29.異世界という、ありえなくてバカみたいな本当の話
ヴィクトリアたち生存者はジークフリードの魔法によって全員意識を奪われた後、研究施設の一室に監禁するとのことだった。明日音が役目を果たしたとき、彼女らは解放される―――そう、ミカエルは言っていた。
「お友達たちのことは安心したまえ。僕は約束だけは今までの人生で一度も破ったことがない」
「その言葉を信じるとでも?」
「いずれ信じるだろうさ。さて、君にお願いをする前に少し話をしよう。どこから聞きたい?」
ミカエルは廊下を歩きながら、天井を眺めて考え始める。後ろを歩いている明日音のほうは見ていない。しかし端末を持った右手は白衣のポケットの中だ。この男、不用心に見えて警戒心は捨てていない。むしろ相手に油断をさせつつ、自分は盤石の状態でいることに安心感を抱くタイプの人間だ。
「…………」
「黙るなよぉ。寂しいじゃないか」
「貴様は私が黙っていても、構わず話し出すだろう。無駄は嫌いだ」
「あれ? そんなに僕って話好きに見えた?」
陽気に受け答えするミカエルから殺意は感じ取れない。
「でも正解だ。なんといっても、この世界で人と話すのは二カ月ぶりだからね」
ミカエルが明日音を連れて行った先は、電子機器が壁一面に広がった部屋だった。試験管や培養器がいくつも並び立っており、その中には肉片や臓器、未完成の人間など様々な被検体が浮かんでいる。研究室だろうか。明日音の記憶にもない、異様な空間が広がっていた。
「これは……」
「異世界で収集した〝サンプル〟たちだよ」
「貴様……地上に出ていたのか」
「もちろん現地の人間を雇って収集は行ったよ」
「その雇った奴らはいないようだが……有期雇用だったわけか」
「化学の分からない馬鹿どもがいても食糧の無駄だろ? かといって外に放り出せば、ここのことをバラされるかもしれない。だから処分したよ」
笑みを浮かべたミカエルの表情に、明日音は唾を飲み込む。このまま口の中に唾があれば、吐きつけてしまうかもしれなかった。
「まぁそれでもジークフリードくんのように上手くいったのは数体で、ほとんどが変異体にすらなれずに死に絶えた。正直、萎える結果だったよね」
「魔法が使えるゾンビ、というのは成功体ではないのか?」
「僕が生み出したいのは兵器じゃない」
ふと、明日音は壁のほうにある〝日本刀〟に視線が移った。実験器具や培養器で溢れたこの場所で明らかな異物として存在したそれは、鞘に収まった状態で壁にかけてあった。
「これは船長の私物だよ。避難するときにゾンビ対策に持ち歩いていたものさ。やはり日本人はいつまで経ってもサムライの心を忘れないのかね」
「船長……?」
「ああ、そうさ。この研究所は貨物船を流用して造られた、いわば洋上施設さ」
「なるほど。洋上であればゾンビも襲ってこない。ゾンビパンデミック時でも悠長に研究を続けられた理由がそれか」
「ご明察」
研究部屋を抜けて、梯子を昇っていくと甲板へと出た。貨物コンテナがいくつも積み上がったところを過ぎ、周囲を見渡せる前方部分へとたどり着いた。
「なんだ、ここは……」
周囲に広がるのは海ではなく、広大な〝空間〟だった。少なくとも一辺が五〇〇メートル以上はある正六面体の空間。なにより異様だったのは壁が全て本棚になっていたことだ。一冊一冊が全く違う書物で、この世の全ての書物が一面に広がっているような感覚がした。
柱がいくつも建ち並んでおり、そのうちのいくつか船体にめり込んでいた。明日音が今までいた船は、船体の半分ほどを壁に埋まった状態でいた。そもそも地中に船舶が埋まっていることすらおかしいのだ。
「…………?」
ふと、明日音は正六面体の広大な空間の端に横穴があるのに気がついた。高さからして二mほどの横穴、周囲に四散する木片や土などから掘られて間もないことが分かる。脱出に使えるかもしれない。そう明日音は思った。
「聖域、というらしい。ここが世界の中心、僕らの世界と異世界を繋ぐ場所……」
ミカエルは足元に落ちていた書物を手に取り語り始めた。
「量子力学の観測問題の解釈、ブラックホールの多元宇宙論。だがそれらは仮説にしか過ぎなかった。いくら存在するかもしれないものを叫ぼうとも、〝返事〟がなければ意味がない。だがある日、私はその〝返事〟を偶然にも耳にすることができた」
「……なにが言いたい」
「観測したのさ。異世界に転移した人間……正確には感染者をね。物質が異世界へと転移する瞬間の観測データを元に、異世界の多元宇宙上での座標を算出。あとは元々、ゾンビパンデミックが起きる前に開発されていた〝装置〟を用いて転移した。あとは異世界側の転移システムに干渉して……」
「そんなことを、お前一人で……」
「一人じゃなかったさ。何十人といた。ゾンビで溢れかえった地球から逃げ出して、新天地へと旅立ちたい者はその一〇倍はいたけど。まぁでも転移できたのは僕一人だったけどね。座標軸がズレていたのさ。大多数は―――」
ミカエルは天井を指さして、
「転移と同時に生き埋めさ。もしくは転移時の一時的な肉体の粒子化に耐えきれず、上半身と下半身が分離した状態で転移したか。いずれにせよ愉快な光景には違いなかったよ」
「……よりによって一番のクズが生き残るとはな」
「褒め言葉として受け取ろう。僕はポジティブな生き方を意識的に行うことで精神を安定させている。なので罵倒は通用しないよ」
「気味が悪い……」
明日音は視線を逸らす。ミカエルは書物を片手に、船体の前方部分から伸びた金属の階段に足を掛けて降り始めた。どうやら構造的に、後から設置したものだろう。手すりも無く不安定だったが、それを軽やかな歩調でミカエルは降りていく。
「転移の失敗の原因は人類の知識不足じゃなかった。異世界側の転移システムが不具合を起こしていた」
正六面体の空間のちょうど中央部分、まだ距離はあるがそこに一体のゾンビの気配を明日音は感じ取った。聖域の大理石の床に降り立ち、暫く歩くとそれは見えた。
一体の女性のゾンビだ。
全身真っ白なシースルーのドレスに、大きく左右に開いた胸元は肉が抉れていた。腰まである乱れた金髪が、血に染まった灰色の肌を隠していた。壁から伸びた鎖が両手首に打ち込まれており、彼女を拘束している。もっとも、彼女は血を求めることすら諦めたようで、細い息を吐いて肩で息をしているのみだった。飢えに耐えきれなくなったゾンビは休眠状態に入る。おそらくはその状態だろう。
「こいつはッ……!?」
明日音がこの世界で目覚めたとき、その直前に見た光景―――異世界、女神、首元を噛まれてゾンビ化―――が蘇ってくる。ここで何があったのか、明日音はようやく思い出した。
「彼女は女神。異世界の自然環境、人々の秩序、魔法の原理……あらゆるものを司る超常的存在。この世界でいう神にも等しい力を持つ生物」
ミカエルは手に持った書物を広げて、そう言った。
「異世界に行くと言葉は通じないと思ったけど、不思議なことにこの国の言語は日本語に非常に近い。標準語と関西地方の方言程度の違いしかない……。ここがある一点で僕らの世界から分岐した平行世界であるなら、言語体系が偶然一致するのも不思議ではない……と余談はここまで。ここから先が本題だ」
そっと書物を閉じて、明日音に鋭い眼を向ける。
「女神様は気まぐれか、もしくはこの世界のさらなる発展を望んでか、平行世界である僕らの世界から才能のある人材を転移させたわけだが……まさかゾンビだとは予想していなかったのだろう。神にも等しい存在でも、不意打ちには負けたってわけさ」
「…………」
明日音はただミカエルの語りに耳を傾けつつ、あることを考えていた。
自分が本当にゾンビなのかは分からない。だが、事実としてミカエルの持つ端末によって自分は動きを止められてしまう。それに対処する方法も思いついてはいるが、怪しげな行動一つ起こしてしまえばミカエルは容赦なく端末を使い、それを阻止するだろう。
まだ今じゃない。思いついた対処法を行う動作を、怪しまれることなく自然にやれるタイミングがあるはずだ―――明日音はヴィクトリアを助けたくて焦る気持ちを抑え、拳を握り締めた。
「女神様はゾンビとして自我を失う寸前、自らの暴走を悟り、世界の原理を操れる能力を封印した。自らを噛んだゾンビ……いや、Zウィルスそのものに付与した能力以外は全て、彼女の記憶の中に消えていった。そして魔法の力で鎖を召喚し、自らを拘束することで外部への流出を防いだ。素晴らしい感染予防!」
ミカエルは拍手をするが、その音は広大な空間に虚しく響き渡るだけだった。
「だが、誤算はあった。自らの構築した転移システムがZウィルスの影響で暴走し、転移させてきた僕たちの世界のゾンビたちを一二〇日後の地上へ転移させてしまったんだ。僕らはこの出来事の三〇日後にこの世界へ転移し、この書物を通じて状況を知った。それから今まで、研究に研究を重ねてきたってわけさ」
「貴様、話が下手だな。この話だけだと、私の存在は必要ないはずだ。超常の力を持った女神様はゾンビとなり、貴様の研究成果はイマイチ。残念な話だが私にしてやれることはないよ」
「それがあるんだ。君はZウィルスの申し子ともいうべき存在だ。もはやゾンビなどという呼称は君には相応しくないだろう。新人類、それが君だ」
ミカエルは先ほどまでとは打って変わって、真剣な表情に切り替わる。まるで一世一代のプロポーズをする男性のように、一生分の愛を詰め込んだ眼差しを明日音に向けていた。
「ゾンビが捕食した対象の記憶を不意に口にする現象……君も知っているだろう。ゾンビとなった人間は自我を喪失し、強く他者と精神的な繋がりを持ちたいという人間特有の本能に従い、他者を捕食……いうなれば、他者の遺伝子を自らの肉体に取り込もうとする」
「本能、か」
「有名人のスキャンダルを知りたい、同僚同士がしている上司の噂話が気になる、憧れのスター選手の生い立ちに感動する……繋がりといっても一方的なそれは、言い換えれば〝他者を知りたい〟という人間にしかない本能だ。自分と全く関係のない場所で起きた色恋沙汰に興味を持つ生命体は、人間以外存在しないからね。んん、また話が逸れてしまった」
「……それとなんの関係がある」
「悲しいかな。ゾンビには知性がないから、捕食した対象の記憶を理解することができない……だが君には知性が存在する。だから君は今まで捕食した対象の知識と経験の部分を、ほぼ完璧な状態で覚えている。不思議に思ったことはないかな? 自分は〝知りすぎている〟と。そういうことだったんだよ」
明日音の手が震える。元々いた世界でゾンビから生き延びる術は全て心得ているなんて、不自然すぎる。すべてを知っていて身に着けて、完璧超人のように立ち回れるなど、たとえゾンビのいる世界で生き延びられるほどの実力があってもできるはずがない。知識はどこかで偏るし、経験だって人一人には限界がある。
今まで、明日音が思い出していた記憶だってそうだ。最初は日本刀を持った女子高生が自分だと思っていた。だが、次は何故か〝日本刀を持った女子高生〟を「彼女」と呼んでいた。
まるで他人だ。
そして交際している女性と熱いキスをして、得物であるはずの日本刀ではなくライフル銃を手にしていた。そして明日音にはない英雄願望のようなものを抱いていた。
そもそもインターハイを目指すぐらい部活に熱中している女子高生が、煙草を吸いたいなどと思うだろうか。
明らかに異質な記憶同士が矛盾を重ねて、違和感となって蓄積していった。
「つまり君は捕食した人間の記憶を受け継ぐことができるッ!」
だがそれも、ミカエルの言葉で納得ができた。
「だからこそ君は、この女神を捕食することで彼女の記憶を―――」
「やめろ……! やめろッ!」
明日音は悲痛な叫びとともに両耳を塞いだ。




