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17.そして天使は剣を持つ

 どう見ても明日音は劣勢だった。


 剣一本で最適解に近い動きで集合体を翻弄するものの、集合体から伸びた巨大な腕に吹っ飛ばされていく明日音をヴィクトリアは見た。壁に全身を打ち付けて意識を失った明日音に、勝ち目はない。


「助けに行くわ! ヤバくなったらみんなで先に逃げて!」


 足元の手のひらサイズの石ころを手に取り、ヴィクトリアは全力で走りだす。勝てなくてもいい、囮にさえなれたら……。今、自分にできることを精一杯考え抜く。


「俺も行く!」


 そう言い出したのは新米の騎士だった。ヴィクトリアの言葉を受けて奮起した彼は、その背中を追うように駆け出す。


「防御魔法ならゾンビ相手でも有効だったはず……! 俺と君で時間を稼ぐぞ!」


「わかった! 頼りにしてるわ」


 心強い味方を得たヴィクトリアは、その勢いのまま思いっきり石ころを投げた。石ころは集合体の背部の目に命中。その巨体がゆっくりとヴィクトリアの方へ向けられていく。


「このデカブツ、こっちを見ろッ!」


 あとには戻れない。ここからは出たとこ勝負だ。


 集合体は驚くべき速度で四本足を疾駆させ、ヴィクトリアのところへと猛進する。


「俺が行く!」


 そう言って新米の騎士はヴィクトリアの前に出ると、右手を前に出し、


『魔紋展開―――雷の防御魔法【バリヂア】!』


 新米の騎士の右手を中心に電流を帯びた円形のバリアが発生する。バリアは集合体の巨躯を受け止めると、その衝撃で亀裂が入った。これほどの巨体なら突進するだけでも、強力な質量兵器として成立してしまう。


 しかしバリアは持ちこたえたようで、集合体を退かせることには成功した。


「よっしッ! 今のうちに逃げて、明日音!」


 ゾンビはどうやら自分に対して害をなす魔法、攻撃系の魔法のみ無力化する能力があるらしい。逆に言えば、それ以外の魔法は有効ということだ。


「もう一度いけそう!?」


「任せてくれ! 騎士として少しでも持ちこたえてみせる!」


 しかし集合体の再突進はなかった。代わりに細い触手が蠢き、ヴィクトリアたちの右側にあった柱に打ち込まれる。なにをしているのか一瞬理解できなかったが、柱に亀裂が入ったのを見たとき、新米の騎士はそれを理解した。


「危ないッ」


 魔法は不意打ちには弱い。魔紋を展開し詠唱するという魔法の性質上、どうしても発動までに一秒以上かかる。ゆえに新米の騎士は防御魔法を展開することなく、ヴィクトリアを両手で突き飛ばし彼女を守った。


 直後、柱は倒壊を始め、新米の騎士の体を瓦礫が飲みこんでいく。


 土煙が舞い上がるなか、瓦礫の中に人影が見えた。


「ッ!」


 ヴィクトリア自身は突き飛ばされたときに地面に右腕を打ち付けただけで済んだ。包帯が破れて多少の出血があったが、大した怪我ではない。


 それよりもだ、とヴィクトリアは起き上がり、瓦礫に足を押し潰されて動けなくなっている新米の騎士に駆け寄った。慌てて瓦礫をどかそうとするが、一人ではビクともしない。


「……がぁッ……ああ、くそ……動けない……」


「出血してる! 無理に動こうとしないで! 今瓦礫を……」


 非力なヴィクトリアの両腕は、決して瓦礫を動かすことはできないだろう。それでも諦めまいと何度も力を込める。そんなヴィクトリアを見て、新米の騎士は覚悟を決めてこう言った。


「俺が攻撃魔法を撃ちまくって集合体の気を引き付ける。その間に二人で逃げてくれ」


「ちょ、そんなんじゃあんたは……!」


「君にひどいことをした報いだよ。許されないのは分かっている。だけど、少しだけ償いをさせてくれ。最低な男として……最低限の、ケジメを……」


 状況は目に見えて絶望的だった。誰か一人が犠牲にならなければ、やり過ごせない困難であるとヴィクトリアも薄々気がついていた。ここで新米の騎士が犠牲になることで、少なくとも明日音は助けることができるだろう。


 明日音の経験や知識は今後、こちらの世界の人々がゾンビたちに対抗するための手段となりうる。ここで失うわけにはいかない。ヴィクトリアはそんな明日音と、いわば契約関係にある存在だ。明日音がこちらの世界で人を救う、その理由なのだから。


 犠牲になるべき人間は決まっている。


「……エリーナ、そうよね」


「はやく! 俺を置いて先に行け!」


 新米の騎士が叫ぶと、ヴィクトリアは顔を上げて、彼に平手を〝ぶちこんだ〟。


「んなことするかァッ!」


 否、犠牲になるべき人間なんていない。


「重いのよ、あんた! そんなことしてあたしの気持ちが晴れると思っているワケ?」


 それでもきっと、自分一人なら逃げ出していただろう。たとえ自分の信条に反したとしても生きていくことが最優先だからだ。騎士になる道を諦めたときのように、必要以上に自分が追い込まれる状況からは全力逃走するべきだと考えている。


 でも今は違う。自分の背中を見ている後輩がいる。強くて優しいと最期まで信じぬいてくれたエリーナという存在がいる。だから逃げない。


 土煙のなか、ヴィクトリアはゆっくりと立ち上がる。土煙が晴れた瞬間、集合体の触手が一斉にこちらへ向かってくるだろう。


「あたしは強くて優しいヴィクトリア。あんたの犠牲なんか必要ない」


 自分に言い聞かせるように、そう言った。


 事実、口に出してしまった時点で、もう後には戻れないものだと感じた。


「全員生きて帰らせる」


 エリーナのことで一つ、思い出したことがある。ゾンビ化していたとはいえ、そのエリーナを殺してしまったという罪悪感から、記憶の奥底に留めていたその出来事が今になって甦ってきたのだ。


 なんとかしてエリーナを助けようとしたとき、ヴィクトリアは彼女に回復魔法を使った。通常なら人体の細胞を活性化させる効果を持つ回復魔法だが、なぜかそれを使った瞬間、エリーナの体が弾け飛んだ。


 そう、回復魔法がゾンビ相手には真逆の効果に作用した。


 なにかの偶然かもしれない。混乱して事実を誤認してしまったのかもしれない。ゾンビ全体ではなく、エリーナ自身が特殊体質なのかもしれない。


 かもしれないと言い出したらキリがない、そんな仮説だった。


 失敗すれば確実に死ぬ。


「……やるよ、エリーナ」


 胸元のペンダントを握りしめ、瞳を閉じる。


「あんたの勇気、貸してもらうね」


 土煙が消え始めた。手を前に出す。


 緊張で不規則になった呼吸は整い、手の震えは止まった。自分が強く優しくあれる理由―――エリーナが、そっと手を添えてくれている気がしたから。


『魔紋展開―――』


 土煙の向こう側に集合体が見えた。その全身から細い触手がヴィクトリアに殺到していく。ヴィクトリアの右手に魔紋が浮かび上がった。


 光属性の魔紋は、天使の羽と表現されるほど美しい。


 天使とはこちらの世界で広く信仰されている《女神》の使いであるとされ、教典のなかでは「傷ついた人々を癒して回った慈悲深き存在」と明記されている。


 こちらの世界では癒し手の象徴となっている天使だが、明日音のいた〝むこうの世界〟では意味合いが少々異なっているらしい。神の使いである原義は変わらないものの、宗教によってその扱いは違う。そのなかの一つにはこうある。


 剣を持ち悪魔どもを天から追放するべく戦った、と。


『光の回復魔法【メディク】!』


 今この瞬間、ヴィクトリアの右手に宿った天使は、剣を手にしていた。


 眼前に殺到してきた細い触手は、ヴィクトリアの右手から発せられた赤い光を受けて、膨張し―――内側に発生した衝撃によって肉が抉り潰されるように、勢いよく弾けていった。鮮血をまき散らしながら、細い触手の肉片が四散していく。


 集合体はなにが起きたか理解できぬまま、大きく仰け反って後退する。


「はぁッ……はぁッ……き、効いたッ」


 集合体の返り血を浴びて真っ赤に染まった右手をもう一度構えなおし、左手に持った釘バットの感触を確かめて、ヴィクトリアは駆けた。

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