生贄は魔王に引き留められます
ひとしきり花びらが舞い踊ると、違う、魔王の魔力が渦巻いた後、魔王は控室に待たせていた文官レスタークを呼び寄せた。
「話はついた。
帝国の皇帝、パストゥールの王にも、こちらから話を通す。
帝国にはさらに良い条件を上乗せしよう。詳しくは隣室の宰相と話し合ってくれ。
決まりしだい、姫は婚約者として魔国に連れ帰る。良いな?」
文官が一礼して退出する。
魔族の王が、帝国にどう話を通すのか見当もつかなかったけれど。もう、事態は動き出してしまった。
あとには戻れない。
これは私が望んだこと。
私の罪を贖いたくて。王子に幸せになってほしくて。そうすれば私も許されるはずだと、そう願って。
だから、生贄も政略結婚も私が望んだ。
だから、婚約が決まりしだいすぐ魔国に行かなければならないなら、私は私で準備をしなければ。侍女に荷造りの指示を出して。そして魔国に発つ前にひとこと、王子に謝罪ができるといいけれど。
「では陛下、わたくしはそろそろ部屋に下がらせていただきます。」
そう伝えた瞬間。
一瞬だった。一瞬で狂暴なほどの風が渦巻き、私を取り囲んだ。
けれどその風は、その魔力は、私を傷つけなかった。髪をなびかせドレスをはためかせながらも、私を取り巻いているだけだった。閉じ込めるように。
気づけば、魔王の深紅の瞳がじっと私を見下ろしていた。
「姫が俺の生贄として来てくれたというのに、俺がそれを逃すとでも?」
私はその圧倒的な魔力に押されるように、一歩後ずさる。どこにも逃げ場などないけれど。
しかし次の瞬間、取り巻いていた魔力が消え去った。魔王の眼差しが困惑に変わる。
「ああ、すまない。姫をおびえさせてしまったか。そのつもりは、なかったのだが。
どうか、ここに、とどまってはくれまいか。」
その言葉に、私のなかの何かが弾けた。
まさか、約束だけ取り付けて反故にすると思われているの?確かに私は愚かだけど、それでも帝国の姫。そんなことは、しない!
「陛下、そんなことはいたしません。
帝国において、わたくしは無能な姫でしかありませんが、それでも姫としての矜持があります。
約束を果たし、陛下とともに魔国に参ります。」
けれど、魔王から返ってきた表情はさらなる困惑だった。尊大に見える魔族でもこんな表情をするのかと思ったほど、困っているようだった。
そんな魔王がゆっくりと話し出す。
「まさか、そうではない。そうではないのだ。
もちろん姫が無能だとか、そんなことも関係はない。
何と伝えたらいいのか、ただ。」
見下ろしてくるその眼差しは、懇願のようにも見えた。
「ただ、この部屋にとどまって欲しいのだ。」
何がそこまでそうさせるのか、さっぱり理解できなかった。けれど種族が違うとは、そういうことなのかもしれない。
魔族の王がわざわざ生贄を欲しがるのは、それだけの理由があるのだろうから。
そう、そうよ、何か理由があって、生贄の私をここにおいて置きたいのよ。なら、それに合わせれば良いことだわ。
「かしこまりました。では、侍女に荷造りの指示を出したいのです、魔国に行くために。使いの者をやっていただけますか?」
「わかった。こちらの侍女を向かわせよう。ほかに伝言はあるか?」
私は耳飾りを外し、陛下に渡す。
「これを見せ、状況が変わったのですぐ発てるよう準備を。必要があればレスタークに確認をと。」
あっさりと魔族の王は了承した。本当に、私がここに居れば良いらしい。
それならと、これもお願いしてみることにする。
本当は王子に直接話したかった。謝罪をしたかった。王子が会ってくれるとは、とても思えないけれど。私も、言葉に詰まらず最後まで話せるか自信がないけれど。
だから、これで良いのかもしれない。これで良かったのかもしれない。
「陛下、婚約者になるはずだった殿下に、手紙を出したいのですが。ひとこと、お詫びの手紙を書きたいのです。」
けれど、魔族の王は返答にためらった。これは駄目だったのだろうか。わからない。いったい、どこに、何の問題が?
魔族の王はまだ、ためらっているようだった。ためらって、ためらって、そして口を開いた。
「本当は、そんなことはさせたくないが。姫がここに、とどまってくれるならば。」
眉を寄せそこまでためらう理由が、私にはわからなかった。
今度は私がためらいつつ聞いてみる。今後のことにも関わってくることだから、もしもそうなら早めに知っておいたほうがいい。
「陛下、質問をお許しいただけますか。生贄には行動の制限を課されるということでしょうか?」
「違う、そうではない、まったく違う。」
慌てた様子で陛下が答えるけれど、何やら説明が難しいようだった。
やはり種族が違うとはこういうことか。魔族の王の当たり前と、私の当たり前がこれほどまでに違うのかもしれない。
魔王が困ったように私を見下ろした。
「俺は決して、姫を一室に閉じ込めたいとか、俺の手の届くところに必ずいてほしいとか、姫の心身に負担のかかることを望むわけではない。
だが今は、魔国に戻るまでは、この部屋にとどまってはくれまいか。」
何がそこまで、そうさせるのか。やはり私には分からなかった。
魔王の大きな手がそっと、私の髪に触れる。それが生贄に対する作法だとしても、その手つきは優しい、そういってもいいかもしれなかった。
「かしこまりました。今日はこの部屋におります。」
答えれば、魔族の王が微笑んだ。再び、春のそよ風のような魔力が部屋に満ちてゆく。
「必要なものがあれば、姫の部屋から届けさせよう。
こちらにも、部下が先走って用意した生贄専用のものがある。
何か不自由があれば、侍女に伝えてほしい。対処しよう。
婚約の話がつきしだいすぐ、魔国に戻る。」
そう言い置いて、魔族の王は部屋から出て行った。
すぐという言い方から、数時間後には魔国に出発することもありそうだった。でも今、夜だけど。王ともなると忙しいから早く帰りたいでしょうけれど、まさか本当に夜に?
それとも、単に魔族は夜行性なのかもしれない、知らなかったけれど。
小さく息をつく。私は部屋にぽつんと一人だった。天井を見上げ、何をやっているのだろうと、そんな気持ちになった。
魔王の魔力の気配が濃く残るこの部屋で、その魔力に包まれながら。
それは嫌なものではなかったけれど、少々落ち着かなかった。
いえ、それ以前の問題もあったわ。婚約者でもない人の部屋で帝国の姫が一晩過ごしたら、私の評判がた落ち。この部屋に来るまで誰にも見咎められなかったのが、救いだけど。いずれ気づくわ、間違いなく。
まあ私の評判を気にしたところで、魔王と婚約するのも確かだけど。
でも、ここから出さないなどと無茶なことを言うわりに、魔王は礼儀正しかった。怒っているわけでもなく、苛立っているわけでもなく、ゆっくりと丁寧に話そうとしてくれた。
小さくドアの開く音がした。私が入って来たのとは別の、侍女か従者の部屋のドア。
やってきたのは侍女姿の若い魔族だった。それが無表情で淡々と一礼する。テーブルに持ってきた便箋と封筒、そしてペンとインクを並べる。
終わると侍女はすっと下がっていった。
私は並べられたものを見つめる。これが最後かもしれないと。
そう、最後だわ。もう王子と会うこともない。私の恋心がどれほど残っていても。
たぶん、王子は読まない。読むことなく暖炉にでも投げ込む。今は夏で、さすがに暖炉に火は入っていないけれど。心情的には、きっとそう。
それでも、書かずにはいられなかった。
“わたくしはあなたが好きです。
言い訳にしか聞こえないことを承知で書きますが、それでもこの婚約はわたくしが願ったわけではありませんでした。
しかし、わたくしが婚約者になったことで、あなたの愛する方を行方不明にまで追い込んでしまいました。
そんなわたくしにできることは、チャンスを一度差し上げるだけ。
どうか、あなたの愛する方と幸せになることを願っています。”
願っている気持ちは本当だった。愚かな私にできるのは、たったこれだけ。
同時に、その相手が私ではないことが悲しかった。それ以上に悔しかった、どうして私では駄目だったのだろうと。どうして私では、王子の愛する人になれなかったのだろうかと。
それでも、私は王子の幸せを願いたかった。この手紙が読まれても、読まれなくても、いまだ恋心の残骸を抱えていようとも。
書き終えたものに封をしたところで、ドアが開いた。魔王だった。
「姫、出発の時間だ。」
魔王がその手を私に差し出す。
今から私は、魔国に発つ。




