第11章・82節『揉む』
「14時50分発と言うことは、向こうに着くのは15時31分ですね」
ルク・ミィアが、持ってきた観光案内の紙にある時刻表を調べて、誰に伝えるでもなく言った。
それを聞きながら、カーネルシアがまだ持っていた小さなブヨ袋を、ぶよぶよと握りだした。
カズラの後ろに座った客の荷物が、座席の背中に容赦なくぶつかる。それを受け、カズラの足に添っていたしっぽが腹立たしげに動く。
カーネルシアの後ろにはミチアキモラの老女が腰を据え、膝の上に茶色の猫を入れた小さな檻を乗せた。狭い場所に入れられている割には、猫は上機嫌で甘えたような声を出している。
檻にしきりに体を擦り付けるため、抜けた毛が老女の焦げ茶色の服にまとわりついていた。老女は猫を檻の上からのぞき込みながら、小さく高い声で猫を構い始めた。
「あら、どちたの? ミーちゃん。ご機嫌でしゅね? おうちまで、もうしゅこし我慢しゅるのよ?」
カーネルシアが舌足らずな老女の言葉に反応し、驚くほどの速さで顔を横に向けた。
老女は猫に夢中で、カーネルシアの視線には気付いていない。カズラは、じっと猫の様子をうかがうカーネルシアを、何かしでかしはしないかと気をもみながら見つめた。
檻の中の猫がよだれを垂らす勢いでひっくり返り、腹を上にしてしきりに頭をあちこちに擦り付けている。
カズラは猫と人間とのキメラ種とは言え、猫の気持ちの詳細までは分からなかった。ただ、ひどく興奮して調子に乗っている事は確かだ。
カーネルシアの唇が、猫を見ながら上下にうにうにと動き出す。カズラには、猫がカーネルシアをガン見しながら、媚を売っているように見えた。
猫は両腕を無防備に上げ、片方の手を耳の裏に引っ掛けてあざとくポーズを決めた。それをカズラが思い切り殺気立った目でにらみ付ける。
「!? シャーッ!」
刹那、猫は素早く腹を下にし、体を低くさせながらカズラを威嚇した。カズラが紫の髪を逆立て、猫と同じ威嚇の声を返す。
老女がカズラに驚き、檻を持って飛ぶように席を移動した。
「何してらっしゃるんですか……カズラさん」
ルク・ミィアが呆れた目でカズラを見る。腕を組んでしかめっ面をしているカズラに気づき、カーネルシアも声をかけた。
「どちたの? カズラちゃん、不機嫌でしゅね? ポルポテッタまで、もうしゅこし我慢しゅるのよ?」
ラグが声を殺して笑いながら、黒猫が怒り散らしている絵を冊子にせっせと描き込み始める。
警笛の音が前方から聞こえ、列車がようやくゆっくりと走り出した。車内に列車の騒音と、それに抗う人々の会話が入り乱れた。
ルク・ミィアが、座席の上から少し見える高さにしっぽを張り付け、ひこひこと動かしてカーネルシアの気を引いている。
「カーネルシア、ポルポテッタに行かれたことは?」
「ん゛ん゛」
ブヨ袋を執拗にいじりながら、カーネルシアは首を横に振った。
列車の中の様子を冊子に書き込みながら、ラグが会話に入ってルク・ミィアにたずねる。
「君はあるのか?」
「ええ、何度か。毎回新しい通路が出来ていて、顧客の家にたどり着くのに苦労しますが」
カズラはカーネルシアに出会うまで、サヘー島の外に一歩も出たことがなかった。子供の頃から、いつかはコワト村を出て、遠くの違う場所に逃げ出そうと考えていた。
しかし、そのためのまとまった資金は、兄達の搾取が原因でまだ貯められていなかった。天井裏に隠してある金は、まだ非常に心細い額でしかなかった。
何も無しに独りで未知の世界に出て行くには、カズラは臆病すぎたのだ。
表面上では涼しい顔をしていたが、カーネルシア達と移動する中で見聞きするものの大半が、カズラにとっては初めての物ばかりだった。
自分より遥かに世間を知っているルク・ミィアに、カズラはまたしても劣等感を覚えた。
その時、空いたカーネルシアの後ろの席に、線の細い人間が座った。体からは尿臭がし、髪はぼろ雑巾のように垂れ下がっており、浮浪者のような身なりをしている。
人間は座った途端、カーネルシアの背もたれに堂々と足を放り出した。
「おい!」
それを見たカズラが、人間に向けて声を荒げた。ラグとルク・ミィアも、カーネルシアの顔の真横に出された人間の足に眉をひそめた。
「何だ? お前。木炭の中にでも顔を突っ込んで来たんか?」
人間はカズラの顔を見て、あざ笑うように貶した。カズラが立ち上がりかけた時、カーネルシアが後ろを振り返り、持っていたブヨ袋を肩越しで人間にぽんと投げた。
「!?」
ブヨ袋は人間の顔に柔らかく当たり、人間のももの上にぽたりと落ちた。
人間がカーネルシアに怒り狂う前に、カズラとルク・ミィアが先手を打って通路に出た。しかし、人間はももの上に落ちたブヨ袋を持った後、足を下ろし、ブヨ袋を揉みしだき始めた。不格好に開けた口から、残り少ない本数の歯がだらしなく顔を出す。
人間の様子を恐々とのぞき込んでいたラグが、呆気にとられて固まる。
カズラとルク・ミィアは、気を張り詰めたまま人間の出方を伺った。カーネルシアは何事もなかったように前を向き、カバンから別のブヨ袋を取り出した。
人間はと言うと、他には何も目に入らないように、夢中になってブヨ袋を揉み続けている。異様な光景に戸惑いながら、カズラとルク・ミィアが席に腰を下ろした。




