あの女性はなぜソワソワしていたのか③
「じゃ、迷惑にならない程度に楽しみなさい。私は挨拶回りに行って来るから」
会場に入って早々、美咲はそう言い残して士から離れた。金持ちの義務を果たしに行ったのだ。
(ハァ……やることねぇし、食うか。晩飯には早いけど)
一人残され、手持ち無沙汰になった士は料理に有り付く。心成しか、日本を発ってから食べてばかりな気がする。自身の手と同じ位のサイズのフライドチキンに齧り付きながらも、常に視界の端に美咲を捉えておるところは驚嘆に値するが。
(んー、マズくはないけど、やっぱ日本のモンの方が俺には合ってんな)
とうにフライドチキンを飲み込み、士は何時の間にか一切れの大きさが学習ノートに匹敵する程のピザを頬張っておった。生意気にも料理の評価を下しつつ、平行して他の出席者にも目を配る。既に結構な人数が集合しておった。それを視認し、次はサンドイッチに手を伸ばす。その時、とある女性が目に留まった。
(あの人……なんか違和感あんな)
士が関心を寄せる女性は少し離れた所に居り、人混みの中に埋もれておった。彼女は黒いドレスを纏い、整った顔立ちをしておる。男が放っておかぬ様な容姿だ。しかし、存在感が希薄なのか、会場の真ん中辺りに立っておるにも拘らず、誰とも言葉を交わしておらぬ。だからといって食事をする訳でもない。精々、チビチビとワインを舐める程度である。そして、その事を嘆いておる様子もない。彼女にとっては、これが日常なのかも知れん。
彼女を暫く見詰めておった士であるが、此奴に初対面の女性に話し掛ける気概なんぞ有ろう筈もない。瞬きする間に、目線を隣のテーブルに置かれたミートローフに移した。相変わらず眼界内に美咲を収めておる点は、感心するどころか恐怖心すら芽生えてきそうだが。
士が料理に舌鼓を打っておる最中、今回の主催者らしき者の挨拶があった。内容は殆ど聞き流しておったが、滞りなくパーティーは続けられた。
(なんか甘いモンが欲しいな)
散々食べた挙句、士は甘味を欲した。まだ満腹にはなっておらぬが、唐突かつ猛烈に肉体が求め出したのだ。なので、デザートが置かれたテーブルを探す。すると、人々の合間を縫う様に移動しておる途中で、後方から声が聞こえた。
「あの……すみません」
振り向くまでもなく、声色で女性であると分かった。今にも消え入りそうな声だ。本当にヒトを呼び止める気があるのかと問いたくなる位にか細い。それ故か、まさか自分に言っておるのでは無かろうと思った士は、引き続き己の欲求に従って会場を練り歩く。
「あの……っ、すみません……っ」
今度は少し腹筋に力が入っておる様で、先程よりは鼓膜を刺激した。此処で漸く、もしかして自分に声を掛けておるのかと直感し、士は首を背後に回す。
(これで俺のことじゃなかったらメチャクチャ恥ずかしいな)
そういう考えも過ったが、幸か不幸かその者は紛れもなく士に用事があると見える。真後ろに立っておったからな。
「はい?」
士は問い返すと同時に、其奴を観察する。まず、女性である事は間違っておらんかった。それも綺麗な目鼻立ちをした、やや身長の高い別嬪さんだ。
(やっぱ欧米人は女の人もデカいんだなぁ)
彼女の背丈は、士の鼻の辺りまである。目視による推察に過ぎんが、一七〇cmは越えておろう。自身が知る限りで最も長身なのは美咲であるが、彼女よりも高い背の持ち主であった。
「あの、俺に何か?」
「ハイ、その……」
士が尋ねるも、彼女は言い淀む。引っ込み思案な性格なのであろうか。ならば何故、自ら話し掛けたのであろうか。
(ん? あれ? この人、さっきの人じゃ……?)
よくよく注視してみれば、彼女は先刻士が何の気なしに目を遣った真っ黒なドレスに身を包んだ女性であった。あの時は気付かんかったが、印象に強く残る真っ赤な口紅を引いておる。人見知りの割には、随分と強気な化粧だ。それとも、その考え方自体が我の単なる思い違いなのか。
「あの、話しにくいんなら外で……」
一向に用件を言わぬ彼女に痺れを切らし、士はそう提案した。ところが彼女は、首を横に振ってそれを拒否する。
「い、いえ、大丈夫、です」
「なら、俺に何の用ですか?」
士は急勝な気質なので、女性のオドオドした態度にちょっと苛つき始めた。その為、彼女に威圧感を与えぬ様に、努めて優しく訊いた。
「えっと……その……に、日系の方ですか?」
「へ? い、いいえ、れっきとした日本人ですけど」
「そ、そそうですか……っ。ごごゴメンなさい……!」
自身の勘違いを必要以上に謝罪する女性。此方が申し訳なくなってくる位、何度も頭を下げる。
「い、いや、そんな謝られることじゃ……」
士がそう言って宥めると、彼女はやっと頭を上げ下げする行為を中止した。
「す、すみません。りゅ、流暢な英語を使っていらしたし、わ、ワタシの喋り方でもちゃんと聞き取られていましたのでてっきり……」
「あー、そうだったんですか」
日本人は英語が苦手な者が多い為、彼女はそう思い込んだのであろう。実際その通りだが。
(今はズルしてるからな。ま、いつかこんなことしなくてもイイようにするさ)
(まあ気張るが良い)
さて、何とか彼女とのファーストコンタクトは完了した。これで如何にか本題に入れる。
「しっ、失礼します!」
「えっ?! あっちょっ……!!」
しかし、いざ本腰を入れて話そうとした瞬間、女性は血相を変えて走り去って行った。一体、何故。突然の事、かつ彼女が予想外に健脚であった故、引き留めようと士が口を開いた時にはとうに姿は見えぬ様になっておった。結局、彼女とは無難な会話をしただけで終わってしまった。
(なっ、なんで……?!)
あまりの事態に呆然とする士。そんな此奴の元に、役目を完遂したらしい美咲が戻って来た。
「あー、づがれだー」
慣れぬ事を嫌々やったからか、心身共に限界を迎えるのが普段よりも早かったのであろう。疲労困憊といった感じの彼女は、近くにあった椅子に力無くへたり込んだ。そして直様、士に水と軽く摘める食べ物を持って来る様に命じた。
「はい、どうぞ」
それを仰せつかった士は、すかさずミネラルウォーターをワイングラスに注ぎ、サンドイッチとチョコチップマフィンを取って来て彼女に差し出した。勿論、型紙は剥がしてある。
「食べさせて」
最早、これ等を手で保持する事さえも難儀なのか、美咲は幼児の如く要求する。仕方がないなと思いつつ、士は従順にサンドイッチを彼女の口元まで運んだ。骨が折れる作業だが、ある意味で役得である。サンドイッチをゆっくり咀嚼して少しずつ飲み込む彼女を見て、その思いは増すばかりである。
士は続けてマフィンを食べさせ、美咲が嚥下し終える頃合いを見計らって水を飲ませる。其処でようやっと、彼女は一息吐いた。
「ふー、あー、しんどいー」
「しんどいって、何人に挨拶して来たんですか?」
「二人目からは数えてないわー」
面倒臭くなるのが豪く早いな。気持ちは大いに理解できるが。
「用事はこれで終わりですか?」
「ええ、いちおうね」
「じゃあどうします?」
「うーん、やることはやったしねぇ。もう明日に備えてさっさと寝ましょうか。君も充分食べたでしょ? もしまだ食べ足りないんならいくらか包んでもらいなさい」
美咲はそう述べた後、脱力した肉体に鞭を打ってすっくと立ち上がった。先刻までの倦怠感を体現した姿勢が嘘の様だ。彼女は、もう此処に用は無いとばかりに、一直線に出口へと向かう。士も彼女を追って出て行った。尚、料理の持ち帰りはしておらん。
「そういえば、さっきの子、誰?」
丁度良いタイミングでやって来たエレベーターに乗り込むと、美咲があの女性の事について質問してきた。あの場面は目撃されておったらしい。
「なんか、私を見るなり逃げるように走って行っちゃったみたいだけど」
あの女性は、美咲が接近して来たから逃走したのであろうか。そうであるならば何故。
(ハッ?! まっ、まさか……?!)
士には如何やら思い当たる節がある模様。碌でも無さそうだが、一先ず耳を傾けてみよう。
(俺に一目惚れして勇気を出して声を掛けたのはイイけど、そこに彼女らしき連れの美女が来たモンだから慌てて退散したんだ!)
ただの馬鹿な童貞の妄想か。真剣に聞いて損したな。
「まぁ、君がナンパしようがどうでもイイのよ」
照れ隠しで申しておる訳ではなさそうだ。彼女に限らず、女性は男を謀ったり本心を偽ったりする術に長けておるから断言は出来ぬが。
「ていうか外国に来ていきなりそんなこと出来るなんて意外と度胸あんのね、君」
「い、いえ、そういうワケじゃ……」
「え?! じゃあ何? 逆ナン? 物好きねぇ、彼女も」
「いや、そういうワケでも……。てか何気に酷くないですか? あ、もしかして嫉妬してるんですかぁ?」
半ば冗談混じりでそう言うと、美咲に鼻で嗤われた。
「ハッ! 寝言は寝てから言いなさい」
本気の蔑みが籠められた口調であった。少なくとも、士はそう感じた。
(ちょっとボケただけなのにヒデー言われようだ)
余程、心外であったと見える。多分、士の発言に彼女の高い矜持が傷付いたのだ。
「ところで、明日はどうするんですか? シカゴ観光?」
エレベーターを降り、部屋へと歩を進める道中で士は明日の予定を美咲に確認した。
「いえ、明日はちょっと遠出するわ。ていうか、そっちが本来の目的だしね」
先程言っておった『まだ行ってない』場所の事か。
「遠出、って……どこ行くんですか?」
「いちおう州内だけど、タクシーで二時間くらいの所よ」
「せっかくシカゴに来たのに、なんでワザワザそんなトコに?」
士としては、この街を思う存分満喫したい。故に問う。しかし、美咲は部屋の鍵を開けながらその回答を拒否した。
「それはクルマの中で話すわ。明日は早いからもう寝ましょう。ていうか眠い……」
彼女は無防備に欠伸を晒し、覚束ぬ足取りでベッドに向かう。
「あっ、ちょっと! 風呂はどうするんですか?!」
「明日の朝に入るわー。じゃ、お休みー」
此方に背を向けたまま間延びした返事をして、彼女は寝室の扉を閉めた。相当、ストレスや疲れが溜まっておるのであろう。付き合いで、飲酒もしたかも知れん。
「明日は朝早いんじゃなかったのか。まぁ、イイや。んじゃ俺も明日に備えて寝るか」
彼女にああ言った手前、就寝前の入浴は怠れん。だが、浴槽に湯を張るのは面倒な為、士もシャワーを浴びてから眠りに就いた。
しばらく休みます




