暴走・妄想・美味しそう②
(さて、どの山から行く?)
(ふむ、迷う事はない。順に片付けて行けば良かろう)
(じゃあアレにするか)
士が最初に登ろうとした山は、四峰の中で一番高い山であった。まずは最も手間と労力を要しそうな山から攻め、楽そうな山は後回しにする算段なのだ。
(あれぐらいなら四つ全部行っても晩飯までには終わるだろ)
(分かっておるとは思うが、飛ぶなよ)
(そこまでアホじゃねぇわ)
我の忠告を受けた後、士はとても軽い足取りで山へと向かった。通常では考えられん位の軽装だが、何の問題もあるまい。
それから間もなくして山の裾野に到着。休憩もせずに登山を開始する。案の定、道中はスイスイと登って行き、三十分も経過せぬ内に頂上に到達した。
「うーん、イイ眺めだけど、映画の景色とは全然違うな」
(頂上から撮影したとは限らんのでは?)
「そりゃその通りだけど、どっちにしろこの山からじゃねぇよ。映画じゃあのビルは見えてなかった」
そう言って士が指差した先には、高くはないが外観に特徴のあるビルが建っておった。
(貴様にしてはよく覚えておるな)
「そんだけ印象が強かったんだよ」
(ふむ、そうか。ただそうなると、真向かいに在る山から撮ったということか?)
「その可能性が一番高いけど、いちおう両隣の山も調べとこう。角度によるのかもしんねぇし」
出鼻を挫かれたが、まだまだ余力は沢山残っておる。引き続き、この調子で他の山への視察も行うべく、士は歩き出した。身体を休めず、栄養も水分も補給せずに山道を突き進む。
「えーと、次はあの山か」
これから向かう方角を改めて視認する士。その先には、四峰の中で二番目に低い山が待ち構えておった。
「次は今のヤツよりは楽そうだな」
それを知って、士はホッとした。幾ら豊富な体力を有しておろうとも、簡単に済むのであればそれに越した事はない。
(お? 誰か居る)
下り坂を歩いておると、此方に向かって来る人影が見えた。歩行速度は緩やかで、俯いておる。地元の人間であろうか。取り敢えず、服装や背格好から中年の男性である事だけは判明した。
(えーと、たしかあいつは……)
これは士が天道から聞いた話だが、山を登る際に守らなければならぬルールやマナーというものがある。ゴミは捨てずに持ち帰る。火気の取り扱いには充分に注意する。狭い所で擦れ違う時は登って来る者に道を譲る。例を挙げれば、これ等が基本的かつ重要な事項だ。そして、何よりも忘れてはならんのは挨拶。どれも当たり前と言えば当たり前であるが、とても大切な事なのだ。
故に、士は前方からノロノロと歩いて来る人物に、愛想笑いを浮かべながら『こんにちは』と言った。しかし、彼方からの返事はない。ただ、歩みは遅く足取りもヨタヨタと不安定である為、一言も返せぬ程に疲労しておるのかも知れん。
(よく見たら俺と同じくらい軽装だし、散歩がてら登ったはイイけど思いのほかキツくてとんだ誤算だったなぁ、って感じか?)
山を侮った報いだ。然程高くなく、普段から慣れ親しんでおるからといって舐めて掛かった代償は、決して安くはない。
(大丈夫か? あの人。あんな調子でちゃんと街まで帰れんのかよ)
されど、通りすがりの男の事が気に懸かる士。此処で見過ごして、後で死体となって発見されたのでは寝覚めが悪い故に。
(はぁ……いちおう、声だけは掛けとくか)
なので、念の為に確かめておく事にした。
「あの、大丈夫ですか?」
士はその者に接近して話し掛けた。相変わらず返答はない。だが、これは想定の範囲内。もう一度、めげずに接触を図る。
「あのぉ……」
呼び掛ける際、其奴へ無意識に手が伸びる。それに気が付いたのか、初めて男が顔を上げて此方に視線を向けた。これで漸く意思の疎通が可能になったと判断した士は、再び尋ねる。
「大丈夫ですか?」
「う……あ……」
呻き声ではあるものの、今度は言葉が耳に届いた。
(声がかすれてんな。喉がカラカラになるくらい水も飲んでないってことか)
彼にドリンクを差し出してやりたいが、生憎自分も持ち合わせておらん。その代わりと言ってはなんだが、士はこう申し出る。
「もしよろしければ街まで送りましょうか?」
「ぎ……ギ……」
やはり、まともな反応は返ってこぬ。それもあってか、士の伸ばした手がピタリと止まった。
(いくらなんでも様子がおかしすぎねぇか? まさか……?!)
男の佇まいに違和感を覚えた士は、真っ先に麻薬常習者なのではないかと疑った。よく観察してみると、目の焦点は合っておらず口の端からは涎が垂れておる。服装は薄汚れ、半袖のシャツから見える腕の肌も荒れ放題。頬は痩せこけ、頭髪も不自然・不規則に抜け落ちておる。風呂にも入っておらぬらしく、臭いも酷い。
(こりゃ重症だな。いや、ヤク中じゃなくて痴呆かも。まぁ、どっちしろ何か起こる前に病院か警察に……)
通報しようと考え、士は携帯電話を取り出す。海外でも使用できる方法も、事前に聞いておるので問題ない。
「ガ……グ……」
「ちょっと待っててください。いま助けを……!?」
ボタンを押し、もうすぐ救急センターに繋がろうかという時、何故か男が豹変。突如として襲い掛かってきた。
「アアァァ……ッ!」
「うおっ?!」
予想外の出来事ではあったが、唐突とはいえ所詮は人間の動作。男に掴まれる前に士は素早く反撃に転じ、逆に奴を突き飛ばしてしまった。
「チッ! せっかく助けようとしたのに! なんだってんだ!」
恩を仇で返す様な彼奴の所業に憤る士。ただ、この男が本当に薬物中毒に陥っておるのならば、病院や警察に行きたがらぬ事も想像できなくもない。
「だからってほっとくワケにもいかねぇだろ。ここを通った誰かを傷付けるかもしんねぇし」
その危険性が大いにある事は、我が身を以て知った。
「もう通報はイイか。救急車なんか待ってらんねぇ。こうなったら直接連れて……あれ? あの人、どこ行った?」
士は携帯電話をポケットに収め、男を病院まで連行しようとした。ところが、彼の姿が何処にも見当たらん。
「ヤベ! やり過ぎたか!」
咄嗟の事であった為、力の加減が上手く出来ず強く押し過ぎてしまった様だ。しかも無造作に行った。それ故、飛んだ方向も見当が付かん。その考えに至り、士は慌てて彼を探す。
「ま、まさか死んでないよな?」
我等の怪力で思い切り突き飛ばしたからな。斜面を転げ落ち、その途中に在る岩石や樹木に激突した確率も高い。仮にその悲劇を避けられたとしても、受け身も取れぬ状態であろうから地面に叩き付けられでもしたら一溜まりもない。一刻も早く見付けねばならん。だが、その焦燥感とは裏腹に、周囲を必死で捜索するも一向に男を発見できぬ。
「クソッ、外国で殺人犯とか笑い話にもなんねぇっ。絶対ゴメンだぞ!」
不可抗力・正当防衛・緊急避難による行為とはいえ、外国での立証は厳しい。たとえ言葉の壁は低くとも、無罪を勝ち取る事は困難だ。更に言えば、裁判を受ける度に此方へ来たり、弁護士を雇ったりする為の暇も金もない。
「チッ! どこに?! どこに行った!?」
罪から逃れるべく、士は被害者を探し続ける。すると、その甲斐あってか、森林特有の香りに紛れて男から放たれておった異臭が鼻を突く。これを足掛かりに、その臭いが段々と強くなる方角へ辿って行けば、地面に横たわる男の姿が視界の端に映った。
「居た! 居たぞ!!」
すかさず士は彼の元へ駆け寄り、呼吸しておるか否か確認する。胸に耳を当て、平行して口元の動きに注目する。
「ヤベェッ!? 息してねぇっ!?」
そんな馬鹿な。そう言いたいが、間違いなく男の鼓動は聞こえぬ。
「まっ、まだ間に合う……っ!」
幸い、男の外傷は少なく、単なる心停止の模様。ならば、心肺蘇生を試みてみる価値はある。ただし、人工呼吸をしておる余裕はない為、胸骨圧迫(心臓マッサージ)のみを只管に行うのだ。
「えっ、えーと……たしか一分間に百回のペースだったよな……」
(いや、ちょっと待て。今の貴様が全力でやれば、胸骨が折れるどころか下にある心臓が潰れてしまうぞ)
「はぁっ?! じゃあどうすんだよっ!?」
(片手でやれ。我等の腕力ならば、それで充分な筈だ)
それに、前言も撤回しよう。片手であれば人工呼吸も併せて実行できそうだ。
「よし、ならそれで……!?」
しかし、その行いは中断せざるを得なくなった。男に救命措置を施そうとした瞬間、人の声と思しき音が鼓膜を揺らしたからだ。
(マズイ! 誰か来る!)
こんな場面を目撃されてしまえば最早言い逃れは不可能と判断し、士は逃走しようとした。だが、彼を残しての逃亡は良心が咎める。
(いっ、いや……それはさすがに良くないか。なら……)
士は考えた。コソコソ逃げたり隠れたり、ボサッと傍に留まっておるところを見られたりするから疑心を持たれるのだ。此方から接触すれば、疑惑を抱かれたりせぬ筈である。少なくとも軽減はされよう。
(あの人らに助けを求めよう)
そう決意した士は、声のする方向へ走り出した。そうすると、やがて一つの人影を視認。その者が発しておるのか、同時に声も耳に入ってくる。誰かと通信中の模様。御話し中に申し訳ないが、緊急事態だ。救援を求めるべく、その者に高速で接近する。だが、士はその行為を急遽取り止めた。其奴の正体を知ったからだ。
(ゲッ?! 警察だ!)
この様な所を歩いておる事情は推し量れんが、士の視線の先に居ったのは制服に着られておる感じのする女性警察官であった。パトロールにしては随分と辺鄙な場所を巡回しておるな。
(クッソォ……よりによってなんで……)
警察沙汰だけは避けたいのに、何故こうなるのか。士は己の運の悪さを嘆き、走る速度を一瞬落とした。
(いや……いやいやいや、こりゃ逆に好都合なんじゃねぇか?)
されど、すぐに考え方を変えた。此処で警察官と面と向かって話して証人となってくれれば、後々面倒な殊になっても対処が楽になるかも知れん。そう思ったのだ。
(そう決まれば……!)
意を決し、士は足の回転を速めた。そして、十秒程で彼女の元へ駆け寄り、大声で呼び止める。
「あの! すみません!!」




