39.救世天使の大浄化
銀色の刃が煌めく音がした。
「……エリーナ」
ヴィクトリアは自分の胸元を右手で触ってみる。そこにあったペンダントの魔紋石は砕け散っており、そこから微かに緑色の光が漏れていた。
全身の灰色は消えている。左腕の感覚はない。左肩口あたりを見ると、黒い布で止血が行われていた。明日音が左腕を食べるときに止血をしてくれたのだろうか。いや、それなら―――と思考はそこで止めて、ヴィクトリアはゆっくりと体を起こした。
左側に散らばっていた自分の肉片や骨片を右手で集めて握り締める。ふらつきながらも立ち上がり、慣れない左右のバランスのまま駆け出していった。
そして。
「終ワリ、ダ」
確実な死が明日音に向かって振り下ろされたとき、ヴィクトリアの右拳はジークフリードの腹部に打ち込まれていた。
『魔紋展開―――光の回復魔法』
今のヴィクトリアの全身には、砕けた魔紋石から漏れ出していた魔力の残滓があった。ゆえに出せる。全力の一撃を―――。
『【メディク】!』
ジークフリードの巨体は赤い光の衝撃を受けて、腹部から肉と砕けた骨を撒き散らしながら後方まで飛んでいった。
「ヴィ、クト……リア……?」
「随分と不細工な顔になったじゃない」
明日音の顔は酷く人間離れしており、眼は血走り、口元には牙のように鋭い歯が伸びていた。息遣いも荒く、肌は血色を失った灰色。理性を感じない獣だと一目で分かった。
「これでも食べなさい」
そんな明日音の間抜け顔に、ヴィクトリアは右拳に握り締めていた肉片やら骨片を問答無用にぶちこんだ。相当飢えていたのだろう。すぐさま咀嚼が始まり、一瞬でそれは飲み込まれて彼女の血肉に変わった。
「はぁっ……はぁっ……いったい、誰の、肉だ……」
「あたしのよ」
「はっ!?」
「あんたの食べ残し。美味しい?」
「美味しいよ、美味しい……ッ」
明日音はヴィクトリアの体に寄りかかり、体温を確認するように煤汚れた肌に顔を埋めて涙を流した。震えた手で抱きしめてくるので、抱き返そうとするがその左腕はなかった。なので、右手で彼女の頭を撫でてやり、そっと優しくこう言う。
「言ったでしょ、背中預けなさいって」
「ああ……ああぁッ! 預ける……何度だって。君は私にとって、なによりも大切な人だ。だから一緒に」
「生きるわよ。そのためにも―――」
後方へ吹っ飛びながらも立ち上がってくるジークフリードを、ヴィクトリアは睨みつける。
「こいつをブチのめす」
「ああ、背中は」
明日音は左手を構えて、笑みを浮かべた。
「預けたわよ」
ヴィクトリアも右手を構えて、それを笑みで返す。
「ドウシテ、オ前ガ……生キテ、ル!?」
「あたしはあんたと違って、出来の良い後輩に恵まれていたってワケ」
「ソノ眼……マサカ」
金色の瞳だったヴィクトリアの右眼は、ゾンビと同じ真紅に染まっていた。右腕の皮下にはZウィルスによって浸食された筋肉がありながらも、変わらずに動かすことができている。かと言ってゾンビになったわけではない。ゾンビとしての本能はなに一つ感じ取っていない。
導き出される結論は一つだった。
「抗体……ヲ、獲得シタ……ノカ」
準感染状態で自身に回復魔法を使用し続けた結果、ヴィクトリアの体はZウィルスに対する抗体を獲得するに至った。むこうの世界の技術では治療不可能とされていたZウィルスだったが、魔法という未知の現象には対抗できなかったというわけだ。
「その〝コータイ〟ってのがなにか分からないけど」
「オ前ハ、危険ナ存在ダ……排除スル!」
ジークフリードは肉の翼を羽ばたかせて、こちらへ突撃するべく飛行を開始した。単純で直線的な攻撃だが、今の二人は手負いだ。満足な回避行動は取れない。
「あたしの魔法はあと一撃だけ、あんたは?」
「同じく。一回撃てればいいぐらいだ」
二人同時に【メディク】を撃ったとして勝てる見込みはほとんどない。急所を逸れればまた再生されてしまうし、急所を撃ち抜くような的確な狙撃は魔法では行えない(ジークフリードのような例外は存在するが、基本的に魔法による攻撃は正確性に欠ける)。
「アレをやるわよ」
「……アレ?」
「大丈夫。あたしの左手はきっと覚えているだろうから―――」
ヴィクトリアがそう言うと、明日音は自分の左手を見て頷き、それを前に構える。
「そういうことか」
「とはいえ、ぶっつけ本番よ」
「いつものことだろ?」
「そうね。ホント、あんたと一緒にいたら退屈しないわ」
危機的状況であるにも関わらず、二人から笑みが消えることはなかった。
背中を預け合っているのなら、怖いものなどない。
合体魔法。左右の魔紋から発生した魔法を合体し、新たに一つの魔法として構築する―――いわば、必殺の一撃。ジークフリードが多用していた技だ。もちろんヴィクトリアの鍛錬を積んだ両手なら不可能ではない。
しかし今、彼女の左手は〝明日音の左手〟だ。上手く発動するかも分からない。もしかすれば別人の魔紋と判断され、魔法は合体しないかも。だが、やるしかない。幸いにして二人が魔法を詠唱する時間だけは残されていた。ヴィクトリアは覚悟を決めて右手を構える。
ほぼ同時に、ジークフリードは滑空を始めて、一直線に二人に向かって突撃してきた。
「いくよ」
「ああ」
正直、失敗する確率のほうが高かった。
でもどうしてか、明日音が隣にいれば不安は消し飛んでいた。
この世界の誰よりも強く、誰よりも優しくあれる。そんな気がした。
『魔紋展開―――光の回復魔法【メディバリィ】!』
ヴィクトリアの右手に広がるは光り輝く緑色の粒子たち。
『魔紋展開―――光の回復魔法【メディク】!』
明日音の左手から緑色の光が弾ける。
『『合体―――』』
二人の声が重なり合い、二つの魔法が交差して一つの巨大な魔力の奔流へと変化していく。
『『攻撃魔法ッ』』
魔力の奔流は爆発し、粒子が四散。それらは失敗によるものではなく、むしろさらに巨大な魔力の塊となって再構築されるプロセスの一つであった。そして浮かび上がった魔力の塊はヴィクトリアと明日音を包み込む。
『『【救世天使の大浄化】』』
二人を包み込んだ魔力は白い翼へと変化し、咲き誇る花のように開いた。舞い散る羽の一つ一つが緑色の光となり二人の前に収束していく。
それと同時に、凄まじい負荷がヴィクトリアの右手に襲い来る。今にも倒れてしまいそうな衝撃と魔力の乱れ。それでも隣にいた明日音の右腕が彼女をギュッと抱き寄せて、倒れないように支えてくれた。
「「いッけぇぇええぇぇえぇぇぇぇッ!」」
爆発する感情とともに、二人は喉の奥から咆哮んだ。
緑色の光は螺旋状に回転を始め、突撃してくるジークフリードに向かって撃ち出された。それは周囲のあらゆるものを一切傷つけない優しい光だった。しかしジークフリードの上半身に炸裂するやいなや、それは真紅の光と化して彼の体を焼き尽くす。
肉を焼き、骨を焼き、体内に蠢くZウィルスの全てを破壊していく。
ジークフリードは下半身のみを残して地に落ちていった。土煙が舞い上がった後、起き上がってくる巨体はない。それを見てようやく二人は戦いの終わりを確信した。
「……あぁあっ、もう二度とやりたくないわ」
「同じく……。魔法ってこんなに疲れるのだな」
二人は力を失って、どっと肩を落とす。片や左腕を失い魔力も底をつき、片や全身に深い刺し傷と大量出血で魔力が底をついていた。
「明日音……」
「ヴィクトリア」
今にもバラバラになりそうな全身を起こして、互いに拳をぶつけて見つめ合う。すると急に力が抜けてきて、二人の体は安定をたもてなくなる。
「ヤバい体支えて……ッあ―――」
「肩を貸してくれ……おゥ―――」
結局二人は互いに前のめりに倒れて、額をぶつけ合いながら地面へと崩れていった。意識は額がぶつかったその瞬間に途切れていた。




