42 妖精からの贈り物
「聖樹に戻るしかないよね」
私はレノンが用意してくれたクローゼットの扉を開けて一枚、また一枚とドレスを見て思い出す。
そして一番端にある聖樹の葉のドレスに着替えた。
でも、まだ、っていう気持ちが私の手を止めようとする。
「このドレスはレノンが初めてマノノに買ってくれたドレス。とっても嬉しかったの。初めてレノンからの贈り物。このドレスだけはマノノ、貰っていくね」
私はドレスをかばんにねじ込んでいく。
残念だけど、水筒はかばんがぱんぱんで居れることができない。
どうしよっかな。
とりあえず机の上に置いておこう。
木の剣は置いていくわ。聖樹でも作れるしね。
少しずつ聖樹に戻る準備をしていく。
私は聖樹に戻ると決めた。
でもこうして片付けていても、心のどこかでレノンが戻ってきて「マノノ様」って呼んでくれるのを待つ自分もいるの。
でも、もう泣かない。
もう決めたの。
「明日、かな」
私はふぅ、と息を吐いてソファへと体を投げ出す。
静かな時間がここへ来た日のことを思い出させる。
「……もう、大丈夫」
結局、レノンは夕方まで帰ってくることはなかった。部屋に戻ってきたレノンは満面の笑みを浮かべて今にも踊り出しそうなほどだ。
「レノン、おかえり!」
私がそう言うけれど、やっぱりレノンとは視線が合わないし、聞こえていないみたい。
私はそれでも、気づいてほしくて彼の目の前を飛び回るけれど、やっぱり駄目みたい。
目が熱くなって、鼻がツンとする。
「レノン……」
彼は私に気づかぬまま夕食を摂り、そのままベッドへと入った。
私もそれ以上は彼に近づくことはしないの。
明日はどうかな。
彼は私のことが見えるかな……。
重苦しい息が何度も私の心を締め付ける。一縷の望みを抱きながら私は寂しく夜を過ごした。
――チュンチュン。
私は朝早くに目が覚めた。彼はまだ寝ているみたい。窓をそっと押して開けた。
彼はいつもの癖で私が外で遊べるようにと鍵を掛けずにいる。そんなちょっとしたこともチクリと心が痛む。
そして私は笛を取り出して吹き始めた。
風よ、鳥よ、この笛の音をシャンに届けてちょうだい。
そう願いながら笛を吹くと、ふわりと風が私の頬を撫でた。
しばらくすると、シャンは私を心配するように部屋へと飛び込んできた。
「マノノー!」
「シャン!」
「大丈夫か!?」
聖樹から急いで飛んできてくれたみたい。髪が風でくしゃくしゃになっている。
私はシャンの姿を見て気が緩み、涙がぽろぽろと零れていく。
「うん。シャン、マノノ、マノノは、聖樹に戻るの。戻ることに決めたの。シャンにちゃんと言おうと思って。最後をちゃんと見届けてもらおうと思って」
「そっか。マノノ、よく頑張ったな」
シャンは優しく微笑み、私の頭を撫でた。
「シャンはレノンに怒っていないの? マノノがいっぱい泣いたから」
「そりゃマノノが苦しんでいるのを知っているから、怒ってはいるさ。でも俺はマノノを見守るって決めているから。マノノが決めたんなら何も言わない」
「マノノが弱いばっかりに心配かけちゃってごめんね」
「仕方がないさ。俺たち妖精は人間と違う。俺たちの感情のほとんどは好きか嫌いかしかない。俺はマノノが好きだからマノノを見守るって決めただけだ。それはマノノもそうだろう?」
「……うん。マノノはレノンが好きだから、レノンには幸せになってもらいたいの。シャンも大好き」
「だろ? ほら、人間が起きてきたぞ」
「うん」
私たちは話すのを止めて彼の方を静かに見つめた。
「ん……。なんだ、もう朝か。窓が少し開いている。昨日閉め忘れたのかもしれない」
彼は眠い目を擦りながら起き上がり、私たちに気づかないまま、窓を大きく開けた。
「今日もいい天気だ」
「レノン、おはよう!」
「今日は学院に行ったら何しよう。昼食はエリシャ様と摂る約束だったな」
「レノン、お腹が減ったね」
「……さて、ゆっくりしている場合じゃないな。時間もあまりない。着替えるか」
「レノン、マノノを見て! マノノはこっちだよ」
彼は制服に着替えてからベルを鳴らし、人を呼ぶとすぐにクスターさんがやってきた。
「レノン坊ちゃん、おはようございます。食事の準備が出来ております」
「ああ、今すぐ向かう」
「あっ、待って!」
私たちは小瓶を持ってレノンの後について食堂へと向かった。
いつもと変わらない風景。彼のお父さんとお母さんが先に席に着いていた。
「父さん、母さん、おはようございます」
「レノン、おはよう」
「おはよう。レノン、今日はエリシャ様と一緒に我が家へ戻ってくるのかしら?」
「いえ、倶楽部がありますから。帰りも遅くなると思います」
「あら、そうなの? もうすぐ卒業だし、怪我しないようにね」
「はい」
「では聖樹に祈りを」
彼のお父さんがそう言ってみんなで目を瞑り、感謝の祈りを捧げている。
「マノノ、本当にいいのか?」
「……うん。マノノ、決めたから」
「そっか」
シャンは私に最後の確認をするように聞いてきたけれど、私の気持ちは変わらない。
「レノン、最後まで気づかなかった。でも、これは仕方がないことだもん。レノン、今までありがとう」
シャンが見守る中、私はふわりと飛び、森に住む花の妖精たちからもらった花の蜜を彼らの飲み物に一滴ずつ入れていく。
彼の願いを叶えるために私はここへやってきた。
そして彼が私を忘れていく影響で家族や周りの人たちもだんだんと私のことを忘れていっているの。
ただ存在を忘れているだけだから何かの拍子で私の存在を思い出すことがある。
けれど妖精の作った物を口にすれば、私という存在が綺麗さっぱりとなかったことになる。
もちろんずっと一緒にいると決めた妖精は、契約者に渡すことはない。
妖精は願いを叶えた後、自分の住処へ戻る。
その後、人間たちが過ごしやすいように、彼らが後から後悔しないように、こうして人間たちに妖精からの最後の贈り物をするの。
「では、いただこう」
彼らは何も知らずに食事を始めた。いつものように会話をしながら。
「あら、このお茶、いつもと違ってとても華やいだ香りがするわ。口に含むと、花の蜜の香りと甘さが広がってなんだか……」
彼のお母さんは言葉を詰まらせ、一粒の涙が零れた。
「母さん、どうしたんですか?」
「いえ、……このお茶を飲むと、とても懐かしいような気がするの。とても幸せな気持ちになるけれど、どこか心が締め付けられるの」
「これはいつものお茶だろう? ふむ、確かにほのかな甘さを感じるな」
彼のお父さんもそう言葉にした後、湯気を見つめ深く考えている。
「どうしたんですか、父さんも母さんも」
「レノンもお茶を飲んでみるといいわ」
彼は両親を不思議そうに見た後、お茶を口にする。
「レノン!」
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、彼は私の顔を見た。
「レノン!」
けれど、やはり彼には私の言葉が届いていないのね。
彼は香りを確かめて記憶の糸を手繰り寄せようとしている。
「懐かしい香りがしますね。でも、私は何かを忘れているような、切ない気持ちにさせるお茶ですね」
「そうよね。不思議なお茶ね」
家族は感慨ぶかげにお茶を口に含ませた。
「失礼します。レノン坊ちゃん、時間が迫っております」
「クスター、もうそんな時間か。今日は起きるのが少し遅かったから。では父さん、母さん、行ってきます」
「ああ、気を付けて行ってきなさい」
こうしてレノンは立ち上がり、急ぐように食堂を後にし、私とシャンも一緒に食堂から出てレノンの部屋へと戻った。
―パタン。
扉は閉められ、レノンは急ぐように学院に出かけていった。




