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37.そのZは生命だ

 聖域の中央で、かつてこの世界の森羅万象を司っていた女神が肉塊となって転がる。


 柱の影から現れたそれは、人型からはかけ離れた異形の怪物であった。歪な形の肉の翼が左右に広がっており、そこから五本の腕が触手のように生えている。上半身は筋肉繊維が肥大化して剥き出しになっていた。両腕は大剣のように鋭く硬化しており、体の各部から鋭利な刺が飛び出していた。


 顔はもはや人間の原型を残しておらず、どちらかといえば竜のかたちに近かった。赤い鎧によって形作られた左右非対称の仮面をつけ、その奥から剥き出しの牙を覗かせる。


「女神を食するのも大変だった。少し腹が減ったかもしれない」


 異形の怪物……ジークフリードはそう言って、その禍々しい頭部を生存者たちに向けた。


「逃げないでくれ。代わりに俺が守ってやるから。そこの悪徳政治家をまず喰わせろ。それから騎士たちもだ。民のために率先して命を賭す者たちから喰えば問題ないんじゃないのか?」


 しかし生存者たちは誰一人として頷かなかった。彼は騎士団長などではない、ただの人の言葉を発する怪物だと知っていたからだ。それでも逃げないのは、逃げたら殺されると分かるからであって―――要するに恐怖心でなにもできないでいた。


 暗闇だ。


 その先に未来が見えない絶望。


 当たり前に訪れると思っていた明日が、自分たちにはないのだという喪失感。


「や、やらせない!」


 なんとかして逃げられないかと考え始める議長を尻目に、震えながらも一人の騎士がジークフリードの前に立ちはだかった。


「お前はたしか新米だったな。覚えているぞ……いかにも臆病そうな奴だ」


「俺はヴィクトリアさんに借りがある! あの人が命を賭けて戦い抜いたというのなら、俺も今ここで戦い抜く! 議長さんは生存者たちを逃してください! こいつは俺が引き留める!」


 そう言って新米の騎士は生存者たちを逃すと、クレイモアを構えてジークフリードと対峙した。


「……騎士が持つ剣に意味はない。大切なのは魔法だ。そう教えたはずだが?」


「はぁっ……はぁっ……」


「俺が魔法を詠唱している間、好きなだけ俺を斬るといい」


「はぁあぁぁッ!」


 新米の騎士はクレイモアを両手で振り上げて、思いっきりジークフリードに向かって振り下ろした。しかしクレイモアの諸刃は表皮に突き刺さっただけで終わり、鋼鉄のように硬いその内側を切り裂けず終わる。


『魔紋展開―――炎の攻撃魔法【ブラスドラゴ】』


 肉の翼から生えた手が輝き、そこから炎の竜が現れる。


『魔紋展開―――氷の攻撃魔法【ブリザードラゴ】』


 同じく肉の翼から展開された手が輝き、氷の竜がジークフリードの周囲を翔けた。


『合体―――攻撃魔法【激昂する氷炎竜のドラゴニック・ジェノサイド】』


 炎竜と氷竜は空中で一つになり、赤と青の光の中で七頭の竜となって新米の騎士に殺到していく。ホーミングするため回避は不可能。生半可な防御魔法では耐えきれないのは明白。かといって、術者を殺すこともできない。


 先ほどから何度もクレイモアで斬りつけているが、諸刃はついに折れて地面に突き刺さる。


「ああ、そうか。魔法で殺したら喰える部分が減るな……」


 ジークフリードの口から出た言葉は、新米の騎士の勇気を称賛するものではなかった。


 新米の騎士はその光景を見て、静かに瞳を閉じる。自分にしては十分やった、と納得して。


 瞼の内側に広がるのは暗闇。


 明日を失った者にしか見えない光景だった。


 その時、


 刃が煌めく音がした。


 新米の騎士の前に、一人の少女が現れた。日本刀を右手に持ち、肌の色の違う左手は再生して間もないためか粘液に覆われている。瀕死の相棒の左腕を食した口元は鮮血に染まっており、黒髪の隙間から覗く瞳には涙が滲む。


 少女は生まれながらのゾンビだ。肉体的な性別はともかく、精神的には男でも女でもないし、人間性すらも生まれつき無い。むこうの世界で喰らった人間の記憶が疑似的な人格を形成しているだけの、いわば変異体の一種である。


 だが、それでも。


「私は〝明日の音〟となる! この世界の人々の暗闇に響く!」


 父と母に願われて生まれてきた一人の子供で、織田明日音という名前がある。


「あの女を喰ったか。美味かっただろう、人間は」


「左腕だけだ。二度と喰いたくない味だったよ」


「そうか。まぁ返事はどうでもいい。知性を持つゾンビである貴様は、俺にとって邪魔な存在だ。攻撃魔法が通用しない相手だからな―――ゆえに、今ここで」


『魔紋展開―――ッ!』


 明日音はジークフリードの言葉を叩き落とすかのように、その言葉を叫んだ。異世界人で魔法の使用経験もない明日音だったが、この左手は違った。


『光の回復魔法……』


 ヴィクトリアの左腕を喰っているときに感じた魔力の流れ。そう、彼女の体の中には〝経験〝が染み付いていた。何度も何度も、血の滲むような鍛錬を続けた結果、ヴィクトリアの体は光の回復魔法を覚えていたのだ。脳を喰わずとも、全身の細胞の一つ一つがなにをどうすればいいのかハッキリと心得ていた。


『【メディク】ッ!』


 明日音はジークフリードに向けて左手をかざす。緑色の光が発せられ、赤へと転換した瞬間、衝撃がジークフリードに襲い掛かる。体の内側の肉が引き裂かれていき、血飛沫が舞い上がった。


「なんだこれは!?」


「私の相棒の」


 右手に持った日本刀を前に出す。銀色の刃は表皮を貫き、中の肉をも引き裂いていく。


「努力の」


 刃を引き抜いて、ジークフリードの反撃の両腕を軽々とかわしながら一閃を放つ。


「結晶だぁぁぁぁあぁぁぁッ!」


 相手がよろけたところに左拳を打ち込んで、


『【メディク】ッッッ!』


 赤い光が両者の間に広がっていき、そして打ち込まれたジークフリードの巨躯が吹っ飛んでいく。柱をいくつも破壊しながら吹っ飛び、ようやく本棚の壁に背中を打ち付けたところで停止した。


 明日音は振り返ることなく、後ろにいる新米の騎士に語り掛けた。


「……皆を頼んだ。こいつは私がやる」


「ヴィクトリアさんは……」


「仇を討たせてくれ」


「生きて帰らないと、あの人はあんたの股間でも蹴り上げますよ」


「ははは……そりゃ勘弁願いたいな」


 そう言って明日音は一歩前に出て、


「大丈夫だ。私の中で彼女が生きている限り、私は死なない」


 地面を大きく蹴り上げて、明日音は跳躍していった。距離にして五〇メートルほどを一瞬で飛び越えた明日音は、空中で銀の刃を宙に放つ。目の前に飛んできたジークフリードの触手が断ち切られ、血液の軌跡が伸びていった。


 敵は既に立ち直っている。先ほどの一撃も大したダメージにはなっていないのか。


『魔紋展開、魔紋展開、魔紋展開、魔紋展開、魔紋展開―――』


 ジークフリードの肉の翼から生えている五本の歪な腕たちが、空中の明日音を捉える。そして魔法を詠唱する声が重なり合いながら、彼の口から発せられていく。そこには一人しかいないのに、まるで何人もの魔法士がいるような感覚―――おそらく魔法を使う人間の腕を喰うことで、魔紋を自分の中に取り込んだのだろう。明日音と同じだ。


 詠唱の速度も異様なまでに早い。早口と表現するには〝速すぎる〟およそ人間的とは言えなかった。まるで録音した音を最大倍速で流すかのように機械的であった。


『炎の攻撃魔法【トネリオブラスティア】【トルネリオブラスティア】【トルネリオブラスティア】【トルネリオブラスティア】【トルネリオブラスティア】』


 五本の腕から発生した炎の竜巻は、柱や壁を削りながら細かな飛礫を生成し、それを空中にいる明日音に向かって放っていく。飛礫の軌道は単純な軌道ではなく、竜巻から放たれたため曲線を描く軌道で見切るのは困難だ。


「ッ!」


 それでも日本刀を構え、飛礫の曲線軌道に合わせて一閃を打ち込む。飛礫のうちいくつかは弾くことができたが、それでも被弾は免れなかった。左胸を飛礫が貫き、血が噴き出す。しかしすぐにゾンビとしての再生能力によって傷が塞ぎ、細胞の再生が始まる。


 人の肉を喰らったことで、身体能力と再生能力は向上していた。


 だがそれと同時に、冷静な思考がゾンビとしての本能に飲み込まれていく感覚がした。


 獣としての牙が研ぎ澄まされるたびに、人としての思い出が消えていく。


「アアァアァアァアッァッッ!」


 雄叫びを上げながら、明日音は近くの柱に両足を付けると蹴り飛ばして、ジークフリードとの距離を急速に縮める。


『氷の防御魔法【フリズシルド】【フリズシルド】【フリズシルド】【フリズシルド】【フリズシルド】』


 ジークフリードの前に巨大な氷の障壁が姿を現す。五重に重なった障壁は、たとえ上位の攻撃魔法を受けたとしてもジークフリードに達することは無いだろう。


 しかし障壁は前面だけだ。


 明日音は右腕を地面に打ち込み、弾丸のように進んでいた自分の体を急停止させる。その直後、右腕の関節を外すことで急速に脱力させ、その反動を利用し地面を蹴って直角に移動。ジークフリードの側方に回り込むやいなや、関節を戻した右腕で日本刀のを持ち直し、その切っ先を彼の右脇腹に刺し込む。


「アァァァアアァァァアァァッッ!」


 自分の中を満たしていたものが枯れていく。


 空っぽになっていく。


 それでも。


 ジークフリードの右脇腹に刺し込まれた刃を思いっきり引き抜いた明日音は、よろけた彼の巨躯にめがけて何度も斬撃を放った。


「無駄な足掻きを!」


 氷の障壁を解除し、ジークフリードも鋭く硬化した両腕を構えて白兵戦へと切り替える。


「俺は積み重ねてきた! 魔法士として、英雄として、相応の鍛錬を! 女神の力を宿すに相応しい存在だ!」


 ジークフリードの両腕と明日音の日本刀がぶつかり合い、火花が四散した。


「貴様はどうだ! 鍛錬を積んだか? 暴れ狂うドラゴンを打ち倒し、民を護ったか? 日々、英雄として恥じぬ行動を心掛けてきたか?」


 何度もジークフリードは明日音に両腕による斬撃を放ち続けるが、それを全て明日音は受け止め切る。一撃一撃が降り注ぐ鉄骨のように重たい。受けるたびに腕は痺れ、骨が悲鳴を上げる。やがて右腕の筋肉が裂けて、骨にヒビが入り始める。


「違うだろ! 貴様のように異世界から来ただけの〝なに一つ積み重ねていない者〟が、俺よりも優れているなど認めない! ゆえに貴様は俺のいる世界に存在してはならない!」


 それでもヴィクトリアがくれた左手だけは力強く日本刀を握り締めていていた。まるで彼女の力がこもっているかのように、ビクともしない。


「中身のない空っぽの貴様に、生きる資格などあるはずがない!」


「訂正しろ……」


 今まで、ジークフリードの言葉を無視し続けていた明日音だったが、どうしてもその言葉だけは許せなかった。


「何を言っている? 生まれながらのゾンビだろうに!」


「私は―――」


 この命は、母がゾンビと化していく恐怖と苦痛の中で、希望を信じて産んでくれたものだ。


「私はッ!」


 この命は、ヴィクトリアがその優しい心で向き合って、強き魂で愛してくれたものだ。


「空っぽなんかじゃない!」


 明日音は心の中に燃え上がった怒りの炎を剛力へと変え、ジークフリードの両腕を弾き飛ばした。そして銀色の刃が煌めき、最大の一撃が彼の右腕に打ち込まれた。その前には如何なる肉体も無意味である。


 血が舞い、肉が踊り狂う。


「私は一つの生命いのちだッッ!」

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