生贄は恋をしているみたいです
そんな武闘会のあと、なぜかちゃんと舞踏会が始まった。
あちこち破壊された床などものともせず、皆、優雅に踊り始める。
ベルン様が私に手を差し出しダンスに誘う。あまりな状況に私は思わず聞いてしまった。
「床が、この状態で、踊るのですか?」
ベルン様が穏やかに微笑んだ。
「普通の床で踊ったのでは、つまらないだろう?」
……まさかの難易度上げだった。破壊された床がそんなふうに使われるとは。
「ですが、こんな床で踊るのは、私は初めてで、いったい、どうしたらいいのか。」
ベルン様がやはり穏やかに微笑んだ。
「俺のリードに任せてもらえないか?」
そして、ベルン様の巧みなリードで、問題なく踊れてしまった。しかも、何だか楽しかった。ちょっと自分の図太さが信じられない。
一曲終わり、お互い向き合ってお辞儀をする。慣れない私はほっと息をつく。
そこでベルン様が、また私の髪に触れた。その髪をひとふさ手に取り、再び口づけた。
そんな数日後。私は気づけば舞踏会の日のことを、ベルン様が一曲踊り終えるたびに私の髪に口づけたことを、思い返すようになっていた。そして恥ずかしさと、同じくらい嬉しいような気持ちに襲われる。
さらにはこんな私を、こんな私だけどベルン様は素晴らしいと言ってくれているような気すらして、余計に恥ずかしくなる。
そんなことを繰り返していることに気づき、私はため息をついた。私、何やってるのかしら。
今夜は庭でベルン様と共に過ごす予定になっている、木の枝や小道に明かりを灯して。
その明かりに、今日は私の聖魔法を使ってみた。光魔法と同様、聖魔法にもヒーリング効果があるはずなので、特別仕様の硝子玉に私の聖魔法をぼんやり光る程度に注入している。
これなら、ベルン様のためだけの特別な明かりになるはずだから。
「姫の魔力があちこちに感じられるのは、すごく良い。」
庭を訪れたベルン様はゆったりとご機嫌な様子だった。さわやかな魔力の風がそよぐ。それが私を取り巻いている。
「ベルン様、魔国では旅行も好まれているとお話しされていましたよね?
文献で読んだことがあるのですが、東方では山岳で修行して魔力を高めるやり方があるのだとか。」
ベルン様の目が興味津々とばかりに私を見ている。ええ、もしかしたら、そうじゃないかと思った。
「姫はよく、そんな国のことまで知っているな。」
ベルン様が感嘆の眼差しで私を見る。
いやいや、ちょっと待って。それは違うのよ。
私を必要としてくれる人がどこかにいるのではないかと、そんな場所がどこかにあるのではないかと、せめて書物を読んでいろいろ探していただけ。
その知識が今こんなふうに、少し役立ってくれるとは予想もしなかったけれど。
「結婚の披露目がすんだら、姫を魔国のいろいろな場所に案内したい。」
ベルン様が私を見つめて言う。
「まあ、旅行ですか?」
「旅行だ。転移魔法で、一瞬で到着だ。」
確かに、一瞬で着こうとも旅行は旅行ね。
「天空の湖に、地下の巨大鍾乳洞、古代樹の森、崖上の神殿群、食虫植物の大沼地、姫はどこが好みかな?」
……何か、妙なものも混ざっていたけれど。ベルン様と行くなら、それもいいような気がした。
「どれも、楽しみにしています。」
ベルン様の指先が私の髪に触れる。ふいと視線をそらしたくなった。どきどきして、私の魔力がすごく揺れてしまうから。
そんな翌朝、身支度の間に、侍女たちが流行している恋愛小説について語ってくれた。そしておすすめがテーブルに積みあがった。せっかくなので夜に少しずつ読もうと思う。
朝食後にやって来た女官長は、今日も私の体調に気を配ってくれる。そして私のいつものスケジュールに、婚礼衣装の試着が付け加えられた。
講師からは、生贄様は向学心があって素晴らしい、魔国の妃殿下として申し分ないと褒められてしまった。勉強の進みも良いらしい。
宰相からはもっと予算をお使いくださいと、そんな話がきた。いやいや、それはオカシイからね?
こんなふうに、ここで暮らすのも慣れた。魔国で暮らすことに私は、慣れてしまった。たとえコワクくても。
私を無能な姫だと嘲る者は、ここにはいない。見下す者も、蔑む者も。
私は、認めてくれる誰かが欲しかった。私に価値があるといってくれる誰かが欲しかった。
それなのに、底辺の姫だった私には今の状態がコワイ。あり得ない。無能な姫がこんな状態になるなどあり得ないのよ。
だから、時に称賛の眼差しを向けられるほど、魔国で受け入れられていることがコワイ。コワすぎる。時々どうしたらいいかわからなくなるほどに、コワイ。
それでも、コワイと思いながらも、私は少しずつそれに慣れ始めている。
しかも、不思議だわ。私はあれほど自分に価値が欲しかったのに。
帝国では役立たずで無能な姫、そんな私でも、私のままでいいのかもしれないと、思い始めている。
何より私自身が、そんな私にできることがあるのだと、そう思い始めている。
午後からは自室で、取り寄せた資料を読みながらスパイスティーやチャイについて調べることにした。魔国の特産であるスパイスを使った、オリジナルブレンドのスパイスティーが作れるのではないかと思って。でも、私一人では無理かもしれない。まず料理長に相談してみなければ。
そんなことを考えながら顔を上げれば、なぜかパストゥールの王子のことを思い出した。
思い出したことに、少し自分で驚いた。最近は魔国でのあれこれが目まぐるしくて、私の恋の残骸を思い返すこともなかったから。苦い思いも、後悔も、贖罪の気持ちすらも。
メモをとっていたペンを置く。紙には一滴、インクがこぼれてしまった。
私は確かに恋をした。もしかしたら、私を望んでくれるのではないかと愚かな期待もした。
私の抱いた恋心は愚かさでしかなかった。それでも、恋しかった。ただ一度言葉を交わしただけの初めての恋。
片思いだった。王子と初めて会ってから一年、ずっと片思いしていた。それなのに、その気持ちが過去のことになってしまうとは。
あれほど、ある意味悲愴な覚悟を決めて、ここに来て。そして。
私は、また恋をしているのではないかと思う。
ベルン様にゆったりとした眼差しで見つめられれば、なぜかどきどきして。
ティータイムを共に過ごせばは、ベルン様の魔力と一緒に、私の魔力も弾むように揺れているし。
ベルン様の手が私の髪に触れる。ただそっと、触れる。それにどきどきするようになったのは、何時からだったか。
けれど、政略結婚で生贄の私が恋をしてどうなるというの。
それなのに、恋心とはままならない。私はまた片思いをしている。
しかも今度の片思いは、一生。




