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25.君のことが好きだから守る

 王城に逃げ込んで一週間が経過したある夜。


 ヴィクトリアの右腕の灰色は一定間隔で広がっていくようになっていた。間隔は日に日に短くなっていき、面積も徐々に広がっている。そのたびにヴィクトリアは人気のない場所に行っては、自分の右腕に向かって回復魔法を撃ち続けた。


 そうすれば灰色は一時的には消えるものの、ヴィクトリアの右腕に潜んでいるZウィルスも抵抗しているのか、激しい痛みが伴う。灰色の面積が広ければ広いほど痛みは増していき、先日は気絶してしまうほどのものであった。このままではZウィルスに殺されるよりも早く、ショック死してしまうかもしれない。


 ヴィクトリアは全身の肉をナイフで抉られたような激痛に耐え、木造の壁にもたれかかる。嫌な汗が体中にべっとりと付着し、過呼吸で苦しくなった胸元が常に上下に揺れていた。肺を縄で縛り付けているような感覚だ。


「はぁッ……ああ、くそっ……最悪……よ……」


 騎士営舎の近くにある馬小屋にヴィクトリアはいた。馬は一頭もいなかった。馬は全て出払ったまま城下町あたりを彷徨っているだろう(ゾンビは人間以外の動物は捕食しないらしい)。多少臭いはするものの、人気のない場所でなければ周りの人間に知られてしまうので、ヴィクトリアはいつもここで回復魔法を自分に使うことにしていた。


 回復魔法を右腕に撃ったあとは暫く動けないほど疲弊してしまう。荒くなった息が少しだけ整うと、吹き抜けた屋根の向こう側に見える星空に意識を飛翔させた。


 こちらの世界では空の向こうにある星には、神々が住んでいると言われている。その神々がこの世界に送った使者、それがヴィクトリアたち神官の信仰する女神という超常の存在だ。


 女神は常に世界を見ている。


 女神は世界の理を操作し、人々に繁栄をもたらしている。


 女神は人々に宿る魔力を司る存在であり、この世界の秩序と平和を護っている。


 そう、教典には書かれていた。


「……ったく、そろそろ助けてくれないかしらね、女神様も」


 こんな状況になってもなお、女神は人々の救済を行わない。きっと女神は人々に愛想を尽かして故郷である星空へと帰ったか、そもそも女神なんて存在しないか。いずれにせよ、今は祈る気にもなれなかった。


「あたし、どうしちゃったんだろ」


 ヴィクトリアは右腕に包帯を巻きつつ、そう漏らした。


 珍しく弱気ッスね。エリーナが隣にいたらそう言ってくれただろう。だが、今はヴィクトリア一人だ。胸の奥に広がるゾンビ化への恐怖や不安も、今は自分一人で背負うしかない。そう覚悟を決めたのだから、決して―――。


「きっと腹が減ったのだろう」


 夜闇の向こうから誰かの声がした。ふと前を見ると、呆れたような表情でヴィクトリアを見ている明日音がいた。両手には過熱用の魔動機械(明日音の世界ではガスコンロというらしい)と鉄鍋、それと配給されている缶詰やパンをいくつか持っている。


「あ、明日音!? どうしてここに!?」


「君の匂いがした」


「犬か」


「で、何しているのだ。まさか馬小屋の臭いが好きなのではあるまい」


 言うようになったな……とヴィクトリアは唸る。


 今ここで正直に話せば、明日音はきっと解決法を探してくれるはずだ。しかし一度は自分一人で背負うと決めたこと。本心を明かすわけにもいかず、


「魔法の練習よ! ほら、右手と左手で別々の魔法を使って合体するやつ!」


「言っていたな……」


「神官の頃は使う意味もなかったし練習してなかったけど、こうなった以上は少しでも威力の高い回復魔法を使えるようになっておかないとってさ。ほら、駅で遭遇したデカブツ? あいつを一発で殺せるような凄いのも―――」


「嘘だな」


 明日音は強引にヴィクトリアの右腕を掴むと、包帯を外した。そして閉じた傷口から僅かに広がる灰色を見て言う。


「やはり感染していたか……」


 その言い方だと、明日音は前々からヴィクトリアが感染しているかもしれないと勘づいていたのだろう。明日音はむこうの世界で生き延びてきた知識と経験のある人間だ。感染した人間の様子は沢山見てきただろうし、誤魔化し切れるはずもなかった。


「とはいえ、準感染状態だな」


「じゅんかんせん?」


「噛まれるなどして直接Zウィルスに感染した人間は、即座にゾンビ化する。が、ヴィクトリアのように傷口などから体内に入った場合、その進行は遅くなる場合が多い。感染していることには違いないが、Zウィルスはまだ全身には広がっちゃいない」


 そっと、ヴィクトリアの肩に手が置かれて、見上げると明日音の柔らかな笑みがあった。


「ゾンビになっていないのなら、やりようはある。一緒に考えよう」


 安心させるために吐いた言葉かもしれない。だが、自分一人で抱えていたときに感じた焦燥感と絶望感は掻き消されていった。胸の中に熱された鉄球が埋め込まれているかのような息苦しさが消え、久々に酸素を体に取り入れたような気がした。


「明日音……」


「方法としては単純だ」


「どうしたらいいの……?」


「右腕を切り落とす」


「なんだぁ、それだけでいいんだぁ」


「ああ、そうだ。簡単だろ?」


「ンなわけあるかァッ!」


 思わずヴィクトリアは明日音の顔面に拳を突き刺した。


「あたし右利きなんですけど!? てか、超痛いやつ! いや、痛いどころの話じゃないわよね!? ショック死するでしょ!」


「うぅ……いいパンチだ」


「じゃなくて!」


 もちろん生き延びられる以上、腕を切り落とすという選択肢はあって当然だ。しかしそうであっても、はいそれと喜べることではなかった。戦士として今まで最前線で戦っていた人間ならまだしも、危険とは無縁の世界で神官をしていたヴィクトリアにとってそれは相当な覚悟の必要なものであったのだ。


「ごめん、そうよね。右腕だけで助かるなら覚悟決めないとね。でも……時間が欲しい」


「ああ、わかった。私のほうこそすまなかった……無神経すぎたな」


「いいのよ。でも、他に方法は……」


「回復魔法はどうだった?」


「たしかに灰色は消えてくれた。だけどすぐに戻ってくる。頻度も高くなってきているし、治りそうもないわ……」


「……消えたのか?」


「ええ……一時的にだけど」


 それを聞くと明日音はしばらく考え、


「こちらの世界の魔法とやらで何とかなるかもしれない」


「え?」


「一度消えたってことは、Zウィルスは消滅したというわけだ」


「だけどすぐに戻るわよ。こんな感じに」


 ヴィクトリアは右腕を明日音に見せた。


「それは生き残ったZウィルスが増殖しているからだ。Zウィルスは身体に留まれば留まるほど強力になっていくからな」


 その結果、集合体や強靭な個体、特殊な能力を有した奴らが出てくるわけだ。と明日音は説明する。ヴィクトリアは頷きつつも、明日音のほうをジッと見て感心したように言った。


「てかよく見えるわね、こんな暗闇で」


「そ、そうか? 夜目が効くだけだぞ」


「ふーん……」


「ともかくだ。ヴィクトリアの右腕から完全にZウィルスを回復魔法で除去する手段があれば、右腕を切り落とす必要はなくなるな」


「……でも、そうしているうちに」


 手段を探し過ぎて右腕から全身に広がっていけば、もうヴィクトリアは助からない。


「ああ、分かっているさ。だから一緒に考えるんだ」


 明日音はヴィクトリアの右腕に手を添えて、


「君を死なせはしない」


「それはあたしが親友に似ているから……?」


「そうじゃない。もう記憶を追うのはやめた。これからは一個人として、君のことが好きだから守る。そう決めたんだ」


「ッ……」


 その言葉を聞いた瞬間、ヴィクトリアは真っ赤になった顔を逸らした。高まる心臓の鼓動が相手に聞こえまいと、必死に胸元を押さえる。なんなら近くにある干し草の中に突っ込みたいぐらいだ。


(イケメンかよぉ……)


 暗闇でも分かる彼女の凛とした顔立ち、突き刺さるような黒い眼差し。いつもは天然ボケの不器用女と思って侮っていたが、今の彼女は間違いなく〝美形〟だった。しかも夜空のもと、静寂のなか、二人きり。星空の光が二人を照らすこの状況。もはや相手が異性だろうと同性だろうと関係なく、惚れてしまうヤツだった。


「どうした?」


「うるひゃい……」


 両手で真っ赤な顔を隠しながら、ヴィクトリアは声を絞り出す。

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