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14.あったかくて気持ちがいい

「断る」


 ヴィクトリアは彼の言葉を遮るように言った。恐怖がなかったわけではない。だが、ゾンビになったエリーナに押し倒されたときと比べたら大したことはないと思えた。


「あたしは本命以外の人と寝るぐらいなら、クソ汚い個室トイレでマス掻いていたほうが一億倍マシだと思っているわ」


 ヴィクトリアは、血走った彼の目をまっすぐ見返して続けた。


「あんたの気持ちも分かる。仲間が全員死んで、なにもかも失って。ヤケになったところにあたしみたいな超絶美少女が現れたら、こうもなるはずよ」


「いや……超絶とまでは」


「今ここでゾンビの餌にしてあげようか?」


 新米の騎士は慌てて首を横に振った。


「あたしは後輩に命を助けられた。これから先、生きて欲しいという願いを受け取ってしまった。あんたもそのはずよ」


 そう言って、掴んだ力の緩まったところで、右手を彼の胸元にあてて、


「助けられた命の使い方はしっかりと考えなくちゃ」


「…………すまなかった」


 すっかり新米の騎士の表情は元に戻り、高まった心臓の鼓動も落ち着き始めている。そんな彼を見て、ヴィクトリアは微笑みを浮かべて言った。


「それはそうとして、乙女の柔肌に無断で触れた罪は重い。覚悟しろよ」


「へ?」


 直後、新米の騎士の股間に強烈な一撃が打ち込まれ、気を失った彼がソファーの上から床に転げ落ちていった。


 異変を感じてやってきた明日音は、その光景を目の当たりにして茫然と立ち尽くしていた。


「……何があった」


「童貞の相手をしていたの」


「襲われたのか?」


「未遂よ。許してあげて。だいぶ追い込まれていたみたいだから」


「わかった。だが警戒は必要だな。君は美少女のようだから狙われやすい」


「超絶をつけろ、超絶を」


「君は超絶美少女のようだから超絶狙われやすい」


 明日音はそう言うと剣を右手に持ったまま近くの椅子に座り、ヴィクトリアのほうをジッと見つめていた。警戒してくれているようだが、落ち着かない。


「ジッと見られていると落ち着かないんだけど。大丈夫だからさ、バリケードのほうに行きなよ」


「こういう状況下で君みたいな超絶美少女が一人で寝ているのは危ない。今夜はゾンビの数もそれほど多くないようだし、君の近くにいたほうが良いと判断した」


「だからって、ジッと見つめるのはやめなさいよ」


「わかった」


 明日音はヴィクトリアが横たわっているソファーの上に重なるように横になると、ギュッとヴィクトリアを抱きしめた。一回り大きな明日音の体は、ヴィクトリアの体に覆いかぶさる。


「なにやってんのよ、あんた」


「見つめずに君を守る方法を考えた結果、これが一番安全だと判断した」


「いや、おかしいでしょ」


 抱きしめてきた両腕は細く、しかし引き締まった筋肉の硬さが触感としてあった。腹部や両足も同様に、頑丈な筋骨が広がっている。ゾンビとの戦闘経験や乗り越えてきた修羅場の中で身につかざるを得なかったものであり、トレーニングでは決して手に入れることのできない肉体だと分かった。


 胸にある控えめな膨らみの感触がなければ、男に抱かれている気分になりそうなぐらいの体つきだった。思わずドキッとしてしまう心を押さえ込み、ヴィクトリアは明日音に言った。


「まさか慰め合おうとか言わないわよね」


「ふざけるな。私がそんな人間と思うか?」


「悪かった、訂正するわ。いたって真面目にバカなことをやっているのは理解した」


「ああ、超絶真面目だ」


「もうつけなくていいわよー」


 とはいえこの状況、相手が同性であったとしても多少は意識せざるをえないわけで。


「ムラムラしてきた?」


「していない」


「嘘ね」


「嘘じゃない。君のほうこそムラムラしているんじゃないのか?」


「馬鹿じゃないの、女相手にするわけない……」


「そうか」


「そうよ」


 正直、こんな夜に一人でいるのは怖かった。だからこそヴィクトリアは明日音を受け容れたわけだし、明日音もそれを知って気遣いとしてやってきてくれたのかもしれない。


「この際だから聞くけど、明日音の親友ってそんなに私に似ていたの?」


「外見は瓜二つだった、と、思う……記憶が曖昧で、断言はできないが」


「性格は?」


「わからない……。なにせ、名前さえも覚えていないのだから」


「……唯一、自分の記憶を取り戻せるかもしれない手掛かりがあたし、ってことね」


「ああ。事実、君に会ってからまた一つ、記憶を取り戻した」


「それってどんな記憶?」


「中年男性と話していた」


「じゃあその中年男性は、あんたの恋人かもね」


「勘弁してくれ……」


 ギュッと抱きしめる力が強くなった。そんなに嫌か、中年男性。


「記憶がないって辛いわよね。もし今までの自分を証明するものを全て忘れてしまって、自分の知らない世界に放り出されたら……不安で仕方なくなると思う。思い出って、特別なものだもの。知識や経験だけじゃ人は生きていけない」


「そうでもないさ。ただ、知りたいってだけだ。自分がどういう人間だったかを」


 そう言うと明日音は俯きながらも、ヴィクトリアの耳元で漏らすように、


「……ただ、自分が空虚な人間だと思うことはある」


「空虚、か」


「性格や信条、トラウマさえも……そのどれもが自分を自分たらしめる要素だとすれば、私は〝自分〟ですらないのかもしれない。空っぽの器が機械のように無機質な行動パターンを繰り返しているだけのような。そんな感覚」


 明日音はヴィクトリアのほうを見ると笑顔を作ってみせて言った。


「私の心は、本当は空っぽなのかもな」


「悲しいこと言わないの」


 そんな明日音の両頬を掴んで、ぐぬぃっと左右に伸ばし、


「少なくともあんたはクソがつくほど真面目で、思春期拗らせた男子よりも不器用よ」


「ひゅそまじふえなのひゃ(クソ真面目なのか)」


「あんたは空っぽなんかじゃない」


 そう言って両手を話すと、ヴィクトリアは続けた。


「きっと記憶を取り戻しても、あんたはクソ真面目の不器用女だろうから安心しろってこと」


「……ああ、ありがとう」


「というわけで、今晩はあんたを湯たんぽ代わりにさせてもらうわ。いい匂いするし」


「たぶんそれ汗の臭いだぞ」


「…………」


 そうして真夜中の時間はゆっくり進んでいく。絶望の中、ほんの少しだけ心が安らいだ気がした。

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