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第52話 同じ穴の狢

高松の路地裏にある小さな店に、招かれざる「光」が差し込み始めていた。

「かつての時代の寵児、蓮見慶太。どん底からの再起!」

「高級外車を捨て、ママチャリで市場へ通う日々」

そんな扇情的な見出しとともに、望まない取材依頼が舞い込むようになった。慶太がどれほど断っても、ローカルテレビのカメラは狭い路地を塞ぎ、物珍しそうに厨房を覗き込む。彼らにとって、一世を風靡した男が煤にまみれて餃子を包む姿は、格好の「エンターテインメント」でしかなかった。

放送の反響は凄まじかった。

「テレビで見ましたよ」「頑張ってね」と声をかけてくれる客が増えた一方で、冷やかし半分に写真を撮っていく者も現れた。客数は増えたが、慶太の心は晴れなかった。義父に誓った「目の前の一人と向き合う」という静かな時間が、騒がしい喧騒にかき消されていく。

そして、その不穏な光を、闇の中からじっと見つめている男がいた。

佐伯は、テレビの画面の中で「更生」したかのように振る舞う慶太を、独り、暗い部屋で見つめていた。

店に足を運ぶことなどしない。あんな煤けた路地裏の狭い空間に、今の自分が身を置くこと自体が、自分の格を落とすように思えた。だが、画面越しに映る慶太の「誠実な職人」という仮面は、佐伯の神経を逆なでするには十分すぎるほど滑稽で、そして不快だった。

(……笑わせるな)

佐伯は、手元にあるウイスキーのグラスを、指先でゆっくりと回した。琥珀色の液体が、冷徹な光を反射している。

かつて、共に頂点を目指し、邪魔なものを力でねじ伏せてきた。蓮見慶太という男の「強欲」も「非情」も、誰よりもこの自分が引き出し、磨き上げてきた自負がある。その慶太が今さら、愛媛の老人一人死んだくらいで、過去のすべてを清算したつもりでいる。そのことが、佐伯には我慢ならなかった。

「地に足をつけた、だと……?」

佐伯は、画面の中の慶太が客に深々と頭を下げる姿を見て、低く、湿り気を帯びた声で独りごちた。

「お前をその泥沼から救い出したのは、俺だ。お前に戦い方を教え、瀬戸大橋を越えさせたのも、俺だ。それを勝手に放り出して、今さら一介の職人だと?……そんな一方的な幕引きを、俺が許すとでも思ったか」

佐伯の胸の内には、どす黒い忸怩(じくじ)たる想いが渦巻いていた。

慶太が「善人」へと回帰すればするほど、かつて共に歩んだ佐伯の人生そのものが、ただの「悪行」として歴史から消し去られるような気がしていた。自分という存在を、慶太の過去の一部として捨て去られることが、耐え難い。

慶太が絶頂にいたとき、佐伯はその影として完成されていた。

今、慶太が光の方へ歩き出すなら、佐伯はその足を掴み、再び奈落へと引きずり下ろさなければならない。それが、共に泥水を啜りながら這い上がってきた「相棒」としての、歪んだ執着だった。

「人気が出れば出るほど、お前の罪は際立つんだよ、慶太」

佐伯は、グラスの中の氷を噛み砕いた。

直接手を下す必要はない。かつて慶太が踏み躙ってきた数え切れないほどの店、裏切られた一条、そして「蓮見」という名を捨てられたことに憤る者たち。その怒りに、ほんの少しの火を灯してやればいい。

テレビが作り上げた「美談」という砂上の楼閣を、一気に崩し去るための準備を、佐伯は闇の中で着々と進めていた。

彼を突き動かしているのは、もはや利益ではない。

自分を置いて「まともな世界」へ逃げ出そうとする慶太への、執念にも似た憎悪だった。

「お前は一生、俺と同じ穴の(むじな)なんだよ。……それを、思い出させてやる」

窓の外には、高松の街の灯りが広がっている。

そのどこかに、かつての輝きを失い、煤にまみれて「幸せ」を演じている男がいる。

佐伯は冷たい笑みを浮かべ、次の「火種」を手に取った。

佐伯にとっての「誤算」は、慶太という最大の駒を失った焦りから、自らの「絶対的な審美眼」を過信したことにあった。

慶太と決別した後、佐伯が数々のヒットを飛ばして、最近手掛けたのは『本場直送・極薄皮の焼小籠包』というプロジェクトだった。彼はコンサルタントとして、その卓越した手腕を遺憾なく発揮した。洗練された店舗デザイン、インフルエンサーを動員した過熱気味のプロモーション、そして「コストの極限までの削減」。

「食など、イメージとコストのバランスに過ぎない」

それが佐伯の持論だった。彼は中国の巨大な加工工場と提携し、冷凍された小籠包を大量に輸入、店舗で焼くだけという効率的なシステムを構築した。仕入れ先の手配から物流、保健所の認可申請のサポートまで、完璧にプロデュースしたはずだった。

だが、運命は冷酷だった。

開店から数ヶ月、行列が絶えなくなったその絶頂期に、ニュースが日本中を駆け抜けた。

『輸入小籠包から、国内未認可の指定外添加物を検出』

検査の結果、工場側が品質保持のために独断で使用していた添加物が、日本の食品衛生法に抵触することが判明したのだ。食中毒こそ起きなかったものの、「未認可の化学物質」という響きは、健康志向の強い大衆にとって、どんな毒よりも恐ろしいものとして映った。

事態は、一店舗の不祥事では済まなかった。

「プロデューサー」として名前を売り、表舞台に出すぎていたことが仇となった。佐伯の徹底した「効率重視」が、結果として安全管理の杜撰(ずさん)さを招いたと糾弾されたのだ。

「責任を、取ってもらいますよ」

クライアントである運営母体からは、巨額の損害賠償を求める訴訟を起こされた。かつて慶太を追い詰めるために使った「法律」や「契約」という武器が、今度は佐伯自身の首を絞める鎖となって戻ってきたのだ。

暗い部屋で、佐伯は新聞の社会面を見つめていた。

そこには、かつて自分が「再生」と嘲笑った慶太のニュースとは対極の、地に堕ちた自分の名が躍っている。

賠償金の総額は、これまで彼が裏社会と表社会の境界で築き上げてきた財産を、根こそぎ奪い去るほどの規模だった。協力者たちは潮が引くように去り、残ったのは、幾重にも重なった訴状と、鳴り止まない取り立ての電話だけ。

「……こんな、はずでは」

佐伯は、震える手でタバコをくゆらせた。

かつて自分が慶太を操り、「蓮見餃子」を急成長させた時は、すべてが自分の手のひらの上で転がっている実感があった。だが、一から自分でプロデュースした今回の事業で、彼は「食」という、最も原始的で、最も嘘のつけない世界の恐ろしさを思い知らされた。

慶太が今、高松で包んでいる餃子の「中身」は、誰にも文句を言わせない真実だ。

一方、自分が売っていたのは、中身の正体すら知らない「虚像」だった。

忸怩たる想いは、今や鋭い殺意にも似た絶望へと変わっていた。

自分がこれほどまでに惨めな状況にあるというのに、なぜ、あの慶太だけが、愛媛の老人に許され、恵美に支えられ、小さな「幸福」を掴もうとしているのか。

「……まだだ。まだ、終わらせない」

佐伯の瞳に、濁った火が灯る。

すべてを失い、法廷という名の袋小路に追い詰められた男は、最後に残った「毒」を、慶太の輝きにぶつけるための算段を始めていた。

もはや、そこにビジネスの論理はない。

共に地獄を見たはずの男が、自分だけを置いて「光」の中へ消えていくことへの、呪いにも似た執念だけが、佐伯を突き動かしていた。

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