33.乳首の色も知った仲だから
ジークフリードにとってヴィクトリアはたかが一市民だ。
回復魔法がなんだ。そんなもの、戦場やダンジョン攻略においてはクソの役にも立たないではないか。魔法を極めている人間ほどより深く理解している、光属性の魔法の非力さ。たとえゾンビに対しては有効な戦術であったとしても、その前提があるゆえに正当な評価を出せない。
『魔紋展開―――』
そんな回復魔法しか使えないヴィクトリアよりも、攻撃魔法を無効化し、なおかつ高い身体能力を有している明日音のほうがよっぽど驚異的だ。優先度の差は歴然。
『光の回復魔法』
要するに軽く見られていたのだ、ヴィクトリアは。
『【メディク】ッ!』
叫ぶ。血反吐を吐き続けた過去、その努力が実ることがないと分かったときの悔しさを込めて。
打ち込む。今まで犠牲になってきた人々への想いを込めて。
ブッ飛ばす。フェース王国歴代最強の騎士団長ジークフリードを、ただの神官のヴィクトリアが。
「が、ァァァアァッ!」
ヴィクトリアが打ち込んだ右拳から真っ赤な光が広がっていき、炸裂したジークフリードの右脇腹が大きく膨れ上がり―――赤い鎧の隙間から血飛沫が漏れ出した。
『魔紋展開―――光の回復魔法【メディク】!』
「舐めル、なァ!」
ジークフリードの巨体から繰り出された右拳と、ヴィクトリアの華奢な左拳がぶつかり合う。結果、ジークフリードの右拳は回復魔法を受けて血が噴き出した。大きくよろけた、ジークフリードの体に向けてヴィクトリアは追撃の回復魔法を何度も打ち込んだ。
赤い鎧に阻まれて直接は打ち込めないものの、その内側には確実にダメージを与え続けられている。だからこそ、何度も何度も何度だってヴィクトリアは回復魔法を詠唱し続けた。
『【メディク】!』
ヴィクトリアはそんなに強い人間じゃない。
『【メディク】!』
人に優しくできるときは、自分に余裕があるときだけだ。
『【メディク】!』
最強の騎士がゾンビ化してさらに最強になったような相手に立ち向かっているのは、
『【メディク】ッ!』
強くて優しくありつづけるという、エリーナとの約束があるからだ。
ジークフリードの巨体が揺らいで、頭部が真正面まで〝落ちて〟来た。このチャンスを逃すものかと、ヴィクトリアは最後の力を振り絞って右手を構え、
『【メディク】ッッッ!』
ジークフリードの顔面を的確に捉えた一撃は、その体を宙に浮かせて吹っ飛ばす。吹っ飛んでいくなかで、頭部が弾け飛んで脳漿が四散していくのが見えた。朦朧とする意識のなか、ヴィクトリアは呟く。
「あんたこそ舐めんじゃないわよ……女の覚悟ってヤツを」
ゾンビは頭部を破壊されれば、十中八九活動を停止する。今の一撃、確実に頭部に入っていた。
ジークフリードの頭部はちょうどヴィクトリアから見て柱の影の部分に隠れており、頭が潰れているかは確認できない。しかし首から微動だにしていないことから、活動を停止したことがハッキリと分かった。
「いやぁ、素晴らしい。無知な現地人と侮っていたが、土壇場での決死の覚悟は称賛に価するね。ブラボー!」
ミカエルは柱の影から姿を現して、拍手をヴィクトリアたちに送ってきた。
「気をつけろ、ヴィクトリア。奴はナイフで腹を刺しただけじゃ死なない」
「んじゃ、ゾンビと同じく頭を潰してやりましょ」
ヴィクトリアと明日音は並んで立ち、ミカエルのほうを見据える。
「その回復魔法とかいう……。Zウィルス由来の物質すべてを破壊する……こんなもの、僕たちの世界には無かったよ。その技術を応用すれば、八方塞がりだったZウィルスに対するワクチン開発にだって、再び着手できるかもしれないなぁ……」
「本音じゃないだろ」
明日音は再生し始めた鼓膜から、微かに聞こえる不愉快な声に対し、断ち切るように言った。
「僕はいつだって人類の幸福を考えて、日夜研究に没頭している。人類全体が抗体を獲得すれば、Zウィルスによるさらなる進化で―――」
「嘘だな」
明日音は一歩前に出てミカエルを睨みつけた。
「貴様は自分のことしか考えちゃいない人間だ。転移した船舶の乗組員が貴様しか生き残っていないのも妙な話だ。自分一人が偶然生き残ることを想定して、船に実験器具を詰め込んだとでもいうのか?」
「…………」
「意図的に殺しただろ、他の乗組員を」
「あー、たしかに。転移時の座標調整は僕が担当していた。ちょっとズラして驚かそうとして……過失だよ。そんな怖い顔で見ないでくれよぉ」
「……クズが」
「ま、認めよう。ろくに実験の手伝いもできない無能どもを生かしておく理由もなかったからな。異世界で食糧を十分に調達できるとも思えなかったし、下手に方針が対立しても面倒だ。チームプレーは全員有能ではじめて機能する。無能ばかりが足を引っ張るぐらいならスタンドプレーのほうが効率的さ」
ミカエルは端末を操作して、明日音に向ける。
「ところで、君との会話は楽しかったよ。そろそろ鼓膜の再生が始まっている頃だしね。ゾンビの再生能力と必要な時間はここにちゃんと入っているさ」
自分の頭を人差し指でトントンと叩いてみせて、ミカエルは言った。
そして鳴り響く音によって、明日音の動きが止まった。ヴィクトリアには分からないが、その音が彼女を一種の金縛り状態にしているのだろう。
「君は僕と一緒に来い。どうせ、そっちにいても生まれながらのゾンビに居場所などない。それよりも女神を捕食し、その知識を僕に分けてくれ。超常の力を人々に分け与えるのが君の使命だ」
「……それもどうせ、貴様の野望のためだろうに」
「だったらなんだい? 空っぽの君に、今さら正義感でも芽生えたというのかい?」
「……そうだ! 私は人々を守るために!」
「それは君が捕食した人間の記憶から作り出された、偽りの感情だよ」
「違う! 私は! この感情は私の……」
明日音は耳を塞ごうとする。しかし体が言うことを聞かない。端末に操作された彼女の体は、ミカエルの言葉を遮断することを許しはしなかった。ただ口が動くのを許しただけであった。
「それは人間のように自分から生まれた感情じゃない。本来の君は知性を持ったゾンビ、空白の器。人間性など存在し―――」
「ああっぁぁぁぁぁぁぁあぁあ――――――――――――――――――ッ!」
そのとき、二人の会話をヴィクトリアの叫び声が遮った。喉の奥から、心の底から叫んだ声は聖域全体に反響していく。
「ごほん。要するに君は空白の器であることを受け入―――」
「のぁぁぁぁぁぁぁあぁあ――――――――――――――――――ッ!」
「空白の」
「じゃあっぁぁああぁぁぁぁあ――――――――――――――――――ッ!」
「なんなんだ、君は! 人の会話を邪魔しないでくれ」
「断る」
さすがに三回も全力で叫ぶと喉が痛くなってきたのか。ヴィクトリアは喉元を手で押さえながらも、ミカエルの言葉に対し吐いて捨てるように返事をした。
「これ以上、あたしの相棒の悪口は言わせない」
「君は関係ないだろう、黙っ」
「関係ねぇのはテメェのほうだろ、クソインポ野郎ッ!」
「イン、イン……だと!?」
「ああ、そうさ。テメェなんざ、口だけ達者な…………」
「達者な……?」
「…………」
「クソ野郎よ!」
いざというときに、適切な罵倒が思い浮かばない。日頃、綺麗な言葉を使い過ぎているからなのか、とヴィクトリアは的外れな内省を抱きつつ、ミカエルに向かって言った。
「あんた、明日音のことなにも知らないのね」
「いいや、知っているさ。彼女を都内某所のショッピングモールで保護して以来、一年以上かけて研究観察を行っていた。人間に比べて成長も格段に速く―――」
その言葉に被せるように、ヴィクトリアは早口を叫んだ。
「そうことじゃない! こいつは不器用でムードも分かってないし、無鉄砲の考え無しで、会話も意思決定も一方的に行おうとして、あたしの都合を平気で無視してくる。そのくせ自己犠牲すりゃ相手が喜んでくれると勘違いしてやがるのよ。座り方だってスカート穿いているくせにガニ股で、パンツ見えていても恥じらうことなく平然としている。あと食べ方が汚い! 食べているときに口をクチャクチャいわすな!」
「ヴィクトリア」
明日音の言葉に、ヴィクトリアは眼を見開いた形相のまま振り返る。
「なに!?」
「……食べ方、汚くて、すまん。言ってくれたら治したのに」
「今度から気をつけて!」
「……それと、なにか長所を言ってくれ。これだと私が短所だらけの奴になる」
「長所、長所ね……」
茫然としているミカエルをよそに、ヴィクトリアは暫時思考を巡らし、そして思いついたかのようにこう言った。
「乳首がピンク色!」
「見ていたのか」
「……一緒にシャワー浴びているときに、その、可愛いなぁって思っただけよ」
「君は変態だったか」
「あんただって見ていたでしょ!」
「君のはピンク色じゃなかったから注視したことはない」
「うるさい! 人を乳首の色で判断するな!」
「ふふっ」
思わずそのやり取りに明日音は笑みがこぼれた。ミカエルの言葉が胸を締め付けてきたのが嘘みたいに、いつもの調子に戻った明日音はヴィクトリアを見て、
「ありがとう」
「調子戻った?」
「戻りすぎたぞ、どうしてくれる」
「それぐらいがちょーどいいでしょ、お互いにとって」
ヴィクトリアはそう言うとミカエルのほうを見て、
「明日音が女だろうと男だろうと、ゾンビだろうと、あたしには関係ない」
「それが頭の悪い夫婦漫才の末に出た結論か……ったく、度し難いほど馬鹿な女だな、君は」
「度し難いほどクズな男に言われる筋合いは―――」
ヴィクトリアはミカエルに対して、右手の中指を立てて向けた。こちら側の世界においてこのジャスチャーは〝くそくらえ〟を意味している。ミカエルのいた世界でも同じような意味があるとは思えないが、それでもヴィクトリアは彼への宣戦布告の意味を込めて言った。
「ねぇわよ」




