あの女性はなぜソワソワしていたのか②
ホテルにチェックインしたその日の夕方。士は与えられた部屋で礼装に召し替えておった。
「スゲェ……ピッタリだよ……」
まだズボンだけを穿いた状態であるが、美咲から手渡されたタキシードは、まるで誂えたかの如くフィットした。脚の長さと太さが正確なのである。
(なんで俺の体型知ってんだよ、あの人)
(目測では?)
(いやそんなワケ……有り得そうだな)
或いは神城が調べたか。機会は幾度もあったのでな。
(それよりも、燕尾服ではないのは何故なのだ?)
タキシードは燕尾服に比べると、やや略式の礼服として扱われる。そういう場には、最上級の礼節を以て赴くべきである。故に疑問に思ったのだ。
(そりゃお前、タキシードの方が一般的だからだろ。いまどき燕尾服なんか着て来るヤツの方が少ねぇよ)
成程、そんなものか。時代も変わったな。
「石森君、準備できたー?」
士の着替えが完了しておらぬ中、ノックも無しに美咲が入室して来た。
「うおっ?! ちょっと! ノックぐらいしてくださいよ!」
「何を生意気な。私が取った部屋に泊らせてあげてんでしょうが。君に文句を言う資格はないのよ。だいたい男が女に着替えを見られたトコで何の問題があるワケ?」
「グッ……! あ、ありません……」
この部屋は美咲が予約したツーベッドルームスイート(寝室が二つ在るスイートルーム)、その中に設けられた一室に過ぎん。士は其処に間借りする形になる。要は同じ屋根の下で寝泊まりするという事だ。両者にとって、一部屋の方が何かと都合が良いからである。彼女は用事を言い付け易く、此奴は単純に嬉しい。そうなると確かに、更衣中に扉を開けられた位で不平不満を垂れる訳にはいかん。寧ろ喜ぶべきだ。日頃鍛え上げた自慢の肉体を誇示できるのであるから。
(うーん、ちょっと脂肪が目立ってきてるか? さっきイッパイ食ったからなぁ)
やはり見ないでくれまいか。食物の消化吸収が物凄く早い事は長所だが、今は短所となっておる。
「で? もう準備は出来たの? そろそろ行くわよ」
「ちょ……っ、もうちょっと待ってください……!!」
美咲は急かすが、まだ蝶ネクタイを結んでおらん。先刻から苦戦中なのだ。
「あーもう何チンタラやってんのよ! 貸しなさい!」
一向に形にならん様子を見て苛々した美咲は、士から蝶ネクタイを奪い取り、慣れた手付きで着けてくれた。
「なんか手慣れてますね」
「淑女の嗜みよ」
話によると、花嫁修業で覚えさせられたのだそうだ。
「これで良しっと。うん、なかなか様になってるわね。馬子にも衣装って感じ」
一応、そう申してくれたものの、褒められておる気がせんな。士も我もそう感じ取った直後、美咲は続けて言葉を紡ぐ。
「で?」
たった一文字であるが、何かを催促されておる事は我には充分に分かった。
「で?」
ところが、この馬鹿には伝わらんかった様子。彼女の台詞を鸚鵡返しするだけであった。士の勘の鈍さに業を煮やし、美咲は更に語気を強めて促す。
「で!?」
彼女の態度と先日の経験から、士は求められておる事を辛うじて察知。次は自分が褒める番だ。改めて美咲を上から下まで眺めれば、フリルの少ない白いイブニングドレスと銀色の鎖にダイヤモンドをあしらったシンプルなネックレスで着飾っておる。そして、男であれば誰もが見惚れてしまう美貌を周囲に振り撒いておる。
「そ、そのドレス、素敵ですね」
「ドレスだけ?」
「よ、よく似合ってます。えっ……と、その……と、とってもキレイ、です」
途切れ途切れながらも、何とか美咲の艶姿を称賛できた士。それを聞いた彼女は、満更でもなさそうな顔で何度か小さく頷きつつ、こう言った。
「ま、まぁ、及第点ね。語彙が貧困なのと指摘されてから言ったからまだまだだけど」
照れ隠しであろうか。若干、声が上擦っておる様な気がする。頬が赤く染まったりしておらぬ為、ただの勘違いかも知れんが。
「そ、そうですか。勉強します」
士が今後も精進していく事を誓うと、美咲は『ま、頑張んなさい。期待はしてないけど』と言い、腕時計を覗いた。
「うーん、まだ時間はあるけど……早めに行っときましょうか」
そう告げた美咲と共に、士は部屋を出た。彼女と並んで歩き、まずはエレベーターに向かう。因みに、パーティーはこのホテル内の一室で行われる。彼女の事であるから、無駄な移動が煩わしくて宿泊先に此処を選んだのであろう。
(俺、この時間って嫌いなんだよなぁ)
エレベーターの前に立ち、暫く待つ。普段ならば、その様な行為は十秒も保たん。即行で階段を使う。だが、今は隣に美女が居るから我慢できる。それが影響したのか、エレベーターは思ったよりも早く来た。扉が開き、何人か先客が降りた後に二人が乗り込む。その時、美咲の視線が自然と士の耳に注がれた。
「ん? 君、そんなの着けてたっけ?」
彼女は士の耳に装着されたイヤリングに注目し、不審そうに見詰めた。洒落っ気の欠片もない男子高校生が、いきなりアクセサリなんぞ身に着けたものだから吃驚し、訝しんでおるのだ。無論、これは御洒落な装飾用ではなく、スコットに借りた自動言語翻訳機能を有する魔界の道具である。しかし、美咲に真実を釈明する事は出来ぬ。適当にはぐらかさなくてはならん。
「えーと、あー、これはですねぇ……」
口に出すべき文言を探りつつ、士は事前に聞いた目的の階層へ行くボタンを押した。
「買ったの?」
「い、いいえ、知り合いに貰ったんですよ」
「まぁ、君ならそんなの買うお金があったら貯金するでしょうしねぇ。にしてもイヤリングを贈る知り合いねぇ……もしかして美輝ちゃん?」
「ち、違います。別の人です」
「そうよねぇ、フツー逆だもんねぇ」
男が女にアクセサリを頂いても然程嬉しくはないからな。
「じゃあ誰に、なんで貰ったの?」
美咲は更に問い詰めてくる。動き出したエレベーターの揺れと音を感じながら、士は黙考する。普通のイヤリングを頂戴したと説明しようとするからいかんのだ。幸いにして、彼女は超常的な事象に対して物分かりが良い。効能に関しては正直に話し、取得した経緯については誤魔化そう。上手くはぐらかせ。
「じ、実はですねコレ、翻訳機能が付いてるんですよ」
「ハァ?」
怪訝そうに目を細め、此方を見据える美咲。至極当然の反応である。
「いやホントなんですって!」
士は重ねて主張するが、彼女は相も変わらず正気を疑う様な目付きをしておる。判断を誤ったか。そう悟り掛けたが、実際には目論見は成功しておった。
「まぁ、そういうのがあっても不思議じゃないわよね。どうやって手に入れたのか知らないけど。ていうか便利そうね、それ。んー、けど今の私には必要ないか」
美咲は英語を喋れる故、アメリカ合衆国を始めとした大半の国で不要である。
「あーでも、他のトコに行く時に必要になるかもしんないわねぇ。ねー、その時は貸してよ」
ある程度そう提案される予感もしておったが、厄介な事になった。これはスコットからの借り物である為、又貸しは出来ん。さりとて、今更自分の物ではないとも言い出せん。
(こうなったらいっそスコットから買い取るか?)
彼であれば恐らく売却してくれる。相応の対価を差し出せば譲ってくれる。このアイテムには、以後も世話になる事は必至。それならば購入しておいても損はない。唯一、どれ程の代価を支払えば良いのかだけが気懸かりだが。
(ま、今の貯金で足りることを願おう。無理なら後払いにしてくれるよう説得すりゃイイや)
自身の預金と友人の良心に望みを託して、士は美咲の申し出を首肯。
「ええ、イイですよ」
「あっ、ちょっと待って。それってもう一組手に入らないの?」
すると彼女は意見を変え、間髪入れずこの物品を所望した。
(あー、そう来たか……)
美咲ならそう提言するであろう事も、考慮しておくべきであった。彼女には申し訳ないが、この要望の確約は不可能である。我等が仲介したとしても、スコットが人間に魔界の道具を売ってくれるか分からん。否、多分断ると思う。正式な手順を踏んでおらぬからだ。五段階位、飛ばしておる。
(そうだよなぁ。厳しいよなぁ。しゃーねぇ、ここは濁しとくか)
以上の理由により、士は諸事情を伏せて美咲にこのイヤリングの再入手は難しいとだけ伝えた。時を同じくして、エレベーターは二人が降りる階層で停止。数人と入れ違いで降車する。
「ふーん、やっぱ貴重品なのねぇ。そうよねぇ、それだけの性能があるんだもの。ねぇ、それって何ヶ国語くらい訳せるの?」
入手は諦めた様だが、興味は尽きぬらしい。
「えーと、たしか、主要な言語はだいたい翻訳してくれるみたいです。英語とかスペイン語とか」
「アラビア語とかフランス語も?」
「ええ。あと中国語とロシア語もカバーしてますし、他にも色々。まぁ、あんまりマイナーな国とか部族の言葉は無理らしいですけど。あっ、でも魚人とは会話できましたよ」
士は最後の一文だけ声を落として美咲の問いに答えた。周囲に人影はないが念の為だ。
「あー、なんか先週は大変だったみたいね。桜が愚痴ってたわ」
「そりゃあんな夜中に駆り出されたら誰だってグチの一つや二つぐらい言いたくもなりますよ」
「君は言わないの?」
「俺は別に。誰かにブツける程のことじゃないんで」
同じ思いを共有した者達が居ったからな。口外は出来んが。
「ふーん、そう」
美咲がそう呟いたところで、雑談は一旦中断。パーティー会場の扉の前、受付の机が置かれた所にやって来た。招待状に記されておった開場時刻にはまだ早いが、辺りには参加者と思しき人間が疎らに見受けられる。
(美咲さんの言った通り、見るからにカネとヒマを持て余してそうな人たちだな)
士以外のほぼ全員が、ある種の余裕を漂わせておる。反面、微妙に違う雰囲気の者もチラホラと窺える。会場の警備員や出席者の護衛の任に就いておる者共であろう。
(みんな普通の人間なのか?)
(さて、如何であろうな。資産家であればミュータントや超能力者、獣人に己の身を守らせる事はさして珍しくないそうだが)
稀に悪魔もその中に入る。世間的には隠れた存在である彼・彼女等だが、認知・利用しておる者は割と多いそうな。現に美咲もそうしておる。
「ほら、君もこっちに来なさい」
その彼女に導かれ、士も一緒に受付の前に立つ。招待状を受け取った美咲の同伴者として、このパーティーに参列する事を証明する為だ。
「はい、これ」
受付が無事に済んで其処から離れると、美咲からコサージュを渡された。これがパーティーの参加証だそうだ。男性は淡い青色、女性は濃い赤色。これを胸に飾って出席するのである。
「もう入ってイイみたいね」
てっきり待たされるかと思ったが、案外時間通りであった様だ。美咲に誘導され、士も入場する。
中に入れば、サッカーがプレイ出来そうな程に広いホールに、円形のテーブルが沢山並んでおった。その上には料理が盛られておる。
(アメリカの飯はマズイって聞くけど、こんなVIPばっか集まるトコなら大丈夫だよな?)
味の程は分からんが、そもそも富裕層のパーティーとは食事を楽しむ場所ではないぞ。様々な者と交友を深めてコネクションを築く社交場である。
(なら俺なんか関係ねぇだろ)
(そう思う気持ちは分かるが、こういう事は意外と後で活きてくるものだ。馬鹿には出来ん)
(ふーん、そういうモンか)
そうは言っても、今日の士は美咲の付き添いという形で此処に居る。悪い意味で周りの目を引く様な行為は避けた方が良い。逆に、彼女の随伴者とは雖も正式な招待客である為、誰とも全く交流せぬという姿勢も拙い。要するに、彼女の顔に泥を塗る真似はするな。
(それ要せてねぇから。てか、美咲さんも俺にそこまでのことは期待してねぇだろ。粗相しないように気をつけて、変なヤツが来た時に黙って壁になってりゃイイんだよ)
此奴に出来る事はその程度か。人生経験の乏しい若造に、先述の振る舞いを求めるのは流石に酷というものだ。多分、美咲もそれ以上は望んでおらん。無意味であると知っておるからな。




