第10章・74節『不思議ちゃん』
「お待たせしました~、こっちが当店1番人気の『伝説のカレー』で、こっちが『そうでもないカレー』。それから、こっちが『店長1番のおすすめカレー』です」
店員がおずおずと、ワゴンでカレーらしき物を運んできた。深みのある数々の香辛料と、微かな甘い匂いが全員の鼻腔を満たす。
店員は続けて焼きたての平らにしたスズモロパンを、皿に山盛りにして持ってきた。
「カレーをつけて食べてくだぁさいっ。それではごゆっくり~」
ラグはテーブルの中央にカレーが入っている白い器を並べ、その横にスズモロパンの皿を置いた。
「さっき言った通り、俺のおごりだから、みんなで食べ比べしよう。カズラもカレー、食べていいからな」
そう言って、最初に熱々のスズモロパンを取ってちぎり、【伝説のカレー】とやらをそれですくった。
カズラにとって、ラグはどんな目的を持ってついて回っているのか、理解できない存在だった。しかし、カズラに対するこれまでの態度を見るに、それなりには良識、あるいは慈悲を持っている者なのかもしれない。
「ありがとうございます、では頂きますね」
店に入るのを嫌がった割に、ルク・ミィアが早速パンを手に取り、どのカレーを最初に食べるか迷い始めた。
カーネルシアはカレーの器の上で目を左右に泳がせながら、しきりに鼻をすんすんと鳴らしている。
カレーをつけたパンを、大きく開いた口に入れたラグが、激しく体を反らせて目を見開いた。
「!!!?」
黒いゴーグルの下で、褪せた黄土色の目が小刻みに震えだす。
ラグを真似、パンに【そうでもないカレー】を付けて丸のみしたカーネルシアが、同じようにびくりと体を硬直させた。
【店長1番のおすすめカレー】と共にパンを口に入れたルク・ミィアが、いきなり鼻水を吹き出して咳込み始めた。
固いスズモロパンを必死に引きちぎっていたカズラは、手を止めて3人の異様な姿を見つめた。
「こ゜ッ! ぴょッ!」
カーネルシアが小動物の悲鳴のような声を出し、今までに見たこともないほど、すさまじく顔をしかめた。
ラグが額から汗を噴き出し、必死でコップの水を飲み干している。
荷物の中から鼻紙を取り出し、鼻水を拭いたルク・ミィアが、涙目でカレーを見下ろした。
「な゛……なん゛ですか……これ゛……」
ヒバナ草の種を大量に口の中で噛み砕いたような、強烈な辛味。その後で、ラグが今まで口にしたこともないような、パチパチとした痛みの刺激が続いた。ニューニュー樹液と思われるやさしい甘みが、一瞬垣間見えた気もしたが、すぐに別の苦みと痛みにかき消される。
涙を流しながら咳き込んでいるラグに、店員が水差しを持ってきてコップに継ぎ足した。
「お客さんたち、辛いの弱かった? そういうのは最初に言ってくれないと」
店員は苦笑しながら水差しをテーブルに置き、肩をすくめて厨房に帰って行った。
テーブルの上のカレーを完食する頃には、ラグとルク・ミィアは、もう一度シャワーを浴びた方が良いのではと思えるほど汗を垂れ流していた。
カーネルシアにはよほど堪えたらしく、ずっと首を横にふるふると動かしたまま、それ以上パンすら食べようとはしなかった。
カズラは、岩のように固いスズモロのパンをかじりながら、ラグとルク・ミィアが鼻を垂らして食べるさまを、割と面白そうに眺めていた。
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店を出て港通りに行き着いた頃には、ラグとルク・ミィアの汗もだいぶ乾いてきていた。ルク・ミィアとカーネルシアが前を歩き、その後ろにラグとカズラが続く。
カズラは、まだ元気のないカーネルシアの様子をチラ見しては、行き場を失っているように、しっぽをぶらぶらと振った。
「あんなに酷い代物は、今まで食べたことがありませんよ……」
やつれた声でルク・ミィアがぼやいた。警告を受けても尚、カレー屋に突撃したラグが、背中を丸めてしょぼくれる。
路面電車がつんざくような金属音と共に横を通り過ぎた後、カズラは奇妙な臭いを微かに感じた気がして、その足を止めた。ラグが数歩進んだところで、棒立ちになったカズラを振り返る。
ちょうどその時、先を行くカーネルシアが対面から歩いてきた2人組を見て、口を小さく開けた。朝、アーモ・ハリヌ社の応接室に入ってきたクースフローの少女と、がっしりした体格の人間の女性だった。
カズラがそれに気づいた時には、既に少女サキがカーネルシアを目に留めていた。
「あら、またお会いしましたわね。ごきげんいかが?」
サキは、カーネルシアに淑やかに会釈して立ち止まった。
「ご存じの方ですか?」
サキと女性の姿を見て、ルク・ミィアが意外そうにカーネルシアに問いかけた。
「わたくし、サヘロディ様の使者をつとめております、サキ・クスノキですの。お見知り置きくださいまし?」
サキは冷たい声に笑みを伴うと、ふんわりした灰色のズボンの後ろで、細長いしっぽをゆったりと揺らした。
ルク・ミィアは一瞬ためらいを見せたが、内ポケットから名刺を取り出し、サキに両手で差し出した。
「私はアーモ・ハリヌ社の営業を……」
「あら、アーモ・ハリヌ社でしたら、朝お伺いいたしましたわ。未成年を理由に、ハリヌ器の購入を断られましたの。名刺は無意味ですけど、頂いてはおきますわね」
そう言って、さげすんだ目で名刺を取ると、サキの後ろに立っている紫色の短髪の女性に、肩越しでそれを手渡した。
短髪の女性は、ルク・ミィアに申し訳なさげに頭を下げて、名刺をズボンのポケットにしまった。
「そうでしたか。それは失礼しました。ハリヌ器は成人後のお楽しみとして、またいらして下さいね。クスノキさん」
ルク・ミィアが、当たり障りのない営業スマイルを顔に張り付ける。
サキは空色の長い髪を手で払い、つんと澄ました顔をしてカーネルシアを見下ろした。
「時に、あなた、わたくしがサヘロディ様の使者だからと言って、これ以上は付きまとわないで下さいまし?」
サキの白くなった毛先が、グレィマの灰色の風に踊る。カーネルシアはかくっと首をかしげると、サキの後ろで見え隠れするしっぽをじっと見つめた。
「サヘロディの使者、ですか?」
ルク・ミィアの怪訝な声に、サキが速攻で反応してにらみ付ける。
「様をお付けあそばせ! あなた、何様ですの!? 使者が何か、お分かりになりませんこと? わたくし、サヘロディ様のご神託を授かっておりますのよ!?」
サキは更につんつんとした顔で、一同をあざける様に見渡した。
ルク・ミィアが、呆れたようにサキをあしらう。
「はぁ。ご神託……。クスノキさんも不思議ちゃんごっこをされているんですか?」
その一言にサキは唇をきゅっと結ぶと、針のような鋭さだった瞳孔を、一気に丸く広げた。
「何と無礼な……わたくし、サヘロディ様の妃となる身ですのよ!? 今のお言葉、後悔なさらないで下さいまし!」
サキは激しい怒りを露にした後、鼻をならして去って行った。後ろの女性がルク・ミィアとカーネルシアに軽く会釈し、サキを早歩きで追いかけた。
通路の反対側へと歩いていく彼女達を、ルク・ミィアが肩越しに見送る。
「気難しいお年頃の方を怒らせてしまった様ですねぇ」
ラグはカーネルシア同様、ルク・ミィアの後ろで表情を固まらせてサキ達を見ていたが、カズラがようやく自身の隣まで歩いて来たため、その視線をカズラに戻した。




