第10章・79節『運賃』
ルク・ミィアが、ハリヌ器の入った黒い長鞄を肩にかけ直しながら、カーネルシアの後を追った。カズラとラグも、濡れた階段で滑らないよう、慎重を期しながら足を運ぶ。
「はぁ……俺、死ぬ前に一度でいいから、本物のカレーが食べてみたかった」
ラグが独り言のようにつぶやく。グレィマから出たが最後、二度と食べられないとでも思っているのだろうか。
階段の下には駅があり、蒸気機関車に数両連結された車両に、人々が乗り込んでいるのが見えた。駅の切符売り場らしき窓口の看板に、ポルポテッタ直通1人1,000エンとだけ書かれている。
それを見たカズラは、切符を買うための列の目前で立ち止まった。再び陰鬱な地下に来た上、金まで取られるとは。空気を読んだルク・ミィアが、カーネルシアの分も買うと言って列に颯爽と並んだ。
カズラを通り越し、同じく列についたラグにカーネルシアが耳打ちをした。
「カレー豆ならサヘー島にあるぞ? 今度探して食べてみるといい」
ラグは予想しなかった情報に一瞬心を揺らしたが、直ぐに考えを改めた。
「カレー豆の存在は知ってるけど、実物は戦火で失われたんだ。サヘロディが古き時代の人々の願いを聞いて、作り出したと言われているんだよな。彼らには強いカレー信仰があったから」
まるでその時の事を知っているような口ぶりで、ラグがしんみりと言う。
窓口にいたポルポが、2枚の切符をひげ触手でルク・ミィアに渡し、次のラグから金をもらっている。手持ちの金がない以上、カズラに切符は買えない。
列から離れた場所で突っ立ったままのカズラに対し、ルク・ミィアが何とも形容しがたい厭らしい笑みを浮かばせた。
「残念ですが、カズラさんはポルポテッタまで徒歩になりますねぇ」
言葉とは裏腹に、憐みのひとかけらも感じさせない。
カーネルシアは乗客を眺めた後、列車を指さした。
「カズラは僕と一緒にあれに乗る。荷物の運賃は誰も払っていないからな。カズラは僕のにゃんにゃんだから、同じことだろう?」
その理屈に、ルク・ミィアが困ったように苦笑した。
「かぁねるしぁ、残念ですが、カズラさんは荷物とは呼べないんですよ。お荷物はお荷物ですが……。あ、いえ。ポルポテッタまで頑張って走れば、2時間くらいでつきます。サヘー島育ちのカズラさんには、ちょうどいい運動になりますよ」
どうという事はないとでも言うように、ルク・ミィアがカズラに爽やかに笑いかけた。
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同じ頃、カズラ達の目的地であるポルポテッタの駅前広場の影で、大きな横長の木箱を台車に乗せた人間4人が立ち話をしていた。
ピンク髪のケルワーズと、恋人アメ、そして仲間のディーとソウタロウだった。
「で、ソウタロウ。これ、誰に売る気だ?」
そう言いながら、ケルワーズが台車を足で小突いた。ソウタロウにそそのかされ、どこぞのチクサン大学とやらから盗み出した、小汚い繭のことだ。
「いやだなぁ、ケルさん。ソウって呼ぶ約束でしょ。こう見えても、タカイド一族のひとり……あぁ、みなさんには関係ないことですよね。すみません。繭のことは僕に任せてください」
金色の髪を、湿気高いポルポテッタの空気になじませるようにかき上げる。
「計画くらい教えなさいよ」
ソウタロウの気取った振る舞いに苛つきながら、アメが急かす。
出会ってからそう長くはなかったが、ソウタロウの父親がフジシマ大学付属の生命分析研究所所長、アキヒコ・ムラタであることは確かだった。繭のことも、父に金をせびりに出向いた際、偶然耳にしたのだと言う。
つまり、簡単に言えばソウタロウは金のなる木なのだ。
「あー、僕、前に話したと思いますけど、セルデンサローのトリイ・ハリヌ社で営業してたんですよね。そこで実家がかなり太い子と仲良くさせてもらってたんで、そこら辺に打診してみようかなーと。その子の実家のことは、ちょっと秘密にさせてください。僕、こう見えても口が堅いってことになってるんで。フッ」
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「僕もカズラと一緒に行く」
カーネルシアはカズラの隣に来て手をにぎると、歯を見せて笑った。そのいびつな笑顔に、カズラの涙腺が思わずゆるみそうになる。
「駄目ですよ、カーネルシア! 休まず歩いたとしても、8時間半はかかる距離なんですよ!?」
その距離を走らせようとしたのかと、カズラがルク・ミィアにぎょろりと目を剥いた。頑張って走るとは、一体どの程度頑張ることを意味していたと言うのか。
何はともあれ、カーネルシアをそれだけ歩かせる訳にもいかない。カズラはカーネルシアにベンチでしばらく待っていろと言い、窓口のポルポに向かって歩いて行った。
片道切符分の仕事はないかとポルポに尋ねると、ポルポは横線が入っただけの目玉をくりくりと動かした。
「それなら、ここで切符を売るといいのね」
ポルポは予想に反してすんなりカズラの願いを聞くと、切符売りをカズラに任せ、さっさとどこかに行ってしまった。
カズラはポルポが立っていた場所から、階段状のお立ち台を慌てて横にずらし、人々に切符を売り始めた。
窓口には釣り銭無しの警告があったため、定額の金と切符を交換する極めて簡単な仕事だった。
しかしポルポは、カズラが売り上げを持って逃げるかもしれないとは、考えなかったのだろうか。
対面の離れた壁際に並べてあるベンチに座ったカーネルシアは、ルク・ミィアとラグと共に、遠くのカズラの様子を人々の隙間から眺めている。
通路は、サヘー島でほとんど見かけないミチアキモラでいっぱいだ。列車の出入り口のそばにいたポルポが、笛を吹きながら彼らを誘導している。
「ポルポは嘘をつかないし、争いごともしない。ぼったくる以外は、いい奴らなんだよな」
ラグはそう言うと、鞄の中からスズモロの実を取り出した。さすがに小腹が空いたのだろう。口に放り込んだ実をぼりぼりと食べる。
「1,000エン分だけ稼ぐおつもりなんですかね。どれだけここで待てばいいんでしょう」
ルク・ミィアが、面白くなさそうに荷物を置きながらぼやく。
「さあ……。でも、一応カズラはトイレにこもる俺たちを待っていてくれたんだから、今度は俺たちが待つ番だな」
先頭の蒸気機関車から警笛が響き、列車がゆっくりと動き出した。




