれた機構の美しさに、男は思わず職人としての純粋な感想を漏らした。
「そうでもない」
しかし、即座に返ってきたのは感情の籠もらない冷淡な否定だった。
「これ、誰が書いたんだ」
「わたしだ」
「だよな」
男は深く溜息をつき、それ以上は詮索しなかった。
綺麗だとか、可愛いだとか、普通ならそういった服飾的な理由から、これほど複雑に重なり合うスカート装甲を設計するものだ。でないと、この形にする必要性がない。だが、この女は「そうでもない」と言い切った。
それが照れ隠しなのか、誰かからの押し付けなのかは定かではないが、どちらにせよ感情の起伏が乏しいこの女とは、情緒的な会話は成立しないらしいと男は悟った。
「お前、名前は」
「キャスバル・ウワイト。二十二歳、新兵だ」
新兵。
確かにこの国の軍隊は特殊な制度を敷いており、新兵は自らの装備を自由に設計・決定できる権利を有している。
だが、過去一〇年以上にわたり軍の官給品や特注品を見続けてきた男にとって、これほど常軌を逸した設計は見たことがなかった。ド派手という言葉では到底足りない。この重量級の鉄のスカートを着込んだキャスバルを見て、軍の同僚たちがどんな反応を示すか想像に難くない。
他人の目など全く気にしない、とんでもない変わり者なのだろうと男は結論づけることにした。
「そうか……。それで、どうして、うちに?」
「ここしかないからだ」
「他は全滅、と?」
「そう言っている」
男は深く眉間に皺を寄せた。
愛想も礼儀もあったものではない、底抜けに無礼な態度だ。男はキャスバルの威圧的な視線から逃れるように目を伏せ、手元の設計図を再び見つめ直した。
そこに描かれた花弁式のスカート装甲。乱雑かつどこか懐かしくも汚い字で「龍麟装甲」と走り書きまでされている。
他は全滅、断られた、と。確かに、これでは他の工房に断られるのも無理はない。新兵の装備自由枠とはいえ、実戦における実用性や部隊内での協調性を度外視していいわけではない。軍上層部の息がかかっている中央区画の真っ当な開発員たちであれば、即座に突き返すに決まっている案件だ。
それに、図面にあるスカート状の装甲を現実の形にするには、職人として乗り越えるべき壁が多すぎる。プリーツ状に重なる装甲板の加工費用は莫大になり、機動性と防御性能の両立は困難を極める。
装甲同士が激しく干渉することで生じる予期せぬ損傷も考慮しなければならないし、何より鉄の重量が着用者の機動性を著しく削ぎ落とし、敵と対峙した際に致命的な足枷となるのは火を見るより明らかだった。
男は、紙面を適当に乱暴にまとめると、それを女の胸元へ押し返した。そして、
「いいだろう。受けてやる」
「……なんだと」
あっさりと、男はこの無謀な依頼を引き受けた。
男の歪んだ職人気質を思えば、ある意味では当然の帰結であった。丹精込めて組み上げた装備を自らの手で破壊し続ける変人。そんな彼のもとに、絶対に形として残さざるを得ない「依頼人」が現れたのだ。
中央の工房をすべて断られながらも諦めきれず、場末の薄汚れた工房まで足を運んだ凄まじい執念。軍人になるというのに、礼儀も言葉遣いも弁えない世間知らずの若い女。
自分の技術を「残る形」として証明できる口実ができるのなら、男にとって軍の内部事情や、女がこの装甲にこだわる理由など、どうでもよかった。
「依頼したのはそっちだろ。何驚いてんだ」
「いや、それは……感謝する」
キャスバルは、初めて少しだけ戸惑ったように不器用に頭を下げた。
「それより、金はあるのか? 新兵にしちゃ、これは高くつくぞ」
「ない」
「あ?」
「金なんぞ、ない」
男は絶望的に頭を抱え込んだ。
極めて実現困難な設計を持ち込んできた上に、先立つものすら一銭も持っていないと堂々と言い放ったのだ。
「帰れ。話にもならん」
男は手の甲を女に向け、野良犬でも追い払うかのように「しっしっ」と手を振った。
しかし、キャスバルは僅かに目を細めこそすれ、その場から一歩も動こうとはしない。
「後で払う。なんとかできないか」
「あん? 後でじゃ意味ねぇだろうが。金がなきゃ、どうやって材料を集めるんだ」
男の放ったぐうの音も出ない正論に、女は固く口を結んだ。
当然の話だ。鉄の装甲を作り上げるには、大量の金属資源が必須となる。そして、それらの物資を調達するためには、相応の対価を支払う以外に方法はない。
つまり、この話は最初から破綻していたのだ。
せっかく自分の腕を振るって、壊さずに残しておける代物を作れる絶好の機会が巡ってきたというのに、これでお終いか。男は落胆を隠せないまま、それでも頑として立ち去ろうとしないキャスバルの双眸をただ見つめ返した。
「なんだよ、帰らないのか」
「帰らない。なんとかしてもらう」
「……お前、とんでもねぇな」
世の中には自分勝手な人間などごまんといる。だが、男がこれまで出会ってきたあらゆる人間の中で、今目の前に立ち塞がっているこの女が、ある意味で極めて高度に完成された「厄介な人間」であることだけははっきりと理解できた。
金はない。物資もない。だが、なんとかしろ。
相手に求めるばかりで、己がどうにかしようという具体的な意思が完全に欠落している。若者特有の短絡的な思考らしさといえばそれまでだが、流石にそれで世の中が回るほど現実は甘くない。
男は、次第にこの鉄面皮の女のことが心底憎たらしく思えてきた。
「嬢ちゃん、諦めな。俺が優しいうちに」
「怒るのか。怒ったら、どうなる」
「……」
男は完全に絶句した。
怒りでどうにかなりそうな心を抑えつけ、男はパイプ椅子を乱暴に手で押しやり、その反動の勢いを利用して立ち上がった。
そして、木板で雑に作られた受付台の天板を跳ね上げると、キャスバルに向けてついてこいと指で手招きをした。
女は相変わらず無言のまま、男の背後へとついてきた。
「この工房にある全てだ。これが何を意味するか、わかるな?」
男が示した空間は、惨憺たる有様だった。
杜撰に管理され、埃に塗れたジャンク部品の山。その大半は細々としたネジやギアなどの小物であり、まともな装備の形として再利用できそうな金属片は絶望的なほど少ない。
全身を覆う装備、それも尋常ではない重量と質量を要する花弁式の重装甲スカートを形成するには、圧倒的に物資が不足していることなど、素人の目にも明らかだった。
圧倒的な現実を視覚で叩きつける。
普段なら無関係の人間をこの神聖かつ乱雑な工房の奥へ入れることなど絶対にないが、今のこの状況を理解させるにはこれしかないと男は判断した。このキャスバルという女は、言葉の通じる相手ではない。真正面から正論で殴り合っていい種類の人間ではないのだ。
「確かに、少ないな」
「そうだろ」
「だからといって、諦めきれん。頼む、なんとかしてくれ」
深々と頭を下げる女の前で、男は限界を迎え、大きく天を仰いだ。
煤で汚れ切った真っ黒な天井と、そこに這うように走る銀色の太い配管が、今にも発狂しそうになる男の理性を繋ぎ止め、平常心でいられるようにと優しい言葉を囁きかけてくれているような気がした。
「……わかった」
男は、諦観とともに顔を真っ直ぐに戻した。
そして、キャスバルがどのような反応をしているかを確認することもなく、足元に散らばる細々としたジャンク部品を、古びた箒を使って無心に掻き集め始める。
「手間はかかるが、無理、というほどでもないのが本音だ。ただ、紙面にあるものほど質量のあるものは作れない」
男はその場にしゃがみ込むと、集めた金属のガラクタの山から、手のひらサイズの丸い鉄の輪っかを一つ拾い上げた。
ここにある金属片をすべて高温でドロドロに溶かし、型に流して溶接し直せば、それなりの面積の装甲板にはなるだろう。
ただ、それがこの工房にある物資のすべてを使って作れる限界線だ。
男は、静かにキャスバルを見上げた。
「それでいい。ひとまずは、それで」
事態は、ほんのわずかだが前進した。
男は短く、熱を帯びた息を吐き出すと、ゆっくりと立ち上がる。
そして、先ほどまで鉄面皮だった表情を崩し、僅かに口角を上げてみせたキャスバルへ向けて、最後の言葉を投げかけた。
「三日後にまたこい」
女は、深く力強く頷いた。
男は再び手の甲を女に向け、今度は追い払うためではなく、帰路を促すように前後に振って見せる。
キャスバルはそれを見ると、余計な言葉は一切発さず、身を翻して工房の外へと歩き去っていった。
「とんでもねぇのがきた。……忙しくなるぞ」
誰もいなくなった薄暗い工房に響いた男の独り言は、久しく忘れていた職人としての熱意に火がついたような、どこか心底嬉しそうな響きを帯びていた。




