第10章・76節『向かう場所』
港の南端にある公園には、公衆トイレの他に簡単な休憩用のベンチがいくつか設けてあった。西の空は雲が晴れ、海面も落ち着いており、座って一休みするには最適の環境だ。
カズラは悠々と腰を下ろすと、トイレに向かって我先にと歩いていくルク・ミィアとラグの背中を、余裕しゃくしゃくの顔で眺めた。
カーネルシアが、カズラから離れてベンチの端に腰かける。
「……どうして端に座る」
じっとどこかを見つめたままのカーネルシアに、カズラが背もたれへ腕を回しながら尋ねた。
カーネルシアは視線をわずかに下げると、ようやくその口を開いた。
「カズラは僕が怖いんだろう?」
それを聞いて少し広がった瞳孔を戻しながら、カズラがカーネルシアの隣に座りなおした。
「お前には分からない所が多い。何も話そうとしない。かと思えば、いきなり尻尾を舐めようとする。戸惑うのも無理はないだろ」
言葉とは裏腹に穏やかで低い声が、海から吹く弱い風と混ざる。
カーネルシアはくくっと眉を上げると、両手を膝の上に置いて、もじもじと合わせた。
「カズラと仲良くなりたいと思ったんだ……」
カーネルシアの答えにカズラは口角をゆるめ、青紫色の頭に手をぽんぽんと置いた。
「なでるだけにしろ。舐めるのは無しだ」
頭から離れていくカズラの消し炭色の手を、カーネルシアが目で追う。
「あと、汚いルク・ミィアのしっぽは、舐めるのも触るのも絶対に禁止だ。分かったな」
したり顔で、カズラがカーネルシアに釘を刺した。
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ゴンゾー街の食堂で満足のいく朝食を終えた後、カシワは一旦捜査計画を見直していた。ミチアキモラの不審者達が、チァーラの実の大規模窃盗事件に関わっている確証はなかった。
しかし、移動のための小型船を失い、臨時船も残っておらず、漁船も出払った後となると出来ることは限られていた。
サヘー島の中での調査は、サヘー治安維持部隊の管轄下にある。カシワに残された道は、サヘー島から例の地下通路を調査する以外、無いように思われた。
ゴンゾー街で必要な物資を調達し、カシワは単身地下通路へと赴いた。今回の事件に関して、有益な情報をつかむ事はできない予感がし始めていた。
土で黒ずんだ治安維持部隊の報告書の地図を、足元に生えていた棒茸の黄色い光で必死に読む。懐中電灯の電池を、無駄に消費したくなかった。
それでも尚、カシワは何度か道を間違え、行ったり来たりを繰り返した。
食堂でカーネルと名乗った者。メロウティアは委員会が管理する個人情報だと言い、孤児の詳細情報をカシワには教えなかった。特別捜査官と言えど、事件に関連性の低い情報は簡単には見られない。
[下に向かっている通路を選んだんだ]
カーネルの言葉が、カシワの脳裏に浮かぶ。
地中にあるチョスポに続いている道は、確かに全てが傾斜していた。しかし、分岐している地点ではっきりそうだと分かる場所は少なく、他方の道も下へ向かって傾斜している場所もあった。
子供だからと言って、事件に関わっていない証拠にはならない。それは経験上、カシワにも良く分かっていることだった。
メロウティアはカーネルのことを任せろと言った。しかし彼女は、カーネルが絡んでいるのは、サヘー島内部で発生した窃盗事件だけだと思ったのではないか。
捜査に関して、彼女はただの素人なのだ。
犯罪者は皆、地下に姿を消して罰から逃れていく。地下世界は複雑すぎるがゆえに、本腰を上げて状況の把握につとめようとする者は、今まで誰一人としていなかった。
面倒なことを後回しにしてきた先代者達。それは時間が経つにつれ、手の付けられない大きな代償へと変わっていく。
カシワがそのツケを支払う義務は無い。だが、カシワは罰から逃れる犯罪者の存在そのものが、どうしても許せなかった。
長時間、暗く静かな穴の中をかがんで進むことは、肉体と精神の両方に堪えるものがあった。
全ての者が疑わしく思え始める。
何にしても、今出来ること。それを粛々とこなして行くしか、他に道はなかった。
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メロウティアのもとに、グレィマで繭を預けていたムラタ教授からの暗号化通信が入ったのは、正午を少し過ぎてからのことだった。
通信業務を担当している職員が、慌てた様子で庁舎2階の第2会議室に駆け込んできた。
治安維持部隊の幹部との会議は、予定の終了時刻を過ぎても終わっていなかった。メロウティアは一旦会議を中断し、通信内容が書かれた紙を開いた。
昨晩のムラタ教授の話通り、動物病院の副院長イイダ氏のつてで、コウサカ市の畜産大学へ、今朝繭を輸送したとのことだった。コウサカ市は、グレィマのフジシマ港から南東に10キロメートルほど離れている隣の市だ。
畜産大学に繭が到着してからしばらくして、繭が紛失したとの電話連絡があったのだと言う。
ムラタ教授は現地に向かったが、繭を入れていた木箱は外からこじ開けられており、繭はどこにも見当たらなかった。
学生が、危険な運転でフジシマ方面に走り去る蒸気自動車を見たと言うが、それ以外に手掛かりは無かった。
眉をひそめたメロウティアは、隣にいた副委員長にしばらく席を外すと伝え、会議室から出た。
ムラタ教授もイイダ氏も、キーイーギナの古くからのメンバーだった。グレィマにいる同志への連絡は、ムラタ教授が責任をもって行うだろう。
繭の存在は、一般人にはほとんど知られていないはずだが、特にかん口令を敷いていた訳ではない。知られたとして、正体不明の繭を手に入れたがる者など、いないと考えていたからだ。
専門的な立場の者が興味を持ったのだとしても、盗むまでもなく、こちらから喜んで調査を依頼しただろう。
危険な生物の繭であった場合を想定し、混乱を避けるために、内々で調査できれば越したことはなかった。
だが、このまま分からない場合は、ラジオなどで呼びかけ、調査できる人材を探すつもりであったのだ。
それとも、これは安易な考え方だったのだろうか。度重なるチァーラの実の窃盗事件の中で、繭のことが常に念頭にあったと言えば嘘になる。
あの繭の正体を知っている者であったなら、繭を盗み出すことはあり得るのではないか。
何ひとつ解決しない上に、厄介ごとだけが次々と舞い込んでくる。メロウティアは疲れた顔でため息をつくと、委員長室に入り、通信内容の紙を手動書類細断機に突っ込んだ。
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トイレに入ったラグとルク・ミィアは、その後なかなか姿を現さなかった。なるほど、だから伝説なのかと、カズラはひとりで愉快そうに笑った。
調子を取り戻したと見えるカーネルシアは、隣で執拗にカズラの耳を触り、倒し続けていた。
「にょにょにょにょにょーん……にょにょにょにょ……」
よく飽きないものだと、カズラが呆れを通り越した視線をカーネルシアに向けた。特に、力をかけずに耳を人差し指で押し倒し、離すと元にすぐ戻る様がひどく気に入っているらしい。
たまに、触るか触らないかの力加減で耳の輪郭をなぞられ、カズラの耳がぱたぱたと動く。カーネルシアの指が離れた耳を追いかけ、ぴこぴこと倒し、妙な言葉をぶつぶつ呟く。
「いつになったらやめるんだ?」
トイレの出入り口をちらりと見た後、カズラはカーネルシアから逃れるように頭を動かした。
「カズラも触りたいのか? まだ僕の番だ」
たまに公園を散歩している者達が、この異様な光景をじろじろと見ていく。それとも、見ているのは未だに同じ色の者を見ない、カズラの肌なのだろうか。
「港の次は、どこに行きたいんだ」
カズラの問いで、カーネルシアはついに手をおろすと海を見つめた。
カズラがルク・ミィアとラグを待つ理由も、恐怖心と共に薄れてはいた。しかし、カーネルシアと2人だけで逃げ出したいカズラの焦燥感に、心の奥底が少しばかりブレーキをかけていた。
「地下だ」
その意味を聞く前に、トイレからようやく、げっそりやつれ果てたルク・ミィアとラグが出てきた。
「生きていたのか」
カズラは残念そうにそう呟くと、根が張りそうだった尻を上げ、思い切り伸びをした。
カーネルシアも立ち上がり、カズラを真似て中途半端に伸びをする。そして、こちらにゆっくり歩いて来るルク・ミィアとラグを見て、口を小さく丸く開けた。




