22.相棒のキスの記憶
王座の間での一件のあと、ヴィクトリアはトイレの個室に向かって自らの右腕を確認した。朝からずっと違和感のようなものが付きまとってきている。
右腕の傷口は閉じたが定期的に鋭い痛みと痺れがあり、その周囲は灰色に染まったままだった。昨晩見たときよりも、灰色の部分は増えてきている。このまま全身に広がるのは時間の問題だった。
(やはり感染している……進行は遅いけど、確実に……)
今のところ精神に異常はない。だがそのうち人を喰らいたくなるかもしれない。経過を見て考えるべきではない。
確かめる方法が一つだけ、ヴィクトリアにはあった。
『魔紋展開―――』
下手をすれば全身が吹っ飛ぶかもしれない。そうでなくても、ゾンビ化した箇所だけ吹き飛んで致命傷になることも考えられる。
明日音に相談しても良かった。
だが自分の記憶のことで悩んでいる彼女に、これ以上なにかを背負わせたくはなかった。
だからこそ自分一人で背負うことを、ヴィクトリアは覚悟する。
大丈夫だ。これで何の効果もなければ感染していなかったことになる。安心できるじゃないか。自分にそう言い聞かせて、ヴィクトリアは魔法を詠唱した。
『光の回復魔法【メディク】』
その光は赤色だった。
「アァァああぁっぁあぁぁっ……ああぁッ……あぁぁぁあぁッ!」
直後、激痛が襲いかかり、ヴィクトリアは苦痛に叫ぶ。まるで右腕が火で炙られているかのような感覚だ。皮膚の内側、骨の中心部に溶岩が流れ込んできたかのように熱く、身を焦がしていく。
やはり感染していたのか、そう思った。しかし赤い光がおさまると、ヴィクトリアの右腕の灰色は消え去っていた。
「治った……?」
しかし翌日、右腕の灰色は元に戻っていた。やっぱり感染していた。ヴィクトリアはその日から灰色になった右腕を隠すように、両腕に包帯を巻きつけるようにした。周りにバレないように、と。
結局、明日音には言いだせず、ヴィクトリアはこの問題を一人で抱えることにした。
いざとなればゾンビ化しつつある自分の頭に、回復魔法を撃つ覚悟を持って。
ヴィクトリアたちが王城に逃げ込んでから三日目の朝がきた。
城壁のさらに向こう側、フェース王国の外に広がる景色。双眼鏡で観測した結果、王国の外にもゾンビの群れが複数確認できた。王国外にあのまま脱出していたらタダでは済まなかっただろう。
王国を脱出するなら、ゾンビのいない区域を調べて安全なルートを構築する必要がある。今すぐ脱出は難しい。
現在、王城を取り囲む城壁の上には騎士たちが点在しており、城壁に押しかけているゾンビの大群を警戒している。城壁の前ですし詰め状態となっているゾンビたちは、壁を登ろうと必死に両手を動かしているが、器用さが足りずにすぐに落ちてしまう者ばかりだ。
それでも明日音曰く「なにかの拍子にゾンビたちが一か所に密集するようなことがあれば、どれほど高い壁でもゾンビの山ができた末、乗り越えられてしまう」とのことなので、こうして警戒を続けていた。ゾンビが密集しすぎていると判断した場合、あまりゾンビのいない箇所の城壁に立っている騎士たち数名が、輸血用の血液パックを城壁の前に落とす。人間の血の臭いを感じ取ったゾンビたちはそちらへと散開していく。
こうしてゾンビの密集によるリスクを軽減していた。
「ゾンビたちってさ、なに考えてるのかしらね」
ヴィクトリアも城壁の警備を行っていた。持っていた血液パックを城壁の下へと投げると、地面に落ちた袋が破れて中の血があたり一面に拭き出していく。
「むこうの世界では人間の意識を保持していた例があったな。稀ではあるが」
そう答えたのは、交代にやってきた明日音だった。明日音は対ゾンビ戦闘の指南役を引き受けており、騎士たちに自分の持つ知識を伝えている。額に滲む汗は、明日音が騎士たちと訓練を終えてきたあとだということが分かる。
「変異体というものだ。だが全員、正気を失っていた。人としての意識のまま狂うか、人としての意識を失い獣となるかの違いだと私は思っている」
そう言うと、明日音はヴィクトリアの胸元で風に揺れているペンダントに視線を移した。
「いずれにせよ〝自分〟はいなくなる。ゾンビになったとして、それは別人だ」
明日音の瞳は、ヴィクトリアには優しく映った。エリーナという少女が死んだのは君のせいではない、そう告げるように。
「ありがと」
「気にするな」
不器用で言葉足らずで向こう見ずな明日音だが、彼女なりの優しさを見せてくれるあたり、ヴィクトリアは嫌いじゃなかった。でも、だからこそ自分のことを彼女に背負わせたくない。苦しめたくない、そういう存在だった。
「記憶、あれからなんか戻った?」
「それなんだが……」
明日音は顔を赤くしてヴィクトリアから視線を逸らすと、何度か口をパクパク開け息を小出しにしつつ、意を決したように言った。
「きゃ、キャミソール姿の女の人と、き、き、キスをして、た、な……」
「恋人だったの?」
「……だったかもしれない。というか、驚かないのか? 私も女だぞ」
「ん、驚くところある? あるか。あんたみたいに不器用なヤツが恋愛なんてしちゃっているのは、ちょっと驚き」
「そうか……」
少し残念そうに明日音は言う。
「本当にいいのか? 私は女が好きらしいぞ……」
「もしくは両方かも。いいと思うけど」
「いや、つまり君を性的な目で見ているかもしれないし、好きになってしまうこともあるかもしれないんだぞ」
「……え? 見るぶんにはよくない? 好きって思われたらめちゃくちゃ嬉しいわ」
ヴィクトリアは胸を張って言った。ぼいーんぼいーんと呟きながら、胸のラインを両手でなぞる動きをする。
「ほら、どう好きになった?」
「……バカに見えるぞ」
「失礼ね! 身長か!? 身長が足りないのね!?」
「いや動きが……」
「あ、そう」
自信があったのに、とヴィクトリアは謎の動きを止め、
「別に好きになられることで悪い気にはならないわよ。どうでもいい相手からの好意でも、私は嬉しい。お高くとまっていることと、高みにいることは違うのよ。あたしは超絶美少女だから美の高みにいる存在……つまり、どんな好意も受け入れる器を持っているの。胸も大きいし」
「胸は関係ないと思うぞ」
「ともかくよ。あたしはあんたのこと嫌いじゃないし、性の対象として見てくれることは光栄に思うわ」
「……君がそう言ってくれると、安心できた。やはり君は優しいな。芯もしっかりしている。素直に尊敬するよ」
そう言うと見張り番用の双眼鏡をヴィクトリアから受け取った明日音は、
「じゃあもし、君のことを好きになったら素直に言うことにする」
「ええ、もちろん。でもあたしのファーストキスを奪いたいなら、もう少し器用に立ち回れるようになりなさい」
「善処する」
明日音は微笑みを浮かべて、拳を前に構えた。それにヴィクトリアも答えて、拳同士をコツンとぶつけ合う。
「明日は物資調達のために北の城下町に向かう。一緒に来てくれるよな、ヴィクトリア」
「ええ、もちろんよ―――」
ヴィクトリアは少し考えて、言った。
「相棒」
今の二人の関係性を一番的確に表現できる言葉は、それ以外になかった。




