31.押し倒してやる
ヴィクトリアは途切れた意識のなかで、イラついていた。
明日音は割り切ったのではない、ヤケになっているだけだ。
自己犠牲といえば聞こえはいいが、やっていることはただの自己否定と自己満足である。
考えれば考えるほど、明日音に対して苛立ちがこみ上げてきた。悲しさが悔しさになり、そして怒りへと最終進化したのだ。
だからこそ、意識を失っている今でもヴィクトリアは怒り続けていた。意識を失った瞬間に見えた色々なものを片っ端から吹き飛ばし、このままでは我慢ならない心を撒き散らしていた。そして―――、
「だ―――――ァッ、もう! クソがぁぁぁぁぁぁ!」
目覚めた瞬間、ヴィクトリアは感情のままに起き上がり、目の前にいた誰かの顔に拳を打ち込んだ。二秒後、ブフッという鼻血が吹き出す音とともに、ヴィクトリアの拳が突き刺さった議長は言った。
「んふッ……元気なようでなによりだ」
「……あ、議長」
「こいつで許してやる」
議長はヴィクトリアの神官服の右ポケットに手を突っ込み、宝石をいくつか掴んで自分の懐に仕舞った。
「ここは……」
ヴィクトリアが目覚めた場所は鋼鉄で囲まれた独房の中だった。見たこともない装置が分厚い鉄の扉には取り付けており、鍵穴のようなものはない。
そんな独房にヴィクトリアたちを含め一〇名が押し込められていたので、かなり蒸し暑い。おそらく生存者全員を閉じ込めておける牢屋がなかったのだろう。
「見ての通り、我々は囚われの身だ」
「そうね。あんたみたいな悪徳政治家にはピッタリの場所だけど、あたしのような美少女には相応しくないわね」
「おっと、その言葉は傷つくぞ」
そう言いつつも、議長は鉄の扉の向こう側を指差して、
「外はゾンビで溢れている。だから戦闘能力のある君が目覚めるのを待っていたのだよ」
廊下には緑色の迷彩柄の服を着たゾンビたちが徘徊していた。おそらくミカエルという男の手駒だろう。
「そもそもあたしたちに外に出るっていう選択肢があれば、の話だけど」
回復魔法じゃこいつは壊せないし、と鉄の扉に手を当てて呆れたようにヴィクトリアは言った。
「それなら問題ない」
議長は見たこともない装置に手をかざして、
『魔紋展開―――ンンン! 闇の解錠魔法【ピッチェ】』
「解錠魔法!?」
聞いたこともない言葉を耳にしたヴィクトリアは思わず声を上げた。
議長が魔法を詠唱すると、紫色のエフェクトとともに装置が消滅していき、鉄の扉のロックが解除される。
「こいつは鍵と認識されるあらゆる物質を消滅させる魔法なのだ」
「便利な魔法ね……そんな魔法あったんだ……」
魔法というものは奥が深く、その種類は専門家でも把握しきれないほど存在する。しかし実用的な魔法は限られており、逆に実用性に欠ける魔法は忘れ去られてしまう。
議長が使った魔法もそうだ。解錠なんて攻撃魔法で鍵を破壊すれば行える。冒険者たちもダンジョンで宝箱を見つけたときは、攻撃魔法で鍵を破壊するか、防御魔法を展開しながら罠付きの宝箱をやり過ごすかしている。要は、まどろっこしいのだ。
「解錠魔法なんて覚えている人いないだろう? 使えたらカッコいいと思って、青春時代に半年間練習していたのだよ。貴族の嗜みというものだ」
「議長……くれぐれもそれ、本当のブタ箱に放り込まれたときには使わないでね」
「できないに決まってるだろ。普通は魔法障壁に阻まれる」
この牢屋が異世界のものだったので、魔法障壁のような特別仕様がなされていなかっただけだ。むこうの世界に魔法という技術が存在しなかったことに感謝だ。
「さ、逃げるぞ。外のゾンビは任せた」
「あいあい、任せられましたっと……」
鉄の扉を開き、殺到してきたゾンビたちに向かってヴィクトリアは右手をかざして魔法を詠唱する。
『魔紋展開―――光の回復魔法【メディバリィ】!』
殺到してきたゾンビは、ヴィクトリアの周囲に広がった緑色の光を受けて弾け飛んでいく。
ゾンビたちを全て排除したヴィクトリアたちは残りの牢屋も議長に解錠させて、生存者たちを解放していった。しかし警備のために配置されていたゾンビたちの足音がし、依然として臨戦態勢が続いていた。
「ヴィクトリア! ここは俺たちに任せてくれ!」
そう言ったのは新米の騎士だった。
「あんたそのセリフはちょっとマズいんじゃないの!?」
「大丈夫だ! 俺たち騎士団は、この二週間でゾンビとの戦い方は心得たつもりからな! それよりも、明日音さんのことが心配だ……あの男、俺と同じクズの臭いがする。早く助けに行ってあげてくれ!」
「わかった。それと……あんたはそんなにクズじゃないわ」
「……ありがとう」
「これを乗り切ったら、カッコいいぐらいは言ってあげる!」
ヴィクトリアはこの場所を騎士たちに任せて駆け出した。
踏みしめるは鉄の床、駆け抜けるは見知らぬ機器たち。
その全てがヴィクトリアの知っている世界のものではない。異質なオブジェクトだった。自分はなにと戦っているのか。自分たちでは敵わない異世界の超技術と対峙しているのかもしれない。
ヴィクトリアは唇を噛みしめた。
自分のような、ごく普通の非力な人間が立ち向かう相手ではない。だがそれは今に始まったことではないだろう。本当は傷を少しだけ癒せる回復魔法しか使えない神官で、ゾンビのような強大な敵に立ち向かうのは分相応とは言い難い。偶然、回復魔法が攻撃手段として作用したから、こうして一番前に立って戦っているだけであって。
でも今逃げたら、相棒を見捨てることになる。
不気味な肉片が入った培養器が立ち並ぶ研究室へと、ヴィクトリアは足を踏み入れた。
脳裏に蘇るのは明日音との日々。二週間ほどしかなかったなかで、沢山のことがあった。
異世界出身の明日音からその世界の文化のことを聞いたり、ヴィクトリアがこちらの世界のことを教えたり。それから美味しい飯を食べて笑い合った。それと同じぐらいマズい飯を食べて苦笑いし合った。
彼女は人間じゃないかもしれない。ゾンビかもしれない。
だがヴィクトリアにとって、相棒であることに代わりはない。
あの日、あの時、出会い方は歪だったけど―――。
「明日音……」
壁にかけてあった日本刀を見つけて、ヴィクトリアは手に取る。彼女がむこうの世界で愛用していたという得物と聞いていた。きっとこれがあれば、今まで以上に戦えるはずだ。
「あんたは絶対に死なせない」
―――かけがえのない存在になってしまった。
ゾンビがこの世界からいなくなったとして。ごく普通の冴えない不良神官に戻ったとしても、ずっと一緒にいたいと思える存在。背中を預けられ、心の底から信頼できる相手。親友かもしれない、恋人になるかもしれない。でもそれだけは未来永劫変わらない事実としてあり続ける。
日本刀の鞘を手に取った右手に、エリーナの手の温もりが重なった気がした。
(……ありがとう、エリーナ)
胸元の魔紋石のペンダントを左手で握り締め、ヴィクトリアは顔を上げて再び駆け出した。梯子を昇り甲板に上がると、前方から伸びた金属の階段を駆け下りる。周囲が本棚の壁となった広大な空間を、ヴィクトリアは走り続けた。立ち並ぶ柱を避けつつ、戦闘音のする方向へと直進していく。
「ヴィクトリア! 君だけは絶対に守り抜く!」
声が聞こえた。明日音の声だ。
ヴィクトリアの視界に映った彼女は決意を口にしているようだったが、傍から見れば自暴自棄だ。負傷した状態でバカみたいに真正面から突っ込んで、倒れてくる柱にすら気づけていない。
荒くなった息を吐き捨て、淀んだ空気を吸い込んで、
まだ、終わりじゃないでしょ―――
あたしと、
あんたは!
「明日音の馬鹿野郎ッッッ!」
倒れてくる柱に気づかず猛進している彼女の体をヴィクトリアは抱きしめて、そのまま突き飛ばすように一緒に大理石の地面に転がっていく。土煙が立ち昇り、二人の姿を飲み込んでいった。




