第33話:暴走・妄想・美味しそう
翌日の朝と呼ぶには遅い時刻、ホテルをチェックアウトした士と美咲はタクシーに乗っておった。それもそんじょ其処等の物ではない。金持ち御用達の高級タクシーである。
「ねぇ、このタクシー、どこに向かってんるんですか? いい加減、説明してくださいよ」
士がすぐ隣に座る美咲に質問すると、彼女はこれから赴く街の名前だけを答えた。
「フォックスシティっていう所よ」
「聞いたことありませんね。どんなトコなんですか?」
「そうねぇ、一言で表すんなら『しがない地方都市』かな」
彼女の弁によれば、その街は都会でもなく、さりとて田舎でもない。中途半端な場所らしい。ならば、何か特産品や名物があるのか思いきや、別段そういったモノがある訳でもないそうだ。
「じゃあ、何しに行くんですか? そんなトコに」
「何しにって、行くだけよ」
「は?」
益々、意味が分からん。だが、美咲の発言でその考えが覆った。
「そこねぇ、ロケ地なのよ。ほら、あの映画の」
その映画の名前を彼女が告げると、士は『へぇ』と唸って納得。自分も観た事がある有名な作品であったので、僅かに興奮した。
「まぁ、それが名物と言えば名物ね。それしか無いから、『これでもか!』ってぐらい全面に押し出してるみたいだけど」
「はぁ、そこに行くのが今回の本当の目的ですか」
「そういうこと。君も嬉しいでしょ?」
「まぁ、正直かなり」
件の映画は何本か続編が作られており、士はそれ等も全て観賞した。原作のゲームもプレイした事がある。その為、内心ではとても喜んでおる。流石に、はしゃぐ様な真似はせぬが。
「ところで昨日の女のことだけど……」
何の意図があってか、美咲は唐突に話題を変更。昨夜のパーティーで、士が出会った女性に関しての事である。
「なんですか? やっぱり気になるんですか?」
「別に君が考えてるようなことじゃないわよ」
「じゃあ、なんで急に?」
「いや、たいしたことじゃないんだけど、彼女は何語を喋ってたのかなって」
美咲はあの時、士と彼女の話し声が少々聞こえておったと言う。
「何語って……そりゃ英語でしょ?」
「いいえ、違うわ。彼女が使ってたのは他の言語よ」
英語が堪能な彼女が言うのであれば、それは真実であろう。因みに、士の口から発せられておった言葉は普通に聞き取れたとも供述した。つまり日本語だ。
「それってそんなに重要なことですか?」
「気になるのよ。聞いたことのない言語だったから」
「そんなのいくらでもあるでしょ」
「それはそうだけど……」
何ヶ国語も操れる美咲であるが、知識にない言語も数多い。
「うーん、見た目は白人でしたけど、アメリカ人じゃなかったんですかね、彼女」
「アメリカに居るコーカソイドが必ずしも英語を使えるとは限らないもんねぇ。当たり前だけど。ま、英語圏じゃない国の出身なんでしょうね、多分」
これにて美咲の疑問は解消。車内は暫く静寂に包まれた。ふと、彼女の方を見遣ると、何か様子がおかしい。蟀谷に指を当て、顔を顰めておる。
「どうしました? 二日酔いですか?」
昨晩、美咲はパーティーで少量ながらも酒を引っ掛けた。彼女はアルコールに弱い訳ではないが、やや度数の高い酒を呷ったのかも知れん。加えて、食事もあまり摂っておらんかった。故に、士は宿酔を疑った。
「あんなので二日酔いなんかなんないわよ。シャンパン四~五杯しか飲んでないのよ?」
しかし、その予想は的外れも良いところであった。
「でも、なんか具合悪そうですよ?」
「ん~、それが不思議なのよねぇ。なんか起きてからずっと頭が痛いのよ」
美咲はそう言って額を擦る。
「二日酔いじゃないとしたら……風邪?」
素人目ではあるが、自然とその様な診断を下す士。他に考え付かんのでな。
「私もそう思って朝ごはんの後に薬は飲んだわ、いちおう」
美咲も士と同様の結論に至ったらしく、乗車前に日本から持参した風邪薬だか鎮痛解熱剤だかを服用済みであった。
「せっかくの旅行でカゼ引くなんてツイてないですね」
「ハン! こんなの気合ですぐ治してみせるわよ」
そう意気込む美咲を見ておると、もう既に治癒しておる様な錯覚に陥る。そもそも罹っておったのかさえも怪しい。勿論、それに越した事はないが。
それからもタクシーは順調に進み、一時間も経たぬ間に目的の街に入った。合間にトイレ休憩を挟みたかったが、生憎それに相応しい場所は見当たらんかった。二人共、催したりせんかったので特に問題なかったが。
「思ったより早く着いちゃったわねぇ」
更にタクシーを走らせ、今晩泊まるホテル前に到着。やはりというか何というか、相変わらず一泊の料金が高そうなホテルである。それは良いとして、早速チェックインする為に受付カウンターに向かう。其処で手続きを素早く終わらせ、宿泊する部屋の鍵を受け取った二人はエレベーターに乗り込んだ。
「荷物置いたらどうします? すぐ街に出ますか?」
「ん~、そうね。お昼も外で取るつもりだったし、そうしましょうか」
今後の予定が決まり、部屋に荷物を置いた二人は整理もそこそこに、貴重品やハンドバッグだけを持って街へと繰り出した。すると確かに、此処には見覚えのある景観が多々あった。例えば、仲間の一人がその身を犠牲にして皆を逃がす大広場、終盤で最後の砦にも決戦の地にもなった警察署、果ては主人公が知らず知らずの間に敵の首魁と邂逅する路地裏までもが、銀幕の中と一緒の光景が士の目に焼き付いた。
「あっ! ここ! 主人公とヒロインが最初に顔を合わせたトコですよね?!」
程無くして、二人はとある通りにやって来た。
「そうね。で、あっちはその後に逃げ込むガンショップね」
「へぇ。ん? でもここ普通のカフェ、っていうかレストランみたいですよ」
「あら? 本当ね」
「外観は映画で見たままだから、そうだとは思いますが」
「撮影のために店舗を借りてただけなのかしらね。まぁ、どっちでもイイわ」
もうそろそろ時計の針が正午を指そうという頃、二人はこの店で昼食を頂く事にした。中に入ると、取り立てて変わったところのない凡庸なレストランであると判明。それは兎も角として、席に着いて早々、美咲はクラブハウスサンドイッチとビーンチャウダー、士はコーンチャウダーとパンとサラダが付いたビーフステーキのセットを頼んだ。ドリンクは、それぞれオレンジジュースとコーラを選んだ。
料理を注文し終えた事で、少し心が落ち着いた士。周りを見渡せる余裕も出来たので、他の座席に目を配ると数名の客が居る事を確認。誰も彼もが一様に英語で話しておるが、今の士には何の不都合もなく聞こえてくる。だからなのか、気が付けば近くに座っておる熟年夫婦らしき一組の男女の会話に耳を傾けておった。
「ちょっとアンタ、聞いてるの?」
「あー、聞いとるよ。それってコレのことじゃないのか?」
そう述べる男性の声と共に、ガサリと紙が擦れる音がした。多分、新聞紙を妻に見せたのだ。
「えっ?! あー! そうよ! コレよコレ! 気の毒にねぇ」
「ああ、子供が独り立ちした矢先だというのに、なんと運の悪い。おおかた、クマかオオカミにでも襲われたんだろうよ」
夫の声色には悲哀が滲み出ておる。話の内容から察するに、知人が亡くなった様だ。それも山中か、もしくは人里に下りて来た獣に喰い殺された模様。
「そう思うでしょ?」
そんな彼の推理に、妻が待ったを掛ける。
「斜向かいの奥さんに聞いたんだけどね……」
「あー、たしか旦那が役人の」
「そう、その人。でね、奥さんが旦那さんに聞いたらしいんだけど、どうも獣の仕業じゃないらしいの」
奥方が繰り広げる噂話に興味をそそられた士は、より一層聞き耳を立てる。
「なんでも、傍に人の歯が落ちてたんですって」
「歯ぁ?」
「うん。しかも、死体に噛み痕もあったんだって」
「そりゃそうだろ。猛獣に咬み殺されたんだから」
「だから違うって言ってるでしょ! もう! ココまで言ったら分かるでしょ!? 人間が人間の肉を噛みちぎったのよ! それも何回もね!」
とても信じられんが、もしも彼女の申しておる事が本当ならば由々しき事態である。現時点では眉唾だが。
(一回ならケンカの弾みでってことも有り得るけど何回も噛んでんのか。しかも人肉が千切れるくらいの力で。たしかに、こりゃタダごとじゃなさそうだな)
彼女の話の続きを傾聴しておると、奇妙な事にその噛み千切られたという肉片が何処からも見付からんかったそうだ。獣ならいざ知らず、人間が人肉を持ち去って如何すると言うのか。
(まさか食人?)
肉片は既に、何某かの胃袋の中にあると士は推測しておる。女性の話を元に組み立てた憶測の域は出ぬが、その可能性は無きにしも非ずと言えよう。新聞にも、直接的な表現は控えつつも似た様な記述が載っておった。これは熟年夫婦の談だ。
ただ、一口に食人と言っても、その経緯は様々だ。充分な食料が手に入らず、飢餓が頂点に達して已むに已まれぬ状況下で口にしてしまう場合が最も一般的だ。
文化的な観点から探れば、相手の力を取り込むという概念の下に行われたり、その者の一部を食す事で魂を受け継ぐというある種の儀式であったりもする。更に、復讐を完遂した事を示唆する意味合いも持つ。ただし、これ等はあくまでも識者が論じた一説に過ぎぬ様だ。
また、実質的な効能の程は不明だが、信憑性が皆無にも拘らず嘗ては強壮剤や媚薬等の原料として用いられた時期もあった。或いは、単純に性欲や食欲に起因する嗜好、好きだから食べるなんて理由も見受けられる。此方は、当然ながら実社会では異常者扱いされるが。
(共食いか……オークやゴブリン共ではあるまいし、我には理解できんな)
(俺だって無理だよ。てか、まだそうと決まったワケじゃねぇぞ。ただの推測にすぎない)
(ふむ、そう決め付けるのは早計か)
ただ、人間を食材として見る性質、それ自体は否定せん。遥か昔、我が士と同じ位の年齢であったならば共感しておったかも知れんからな。現代に生きるモノ達には絶対に口外できんが。
「お待たせしましたー。ステーキセットとサンドイッチでーす」
士が夫婦の雑談に聞き入っておる途中で、ウェイトレスが二人分の料理を持って来た。目の前に現れた巨大な肉の塊を眺めておる内に、熱を帯びた鉄板の上で脂が跳ねる音を聞く毎に、香ばしい匂いに嗅覚が刺激される度に、徐々に食い気が好奇心を凌駕し始める。遂には、思考が食い意地に占領され、殺人事件の事なんぞスッカリ忘れ去ってしまった。
「おぉ~っ! やっぱ本場のステーキはデカイですね! 縦に置いても立ちそう!」
「そうね。まぁ、ステーキなら味も大丈夫でしょ。素材が悪くない限り」
それに関しては、ちゃんと御品書きに記されておった為、特に心配はしておらん。実際に読み上げたのは美咲だが。
「そっちのヤツも美味そうですね」
士は彼女の眼前にあるサンドイッチを凝視してそう言った。
「何よ。あげないわよ」
「べ、別にそんなつもりで言ったワケじゃ……いやそりゃちょっとはありましたけど」
「ならもう一つ頼む?」
「い、いえ、大丈夫です」
以上の様な遣り取りを経てから、二人は食事を開始する。
(おっ、こりゃうめぇ!)
ステーキは、割と高品質な材料と塩のみながらも絶妙な味付け、丁度良い焼き加減も相俟って中々に美味。なので、全て胃袋の中に収めるまであっという間であった。勿論、パンやスープやサラダも即行で平らげた。そして、最後に残った物はステーキの付け合わせらしき葉っぱ、というか草。フォークに刺したそれを顔の前まで持ち上げ、士は首を傾げる。
「なんだこりゃ? クレソンじゃなさそうだしなぁ」
「あー、それねー。なんか、この辺で採れる野草っていうかハーブらしいわよ」
士の疑問に、御品書きに目を遣りながら美咲が答えた。我等には読めんが、地元の売りである様で丁寧に記されておるそうだ。
「へぇ。ハーブねぇ」
そう言うと士は、名も知れぬハーブを徐に口に含む。味は微妙だが、肉の油脂でギトギトになった口内が清涼感で溢れた。後味が物凄くスッキリした。
「イイですよ、これ。肉食った後は特に」
「へーそう。じゃあ、もう行くわよ。まだ観てないトコいっぱいあるんだから」
これにて昼御飯の時間は終了。会計を済ませ、二人は店を出た。尚、士は代金をビタ一文として払っておらん。一応、財布を懐から取り出して支払う気はあるという姿勢だけは示したが、美咲がそれを軽く片手を振って制したのだ。本心では自腹を切る心算なんぞ殆ど無かったので、若干の罪悪感を覚えたが。
「ごちそうさまでした」
「いつか返してね。じゃあ、次はどこ行きましょうか」
「うーん、街中がロケ地ですからイッパイありますもんねぇ、観たいトコ」
「そうねぇ……なら、あそこはどう?」
次の行き先に悩む士に、美咲は意見を述べると同時に近隣の山を指差す。
「山、ですか?」
「ええ。オープニングで街の引きの画が映るでしょ? それを撮った場所からの景色を観るのよ」
「おっ、イイですね。是非そうしましょう。あ! でも……」
彼女の提案に、俄然乗り気になった士。しかし、後半で言葉に詰まる。その理由は、街が築かれた地形にあった。
「どの山なんですかねぇ」
フォックスシティは、四方を山に囲まれておる。その所為で、開幕のシーンが撮影された正確な地点の特定が少々面倒だ。また、これは余談だが、他の市町村に通じる道路は、山間に細い物が何本か敷かれておる程度であり、入り方は限定される。
これ等を一山ずつ虱潰しに確認しても良いのだが、美咲はそれを嫌がった。無用な登山は御免被りたいとの事だ。士も同じ心情である。ところが、その様な甘い考えは彼女によって突き崩された。
「君、ちょっと下見して来てくんない?」
正直、士はその命令に従いたくなかった。だが、日本を出発してから今までの行程を回想してみて、それでは彼女に申し訳が立たんと思った。この程度の雑事は引き受けて当然である。
「分かりました。行ってきます」
「お願いね。じゃ、私はもうちょっとブラついたらホテルに一旦戻ってるから。晩御飯までには帰って来なさいね。まぁ、君ならすぐに済むと思うけど」
「ええ、たぶん」
一見したところ、我等の感覚ではどの山も大した高さではない。士の体力であれば、それ程の時間は掛からんであろうな。
「ま、もしアレだったらホンチャンは明日に回してもイイし、なんにしろ気をつけて行ってきなさいね」
「はい。美咲さんも」
そういう訳で、士はレストラン前にて彼女とは別行動を取る事になった。




