21.パジャ友 狂騒曲
フェース王国の中枢部である王城は四方を〝内側の城壁〟で囲まれた要塞である。これは隣国との戦争になった際に、籠城できるようにと建国当初に設計された名残だ。そのため今でも水道設備は地下水を汲み上げる方式をとっており、外部からは独立している。周囲を取り囲む城壁は外側の二倍以上の高さであり、安易に侵入することは不可能だ。
奇しくも今回のゾンビパンデミックから難を逃れ、安全地帯として機能しているのはそれら設備のおかげといえよう。
騎士団の本部と魔法学院が併設しており、有名貴族の屋敷もいくつか点在している。生活必需品にも困らないだろう。食糧も騎士団の倉庫にあるはずだ。
問題は政府機能が十分ではないということにある。王族は偶然にも西方の隣国の戴冠式に出席しており、王宮には会計処理に奔走する世話役と数名の役人、王族の留守中に大掃除を済ませようと奮闘していたメイドたちしかいなかった。
さらに厄介なことに評議会は先日ちょうど審議を終えたあとで、仕事熱心な議員たち秘書は貧民街でチャリティー活動や工業区の有力者回りを始めており、彼らの大半がゾンビと化してしまっていた。残った権力者は呑気に王城区内で賄賂の受け渡しを行っていた議長のみであった。
かくして王城は、本部に待機していた騎士たち、王城区にて仕事や研究に従事していた者や貴族たち、ヴィクトリアたちを含む避難してきた市民たちが籠城する、この王国で唯一の安全地帯となった。
ヴィクトリアたちが王城に避難し、一夜が過ぎた。早朝。
評議会の議長が、生き残った人々を王宮内に集めた。今後のことについて話があるらしい。王族がいない今、権力者のなかで唯一生き残った議長がこの場を取り仕切るようになるのは必然であった。
普段立ち入ることのない、王座の間と呼ばれる場所に人々は集まっていた。荘厳な造りの柱が立ち並び、中央にある王座の左右にはユニコーンの銅像が立っている。吹き抜けの天井に、大理石の床、巨大な窓の外から差し込む朝日が周囲を照らし、ある種の神聖な雰囲気を感じさせた。
「……ふぁぁぁ」
戸惑う市民たちのなかで、呑気に欠伸を天井に向かって吐き出す少女がいた。ヴィクトリアだ。血だらけになった神官服は洗い物カゴに放り込んで、水玉模様のパジャマ姿だ。貴族の屋敷にあったものを無断で拝借した。
「うーん、場違い」
おそらくヴィクトリアはフェース王国で初めて、パジャマ姿で王座の間に出向いた人間だろう。周囲の人々がちゃんとした格好をしているため、少々肩身が狭く感じてしまった。
「ふむ、場違いだな」
訂正、パジャマ姿だったのはヴィクトリアだけではなかった。すぐ真横にモフモフした毛皮で全身が覆われたパジャマを着て、なぜか少し自信ありげに明日音は言った。
「……まさか、あんたと一緒とはね」
「パジャ友だな」
なんだその造語は、とヴィクトリアは思う。
周囲を見渡すと、王座の間ということで正装をしている貴族もいた。このような状況に陥っても、礼節などを守ろうとしている。
「他国からの侵略攻撃か」「噂では東の聖都で反乱が起きて……」「未完成の魔法が暴走したとも」「いずれにせよ、この状況が一刻も早く打開されることを祈るしかない……」「北城門付近では既に駆除が完了したらしいぞ」「ジークフリード団長がなんとかしてくれるはずだ」
この状況を正しく把握できている人間は、明日音と一緒にいた避難民たちぐらいだろう。
ヴィクトリアは明日音の左腕を人差し指で突っついて言った。
「ちょいちょい」
「どうした、パジャ友よ」
「これからどうするの? 議長に今後の一切を任せるつもり?」
「様子を見る。ダメそうなら私が代わりにリーダーをする」
そうこうしているうちに、髭をたくわえた横幅の広い議長が王座の間に表れて、ふんぞり返った様子で王座に座った。どうやら王座に座れたことが嬉しいらしく、ニヤニヤとした笑みを浮かべている。今にもはち切れそうな黒のジャケットに、無駄に長い金髪が特徴的だ。
「よし、私が代わろう」
「判断が早いわね」
「ああいうのはダメだ」
「え、ちょ、マジで行くの!?」
明日音は近くにいた松葉杖をついた新米の騎士から、どうせお前は使わないだろうと剣を奪い取ると、王座のほうへと早足で向かう。
議長の秘書の男が、静止に入るが明日音は彼を突き飛ばして、
「私がリーダーをしよう」
「誰だね君は!?」
「織田明日音だ」
「地位を述べろと言っている! 私は議長だぞ! たてつくのか!」
「地位は分からん! 記憶喪失だからな」
あいつコミュニケーション下手だな、とヴィクトリアはフォローに入る準備をし始めた。
「私は今回のような状況を一度体験している。君たちが恐れるゾンビという存在のことも、それにどう対処すればよいのかも全て知っている」
「記憶喪失じゃないのか! 言っていることがメチャクチャだぞ!」
「…………」
おい黙り込むな、説明を放棄するな、ヴィクトリアのなかでイライラが蓄積する。
「今から皆にゾンビに関する知識と、その対策を話す。各員指示通り動いて欲しい」
「だから今ここのリーダーは議長である私がするべきだ!」
「はっきり言う、君は無能だ。君みたいに偉そうに場を取り仕切ろうとするヤツが、ゾンビパニックでは一番足を引っ張るんだ。自覚しろ」
「偉そうに場を取り仕切ろうと乱入してきた奴が言うんじゃない!」
「…………」
議長の吐く言葉の一つ一つが刃のように鋭い正論で、ついに言い返せなくなったようだ。
「なにをやっているんだ、騎士どもは! はやくこいつを捕えろ!」
「仕方がない、斬るか」
「すとーっぷ!」
見かねたヴィクトリアが議長と明日音の間に入って、両者を制止する。
「ちょっと待ってもらえますか、議長殿! こいつは態度もデカくて、権力者に対する礼節を一切心得ていない正真正銘のクソッタレですが、言っていることは本当です!」
「ちょっとひどくないか、言い方」
「黙れバカ!」
ヴィクトリアは思いっきり明日音の頭頂部にチョップを打ち込むと、怯んで崩れた彼女の上に座って続けた。
「申し遅れました。私は東部教会に所属しているヴィクトリア・アンジェベルクという神官です。今から意見を申し上げたいと思っているのですが、よろしいでしょうか」
「なぜパジャマなのだ」
「奴に騙されました」
ヴィクトリアは明日音を指さす。
議長は暫時、思案しつつも「よかろう。申してみろ」と返事をした。神官という立場が幸いした。神官は騎士の次に市民から尊敬される役職の一つであり、議長から信用されるには十分な理由になっていた。
「ありがとうございます……では。私たち市民は明日音に助けられました。彼女がいなければ、誰一人助かってはいなかったでしょう。彼女の知識と経験は間違いなく本物です」
「そうだったのか……」
議長をはじめ、王座の間にいる人々は騒然とする。嘘だのなんだの言いがかりをつけることはできるだろうが、この状況だと妙な説得力があった。不確定な情報ばかりの状況では、なんでもいいからとりあえず安心できる方向に人間の心理は傾きやすい。
「はい。ですがご覧のとおり、明日音はリーダーには向いていません。下の者たちを惹きつけるカリスマ性を一切持ち合わせていない。ただの案山子です。バカです。おまけに態度もデカい」
「お、おう……」
「リーダーはカリスマ性に溢れ、優れた統率力を持つ最高権力者の議長。明日音はアドバイザーという立場で手を打ちませんか?」
「そうだな!」
このバカたちを言い聞かせるぐらい容易いことよ、と明日音は内心ほくそ笑む。
実際、明日音はむこうの世界の人間だ。こちらの世界の常識を一切知らないし、そんな人間に他の者たちがついてくるとは思えない。ならば一定以上の権利と立場を手に入れつつ、無難な人間をリーダーに置いて内側から操作するほうが楽だ。
そもそもここで強引に権力を手にしたところで、他の人間たちが信頼を置くわけない。避難してきた市民たちはともかく、貴族や王城での従事者は明日音がどのような人間なのか全く知らないのだから。
「ヴィクトリア、感謝する」
「いいってことよ」
「それはそうと、騙されたとはなんだ、騙されたとは」
「ジョークよ、ジョーク。こちらの世界のね」
かくして、明日音はアドバイザーという立場に落ち着き、議長から度重なる嫌味を言われながらもゾンビに関する知識や対策を人々に伝えることができた。




