第10章73節『伝説の』
アーモ・ハリヌ社から数分歩いた所に、小さなその店はあった。コンクリート製の建物の1階にあり、看板には小さく【伝説のカレー屋】と書いてある。
ラグはそれを目ざとく見つけると、ルク・ミィアに輝く顔を向けた。ゴーグルの中にあっても、瞳がわずかな光をキラキラと反射させている。
「このカレーって、まさか本物の伝説のカレーなのか?」
ラグがミチアキモラではなくドゥルフだったなら、その心情を反映してしっぽが暴れるほど振られていたに違いない。
ルク・ミィアはしかし、胡散臭そうに看板を見上げた。
「さぁ……どうでしょう? フジシマには、古き時代の人々のレシピを再現したと言い張るお店が多いんですよね」
カズラが窓から中をのぞき込もうとしたが、内側に窓かけがあったため、店内の様子を確かめることはできなかった。
「でも、同じ材料がこの星にはありませんから、味を再現できるとは思えませんよ。そもそも同じ味かどうかが分かる人も、もう存在していませんし」
「俺、この店にしたい!」
ルク・ミィアの話を聞いていないように、興奮したラグが店のドアを開けた。
途端に中から強烈な香辛料の匂いが、ある種の熱気を持って外に流出してきた。
「臭ッ!!」
その匂いを嗅いだと同時に、ラグの後ろにいたルク・ミィアが鼻を手で覆った。
この世の憎悪を煮込んで細かな結晶にし、鼻の穴目掛けて打ち込んできても、ここまでの刺激臭にはなるまいとルク・ミィアは思った。
カーネルシアがカズラの隣から、興味津々で店内をのぞく。
「私は反対です。折角髪を洗ったんですよ? この匂い、店に入ればまた洗うまで絶対取れませんよ」
顔をしかめるルク・ミィアを置いて、ラグとカーネルシアが店内にそそくさと入り込んだ。
嘆くように首を振りながら、ルク・ミィアがカーネルシアを追いかける。その後ろから、ため息をつきながらカズラも続いた。
店の中は他に誰一人客がおらず、中年の店員がテーブルをつまらなさそうに拭いている最中だった。店員はラグが入ってきたのを見るなり、急に生気を取り戻し、好きな席に着くようラグ達を促した後、厨房に引っ込んだ。
テーブル席は2つしかなく、壁際のソファーに座ったラグの隣に、カーネルシアが座ろうとした。
ルク・ミィアは急いでカーネルシアの腕を引っ張ると、空いている方の座席の奥側にカーネルシアを座らせた。
最後に入ってきたカズラは、テーブルの前でそれを見るや否や、顔をひくつかせてルク・ミィアをにらんだ。
丁度水の入ったコップを持ってきた店員と、奥の厨房に、立ったまま素早く目を走らせる。
店員がメニュー表をテーブルに置き、厨房へ再び帰ろうとした。カズラはすかさず店員を呼び止め、仕事はないかと声をひそめて尋ねた。
しかし店員は事情がのみ込めていない様子で、ぽかんとカズラを見ている。どうやら、グレィマでもカズラの肌色は珍しいらしい。
「席にいる奴らは問題ないが、俺だけ金を持っていない。短時間だけ仕事が欲しい」
続くカズラの説明を聞いた店員は、それでも尚、カズラの頬に視線を張り付かせていた。やがて、ようやくカズラの言葉が脳に届いたのか、メニューに食いついているラグ達に目をやった後、酷く憐れんだ顔で再びカズラを見た。
「金が無いことには同情するが……あんたに出来る仕事はないよ。こっちも結構カツカツだからな。昨日の残りのスズモロパンなら……タダでやらんでもないが」
カズラは気を落としながらも、店員の好意を受け取ることにした。テーブルに戻ると、ラグ達はすでに注文の品を決めたらしく、くつろいだ様子で店内を眺めている。
「カーネルシア、しっぽをお舐めになりたいのなら、私のを舐めていただいて構いませんよ? カズラさんとは違って、いつも清潔にしていますから」
ルク・ミィアがカーネルシアの眼前に、ふさふさのしっぽを持っていく。
渋々ラグの隣に着席し、コップの水を飲もうとしていたカズラは、ルク・ミィアの正気を疑い手を止めた。
「お前は何を考えているんだ?」
カズラのドン引いた声を無視して、ルク・ミィアがカーネルシアの口元までしっぽを持ち上げる。
カーネルシアはわずかに困惑した表情を見せながら、くにくにと動くルク・ミィアの長毛のしっぽの先を目で追っている。
「汚い物を舐めさせるな!」
我慢できずに立ち上がったカズラの前に、店員が固くなったスズモロパンを乗せた皿を置き、殺気から逃げるように厨房に引っ込んだ。
「あなたより手入れにお金をかけていますよ! それに、私、カーネルシアになら、しっぽをかじられても構いませんから。怖がりなあなたと違って」
語尾にまばゆい光でも飛んでいるかの様に、ルク・ミィアがうっとりと勝ち誇った笑みを浮かべる。
その言葉に心底呆れた顔をして、カズラは眉間にしわを寄せたまま、固いソファーに尻を落とした。
「僕はしっぽを食べたりしない……。でも、カズラをいたずらに怖がらせてしまったのは確かなんだ」
カーネルシアのしょんぼりした顔に、ラグとルク・ミィアの眉がハの字になり、カズラの耳が下がりながら後ろを向いた。
「かぁねるしぁ……そんなことくらいで怖がるカズラさんの方がおかしいんですから、嘆くことなどありませんよ」
カズラは、しっぽの件が恐怖を感じた一番の原因ではないと言いかけ、口をつぐんだ。どう言葉にしてみても、カズラ自身、具体的な理由をあげられないのだ。船での事も、ロロに対する恐怖のあまり、カズラの体に力が入り過ぎていただけかもしれない。
ルク・ミィアに何も言い返せないことは不愉快だった。だがそれよりも先に、自分が漠然としたものに、まだ怯えている事実が気に入らなかった。
相手はただの子供だ。それも酷い生活をして、やせ細った多分無害な。




