15.呪詛の不協和音
一夜明けて、死臭が漂う城下町が陽の光に照らされていく。
動く者は生ける屍、這いずる者もまた同じ。地面に広がった鮮血のキャンパスと周囲に散乱する肉片のみが、動かずにそのままであった。
市場は夜市の準備中だったらしく、木箱が横転して中の野菜や果物がそこかしこに転がっている。騎士団の営舎には反撃する間もなく弾かれた剣や槍が積み重なっており、鎧を纏ったゾンビたちが呪詛のように魔法の詠唱じみた言葉を吐き続け、呆然と立っていた。
酒場の二階で一夜を過ごしたヴィクトリアたちは、バリケードを慎重にどかして階段先までの道を確保した後、一階の両開きのドアの前で外を確認する。広場側には複数体のゾンビがおり、気づかれずに突破するのは難しい。
「……予定通り、裏口から出よう」
明日音の指揮のもと、酒場の二階に避難していた人々は裏口から脱出し、細い路地裏を通って魔動列車の駅へと向かう。
フェース王国は山側の西から、農園地区の広がる東にかけて下り坂であり、特に東の城下町付近は高低差の激しい地形だ。ゆえに階段がそこかしこに存在し、階段の上り下りが苦手なゾンビに対しては有利なスポットといえよう。
先行する明日音がゾンビの少ない場所を見つけ出し、そこにいるゾンビを排除したのち、皆を誘導する。ヴィクトリアは後方から迫りくるゾンビを迎撃する役割を担っていた。新米の騎士は明日音とヴィクトリアの中間地点にて、建物の上からゾンビが落ちてこないか監視し続ける役だ。
(……今のところ順調。ゾンビの襲撃もないわね)
ヴィクトリアは両手両足に保護用の包帯をした状態で、後方の警戒に徹していた。
負傷しやすい両手両足を包帯で保護することで、擦り傷など軽い怪我を防ぐ目的があるらしい。明日音いわく、ゾンビの血液を傷口に浴びるだけでも感染することがあるようだ。戦闘になってもできるかぎり返り血は浴びないよう、気をつけろとのこと。
(……とはいえ、私の出る幕はなさそうね)
基本的にゾンビの排除は明日音が行ってくれているため、ヴィクトリアの出番はない。両手に握られた棍棒は新品同様だ。棍棒には釘がいくつも打ち込まれており、殺傷力が上げられている。むこうの世界では〝釘バット〟と呼ばれるらしいそれは、素人でもそれなりに扱える武器だと明日音から渡されたものだった。
路地裏を抜けつつ、大通りを突っ切ると半円の形をした屋根が特徴的な魔動列車の駅が見えてきた。魔動列車は市民にとって主要な交通手段の一つだ。これを用いて自宅から仕事場まで通う者も多く、早朝は混雑している。
しかし今は誰もいない。おびただしい量の血痕がそこかしこにあるものの、ゾンビの姿はまるでなかった。
「妙だな……」
「ここにゾンビがいないってことは、逆に他の場所にたくさんいるってことでしょ? ルートを変えるべきじゃないと思うわ」
「そうだ。戻ってくる前に、魔動列車でおさらばしないか?」
新米の騎士も、ヴィクトリアの言うことに賛同した。とにかく早く安全地帯まで逃げ延びたいというのは、人々の共通の願いであった。
「わかった、だが警戒はしよう」
明日音もそんな彼らの気持ちを無碍にするわけにもいかず、前進することを決めた。
切符を切る車掌がいない改札を抜けると、半円状にガラスの天井が広がるプラットフォームに出た。広大なその場所の一番奥に、点検用の車両が一台だけ格納されているのが見える。あれを使って王城まで向かうのだ。
魔動列車の運転は酒場の店主が行う予定だ。魔動機械の中でも複雑な操作を必要とする部類のものだが、魔動技師であれば問題なく動かせる。店主は趣味で魔動機械の製作を行っていたので、多少の心得はあるだろう。
「なに、わしに任せてくれ。こう見えても昔は魔動列車乗りに憧れておったのじゃ」
「あー、うん、期待しているわ。女神のご加護を」
ヴィクトリアはせめて店主の根拠のない自信が奇跡的に本物になることを女神に祈っていた。神官なので通じてくれるはず、多分。
そのときだった。新米の騎士が天井を指さして言った。
「な、なぁ、アレ……幻覚じゃねぇよな、俺がおかしくなったんじゃないよな?」
新米の騎士の声色は震えていた。今さらゾンビ相手にする反応ではない。まるでそれ以上のおぞましい何かを見てしまったような、発狂寸前の様子だった。
「天井のガラスの向こう、バケモノがいる……」
彼の声に、皆が一斉に天井へと視線を向けた。
こちらの世界にもモンスターは存在する。体内の魔力の変化によって突然変異した翼の生えた巨大トカゲ―――ドラゴンや、角の生えた馬―――ユニコーンなど。しかしそれらは生物の範疇を逸脱していない。一つの生命体であると感じさせるものであり、そこには自然の尊さがあるはずだ。
しかしそこにいた四足歩行の巨獣には、自然や生命の尊さは存在しなかった。むしろ、それらを愚弄するようなおぞましい姿だ。全身が粘土のように融合した人間の体で構成されており、そこかしこに目と鼻と口がある。継ぎ目の皮膚は裂けて、赤々とした肉と粘度の高い血液が漏れ出していた。灰色の肌であることから、ゾンビが集まってできたなにかであることは辛うじて理解できた。
どこが頭なのかすら分からない巨獣は、ガラス越しにヴィクトリアたち生存者の一群を見つけると、ガラスを叩き割ってプラットフォームへと落下していく。着地時に肉を四散させつつも、動じることなく立ち上がる。
「な、なによアレッ……」
対峙して改めてその大きさに驚愕した。成人男性の三倍以上の全長に、各所から伸びた細い腕たち。おそらく一〇〇体以上のゾンビが合体しているのだろう。そしてなにより恐ろしかったのは、一〇〇体以上いるゾンビの口から「アァァ……」という呻き声が漏れ出していることだった。それがいくつも響きあい、重々しい呪詛として人々の正気を失わせていく。
「集合体だと……!? どうしてこんな時期から……」
明日音は事情を知っているようだが、それでもなお驚きを隠せない様子だった。彼女がゾンビのことで驚いたのは、ヴィクトリアが見ているなかでは初めてだ。それほど予想外の存在だったらしい。
「明日音! あのデカブツもやれそう!?」
「無理だ! こちらの世界の剣では倒せない! 最低でも爆発物や重火器がないと対処が難しい相手だ……今は逃げるしかない!」
明日音は言い切ると、集合体に向かって剣を構えて、
「私が囮になって引き付ける! そのあいだに、皆は列車に乗り込め!」
「できるの!?」
「やるしかないだろ! あとで合流する!」
「ッ……!」
明日音なら大丈夫だ。そうは思っていてもヴィクトリアは歯噛みせざるを得ない。
そんな想いを振り切るように、ヴィクトリアは皆を誘導するため駆け出した。




