第1章・8節『ルク・ミィア』
サヘー島の東にある森と海岸線の間には、開けた草原が広がっていた。嵐は夜の内に過ぎたらしく、今では清々しいまでに青空が見えている。時折遠くから、野生動物のあげる声が聞こえてきていた。
カーネルシアはカバンをしっかり抱え込み、急ぐように道を歩いていた。
サヘー島のいたる所に生息している小動物、トゲチラシの古い棘が、道の両脇に散らばっている。舗装されていない道には、さきほどまでの雨でぬかるみが出来ていた。
昔、遊び半分で品種改良されたと言われる玉飛草が、東からの朝日を受けてきらめいている。道にそって植えられているそれは、草丈が3メートルほどになった。非常に柔軟で強度のある茎には、人がよじ登りやすいように、固く頑丈な円形の葉が付いていた。
草のてっぺんには果実のような黄色い大きなタマがあったが、実際の果実は葉の付け根である葉腋に小さく成っていた。昔は食料として実が食べられていたらしいが、てっぺんのタマを大きくしていく内に、果肉が痩せて可食部分が無くなったらしい。
カーネルシアが、地面までしなっている玉飛草の横を通り過ぎようとした時、玉飛草の陰から人の声があがった。
「あの、そこの方、申し訳ありませんが、助けていただけませんか?」
玉飛草の大きなタマを抱えたままで、ひとりのクースフローがカーネルシアに助けを求めていた。黄緑色の肩下まで伸びた長い髪をした青年は、薄紫色の瞳を持っており、人懐っこそうな表情をしていた。
カーネルシアは立ち止まって周囲を見回すと、彼の呼び止めている相手が誰なのかを確かめようとした。
「このタマはどうやって使えばいいんですか? 村の方から、これを使えば早く街に行けると聞いたんですが……」
日に焼けた色の肌を持った青年は、困った顔でカーネルシアを見ている。
肩には、何か機材が入っている様な、長く黒い袋を担いでいた。薄手のベージュの外套が、そよ風で裾を揺らしていた。
「僕も分からない」
カーネルシアはそう言うと、青年の横をそのまま通り過ぎようとした。
「痛いっ! 髪が茎に引っかかってる!」
途端に青年から悲鳴が上がり、カーネルシアの足が再び止められた。青年の長い髪が、確かに茎と葉の隙間に引っかかっているようだ。
青年の様子をまじまじと眺めながら、カーネルシアは青年に近寄ると、青年の髪を器用な手つきで隙間から引き抜いた。
「ありがとうございます、ついでに……」
刹那、玉飛草が大きく跳ね上がり、タマを抱えていた青年の体は、どこか遠くに勢いよく飛んで行った。
「ああやって使うんだな」
カーネルシアはそう呟くと、反動で揺れている玉飛草を尻目に、再び道を進み始めた。
青年が飛んで行った先には、玉飛草を利用した者をとらえるための、大きな網が設けられていた。カーネルシアがその隣にたどり着くまで、青年は逆さまになったまま網に引っかかっていた。横を通り過ぎようとしているカーネルシアを、またしても青年が呼び止める。
「す……すみません……降りるのに手を貸していただけませんか? 腰が抜けたようで」
その様をまばたきしながら見ていたカーネルシアだったが、ひょこひょこと青年に近づくと、網から降りるのを無言で手伝った。
外套の下から、上質そうなチャコールグレーのスーツと、柔らかそうな長毛のしっぽが見えている。ズボンはももの部分がゆったりし、裾がすぼまっており、膝下までの長い編み上げブーツの中に入れられていた。
青年は暴れたように乱れた髪を整えると、荷物の中身が壊れていないか心配そうに調べて担ぎなおし、カーネルシアの前に立って頭を下げた。
「何度もありがとうございます。私、ルク・ミィアと申します。アーモ・ハリヌ社で、営業をしている者です」
ルク・ミィアと名乗った青年は、服の内ポケットから名刺を取り出すと、カーネルシアに両手で差し出して見せた。名刺にはシンプルな字体でルク・ミィアの名と、その下に合同会社アーモ・ハリヌと印刷してあった。
カーネルシアは物珍しそうに名刺を眺めると、ルク・ミィアに片手でそれを返した。
「ルク・ミィアか。いい名だな」
名刺を戻されたルク・ミィアは、あっけにとられた顔をしたが、直ぐにカーネルシアの手に名刺を戻した。
「名刺は、できればお受け取り願いたいのですが……。もしかして、名刺をご覧になるのは初めてですか?」
ルク・ミィアが苦笑しながら、カーネルシアに首をかしげて見せた。クースフロー特有の長く白い牙が、口からちらりと見えている。
どう見ても子供のように見えるカーネルシアだったが、将来性を見越してルク・ミィアは挨拶したのだろうか。カーネルシアはもう一度、手渡された名刺に目を落とすと、カバンをもぞもぞと開け、うやうやしく中に名刺をしまい込んだ。
「どうして、私の名がよい名だと思われたんです?」
カーネルシアがカバンを閉じ、丁寧に抱えなおすのを見ながら、ルク・ミィアが不思議そうに聞いた。再び歩き出したカーネルシアに歩調を合わせるように、ルク・ミィアも歩き出す。
「僕にとって、いい意味を持つ音だからな」
カーネルシアは、ついてくるルク・ミィアを特に気にしていない様子で、たまに来た道を振り返りながら歩を進めている。
今度はルク・ミィアが、数回まばたきしながらカーネルシアを眺めた。青紫色の髪と瞳は、まるでそれ自体が発光しているかのように鮮やかに目に残った。
「そう……ですか。ありがとうございます。ところでですね、弊社の名はお聞きになった事がおありですか?」
ルク・ミィアは本題に入るかのように、背の低いカーネルシアの耳元に顔を近づけた。
「ん゛ん゛」
首を横に振りながら、カーネルシアがうなるように声を出した。




