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19.勇気の結果と、シャワーシーン

 暗闇のなか、ヴィクトリアは目覚めた。


 周りには誰もいない。


 真っ暗闇に一人。


 まるでこの世界に自分一人しか生きていないような感覚が、心の中に広がっていく。


 すると、目の前に光が現れた。


 たくさんの光が目の前に溢れてくる。暖かな感覚がした。それに触れたら誰かと繋がれる気がした。孤独な世界の中で、それは希望のように煌めいている。


 誰でもいい。


 誰かに共感して欲しいし、誰かに共感したいと思う。


 誰かに自分の存在を知って欲しいし、誰かの存在を知りたいと思う。


 孤独という砂漠のなかで、オアシスを見つけた旅人のような感覚だった。


 光に触れようとしたそのとき、ヴィクトリアは誰かに後ろから抱きとめられた。


「そこから先はヴィクトリア先輩が行くべきところじゃないです……」


「エリーナ……?」


 死んだはずの彼女の感覚がした。






 手を握っている感触は温もりを帯びており、なぜだかそんな温もりに助けられた気がした。


「……エリーナ」


 ヴィクトリアは静かに瞼を開ける。見覚えのある黒髪セミロングがそこにはいた。自分の手を握っていたのは、エリーナではなく明日音だったことに気づき、ここがまだ現実であることを思い出した。


「おお、目覚めたか!」


「ここは……」


 周囲を見渡す。レンガ造りの天井があった。そこかしこから人の声がした。並んでいる医療器具と、自分がベッドに横になっていることから、ここがどこかの医務室だと分かった。


 両手首には緊急輸血用の魔動機械(大きなリストバンド状の機械に圧縮された血液パックを装填し、自動的に人体に血液を流し込むもの)が取り付けられていた。ふと足元を見れば、両足首にも同じものが取り付けられている。かなり危ない状況だったらしい。


「王城の臨時医療施設だ! やはり王城は安全地帯だった……!」


「ははは……」


 どうやらヴィクトリアが倒れたあと、明日音たちは魔動列車に乗って王城まで行き、無事王城まで避難することができたようだ。右側を見ると、両足にギプス取り付けられた新米の騎士の姿があった。彼も助かったようだ。


「……うまくいって良かった」


「君のおかげだよ、ヴィクトリア」


 明日音はというと、あれだけの激戦を繰り広げたにも関わらず傷一つない笑顔をヴィクトリアに向けていた。一般人とは鍛え方が違うのか、それとも経験の差か。


「君が勇気を出して立ち向かっていなければ、私も無事では済まなかった」


「一人でも多くの人が助かるように、人事を尽くす……あたしはそう言った。あんたに口だけの女の思われたくなかったからね」


 魔動列車の運転が上手くいったようで、はやくも自らの武勇伝を語る店主の声が医務室の外の廊下からしていた。他の避難民たちも全員無事だと明日音から聞いた。


「本当に良かった……」


 絶望的な状況であっても、守るべき命の為に自分にもやれることがあった。そう思っただけで、今までの何もかもが報われた気がする。


「ヴィクトリア……泣いているのか?」


「いいえ」


 と目頭を拭うも、明日音は顔を近づけて、


「いや、泣いていたぞ。絶対」


「泣いていないわよ」


 まったく、と明日音は諦めて溜息をひとつ漏らす。


 体の調子はというと、両手両足から緊急輸血用の魔動機械が装着されたことで、むしろ血液の巡りが良くなり快調とさえいえる状態だった。しかしながら返り血だの汗だので、全身をべったりとした感覚が支配しており、過去最大級の不快感がヴィクトリアを襲っている。


 対する明日音はケロッとした表情でいる。見れば、汗もサッパリ流れて髪の毛もサラリと揺れていた。これは、とヴィクトリアは起き上がり、両手両足の空になった緊急輸血用の魔動機械を外して言う。


「明日音、シャワー浴びたわね」


「ああ、水道設備も生きているようだ」


「案内しなさい、今すぐ」


「せめてもう少し休んでから……」


「超絶美少女は一日一回シャワー浴びないと、死んじゃうのよ!」


「それは大変だな! ていうか、もう一日過ぎていないか!?」


 医務室の外から差し込む月の光が見えた。どうやらヴィクトリアは半日以上眠っていたらしい。


「だからヤバいのよ、はやくはやく!」


「お、おう! 待っていろ、今順番を取ってくる!」


 明日音は深刻な表情で急いで立ち上がると、医務室を出ていった。こいつもしかして真に受けているのか……とヴィクトリアは半目になって廊下を見ていると案の定、大声で「今すぐシャワーを浴びないと死ぬヤツがいるんだ! 順番を変わってくれ! あいつを死なせたくない!」と叫ぶ声が聞こえてきた。






 明日音の奮闘もあってか、五分後にヴィクトリアは念願のシャワーを浴びることができた。


 王城の騎士営舎のシャワーは男女共用で時間帯によって分けられている。今は男性が使っている時間帯らしいが、明日音の必死の説得(死人が出ると真顔で言っていたらしい)に応じ、特別にヴィクトリア一人の貸切となっていた。


 なお廊下の外ではシャワーの音に顔を赤くするウブな男たちと、侵入を試みる勇者たちがいるらしく、外から足音がいくつか聞こえてくる。


 シャワールームは薄い板一枚で遮られており、胴体から太ももあたりまでしか隠してくれない。つまり後頭部と膝から下は見えてしまうわけだが、


「これ以上近づいたら許さないからね」


 ゾンビと対峙したときの恐怖と比べたら大したことなかったので、警告するだけにした。シャワールームを代わってくれたお礼に、それぐらいは見せてやってもいいだろう。


「あたしがシャワーを終えて出るときには、観客の野郎どもは速やかにご退室願いますよう、クソよろしくお願いします。もしいたら、一生マスかけない体にしてやるかんな」


 ヒィィ、という声とともに観客はいなくなった。可愛い奴らじゃないか。


 ヴィクトリアはシャワーヘッドから水を出し、翠の長髪を濡らしていく。体中にこびりついた汗と汚れと、そして血の臭いが洗い流されていく感覚がした。


 そこにはゾンビ化したエリーナの匂いもあった。どこか悲しい声を上げ、必死に抗う姿が脳裏に浮かぶ。そして湧き出た喪失感が、胸を締め付けてくる。


 やれるだけやった。人事を尽くしたのだ。


 それでも救えるはずだった命があったのではないか。あのとき、負傷した騎士の異変に気づけばエリーナは噛まれずに済んだのではないか。安全地帯に逃げ延びた今、後悔が心の中に溢れだしてくる。前に進まなければならないのに、過去がそれを許さない。


「くそっ、くそっ!」


 ヴィクトリアはシャワーヘッドから流れる水をそのままに、拳を何度も壁に打ち付ける。後悔を振り切るために、何度も何度も。雫が跳ね返り、叫び声が虚しく響く。


 ふとヴィクトリアは自分の右腕に違和感があることに気がついた。電流が流れたような鋭い痛みと、その後にくる痺れ。


 シャワーによって汚れが落ちた右腕の柔肌、その一部に微かな傷があった。ほんの数センチで、目を凝らさないと見つけられないほどの小さな擦り傷……新米の騎士に助けられたとき、右腕の包帯が破れて、そこを地面に擦ったのだろう。


 まさか、と思った。


 集合体の触手を回復魔法で弾けさせたとき、その右腕にべっとりと奴の血液を浴びてしまった。いや、感染したのなら今ここにはいない。きっと大丈夫だ。


 ヴィクトリアは逸していた視線を、もう一度右腕に向ける。


 その右腕の微かな擦り傷の周りは、少しだけ灰色に染まっていた。

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