第9章・71節『マエルー』
カーネルシアからの視線を受け、カズラがちらりと横目で盗み見る。カズラの言葉がこたえたのか、カーネルシアは少し悲しそうに目を伏せた。
ラグは先が短くなってきた紙巻き鉛筆の紐を引き、紙を手ではぎながら苦笑した。
「カズラも、そう怒らなくても……。相手はまだ子供なんだ。悪戯くらいする」
「子供だろうが何だろうが、やっていい事と悪い事がある」
カズラの更なる追撃で、カーネルシアの肩が見るからに下がっていった。
カーネルシアの様子を見て、カズラの眉が同じように下がり始めた。次第に耳が横を向き、まるで自分が悪い事をしたかのような気分に陥る。
かける言葉が浮かばず、カズラは居たたまれなくなり、カーネルシアの方にしっぽをそっと戻した。
「マ……ウォ……」
しかし、カーネルシアは意気消沈した様に、何かをつぶやいた。カズラに尻を向ける形でソファーに横になり、だぼついた作業服の中で小さく丸まった。
感情を表に出さないだけで、実際には普通の子供と同じように感じていたのだろうか。バラノ村、あるいはその周辺の者達から虐待か何かを受け、感情が外に出せなくなったという可能性も考えられる。
そもそも、ラグの言う通り、子供相手に実に大人げない態度をカズラは取った。
いや、果たして本当に子供なのだろうか。バラノ村の孤児とは、髪と目の色が違うのだ。
カーネルシアの保護者だと鼻息を荒くしていたことも忘れ、カズラはサヘー島でカーネルシアに会ったばかりの時の自分に、すっかり戻されていた。
誰ひとり信じて来られなかった、疑心暗鬼の塊に。
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朝の会議を終え、メロウティアはサヘー島ゴンゾー街にある、庁舎3階の委員長室に帰っていた。
治安維持部隊からの報告は芳しくなく、地下通路へと逃げたミチアキモラ達を見つけ出す事は、もう出来ないように思われた。何しろミチアキモラと言うだけで、服以外の特徴らしきものも無く、唯一の手掛かりがサヘロディと呼ばれている男のみときている。
サヘー島の北部でも、いくつか放火騒ぎが起きていた。そこでの聞き込みで、コワト村同様、ドゥルフの若者が目撃されていた事も判明していた。
サヘー島内部の地下通路を網羅するには、途方もない時間がかかるだろう。
チァーラの森の地下は、硬質化した根で穴が掘れないことから除外できる。しかしチァーラの森の範囲は、サヘー島の中心部から北にかけてだ。
北から西に向け、長くブーメランのように曲がったサヘー島の中心から南側は、コイガネ山脈が大半を占めている。フョーカーサヘーがまだ存在していた時代に作られた、幾つもの坑道も残されたままだ。
例え、ひとつの地下通路の地図が出来上がったとしても、最初に書き記した通路は、ミチアキモラ達の手によって構造が変化するかもしれない。
途方に暮れながら、メロウティアは目まいを感じて椅子の背にもたれた。
古き時代の人々、そしてベュー・ルガテカーの技術があれば、この問題にもすぐに方が付くのだろうか。
メロウティアが恐れていた争いの火種が、着々とサヘー島を取り囲み、燻っている気がした。
サニム街でキーイーギナが探し出そうとしている、失われたサヘロディの遺物。
キーイーらィの者達が使い、キメラ種を作り出した【シグデ装置】と呼ばれる物。そして、今では文献に名だけが残され、正体が完全に謎となっている【ピャ・ベュールガテカー】。
これらの手掛かりを得るためには、どんな眉唾な物であっても利用しなければならない。メロウティアの手が、昨晩読んでいた本に挟んだ栞に触れた。
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セルデンサローへ向かうため、マエルーはひとり、港へと急いでいた。朝になる前に用意された小型船が待っているのだ。
黒い旅行鞄が、足を運ぶたびに灰色のしゃれたトレンチコートの後ろで揺れる。道行く人々を最小限の動作でかわしながら、ずれていく色付き眼鏡を片手で持ち上げた。
表向きの仕事は、サヘー保護委員会の委員長メロウティア・タカイドの秘書だった。そのかたわらで、キーイーギナとしての任務についていた。グレィマとセルデンサロー。その2国内での諜報活動だ。
上からの指示でマエルーは偽名を使い、容姿も変えて様々な相手と枕を共にしてきた。
誰かに強要されていた訳ではない。単に、任務遂行の上で都合が良かったことと、自身に溺れていく他人を見るのが好きなだけだった。
どれほどまでに権力を持っていようと、表の顔が威厳あるものであろうと、最後には誰もが肉の欲に屈し、マエルーにすがり付いてきた。
メロウティアもその内の1人だ。彼女を操ることはしていなかったが、その気になればいつでもそう出来ると思えた。
メロウティアの婚約者であるユズユキ・カシワとは、個別で話したことがあった。驚くことに、メロウティアはマエルーとの関係を、カシワに話していた。
殴られることを覚悟したが、カシワは愛のない結婚に対し、非常に淡泊で割り切った考え方をしていた。
むしろ、激務の中でメロウティアの夜の相手をしなくても済むと、喜んでさえいたのだ。
セルデンサローには、特別な立場の相手が待っていた。メロウティアとは違い、既婚者であり、夫からは寵愛と言ってもいいほどの庇護を受けている相手。慎重に関係を築いて、もう1年は経っただろうか。
女の名は、オルザ・セルデン・トウノ。
9代目セルデンサロー教王の妃、その人である。




