第9章・70節『言い訳』
カズラがいなくなったお陰で、ラグに押されていたドアが支えをなくし、しゃがみ込んでいたカーネルシア目掛けて勢いよく開け放たれた。
カズラに振り返る姿勢になっていたカーネルシアは、しかしドアがぶつかる寸前に立ち上がり、素早くその場から離れた。
ラグがバランスを崩してつまずき、床に転んでゴーグルを打ち付ける。
「って!」
目の下を抑えて涙目になりながら、ラグが室内に目を向けた。
そこには、サイズの合っていない作業服を着て、不思議な動きをしながらカズラに向かっていくカーネルシアの背中と、反対側の壁に引きつった顔で張り付いているカズラの姿があった。
「何してるんだ?」
ラグの声に何の反応も示さず、カーネルシアがじりじりとカズラに近づいていく。カズラは、今にもこぼれそうなほど目を見開き、体中の毛を立たせて恐怖に顔をゆがませた。
カーネルシアが再び両手をゆっくりと前に出し、わきわきと意味深に指を動かした。ラグはゴーグルで打った箇所を指で撫でながら、鞄を抱えて起き上がった。
「気をつけろ、カーネルシアが変だ!」
カズラがラグに警告したその時、再びカーネルシアがカズラの体に飛びかかった。満面の笑みを浮かべながら、しゃがみ込んだカーネルシアが、カズラのしっぽをつかまえてぷるぷると振る。
「ラ゛レィリャヴモ゛! 怖いでしゅか? ひひっ!」
ラグがカーネルシアの奇声に目を丸くした。ルク・ミィアがいたら、これを何ごっこと呼ぶのだろうか。カズラの怯えようは奇妙な感じがしたが、カーネルシアを見る限り、ただ遊んでいるだけのようだ。感情が控えめなカーネルシアが、奇声を上げてまで楽しんでいるということは、いい傾向だとも言える。
ラグはそう考えるとテーブルの上に鞄を置き、うなずきながらソファーに座った。
カズラはラグがソファーに座るのを見て絶望的な顔をし、全身が凍り付いたように固まったまま、目だけをカーネルシアへと向けた。
鞄から乾燥させたスズモロ入りの袋を出したラグは、2人のよく分からない遊びを眺めながら、呑気に軽食を取り始めた。
「……それで、俺は神と同じ力を持っているなら、それはもう、人にとっての神だと言って差し支えないと思ったんだ」
誰も聞いていないことを独りでべらべらと話し続けながら、ラグはスズモロの乾燥させた実を、ぼりぼり喰い続けていた。皆が食べられるようにと、ラグがテーブルに置いたスズモロ入りの袋だったが、本人以外に手を伸ばす者はいなかった。
ソファーに座って腕組みをしたカズラは、未だに横で自分のしっぽと遊んでいるカーネルシアに引きつった目を落としていた。
本に、にゃんにゃんとは適度に遊べと書いてあったと言い張るカーネルシアだったが、遊びでしっぽの先を喰う馬鹿などいるだろうか。
気を張り詰めたままのカズラとは裏腹に、カーネルシアはしっぽに対し、しきりに小声で話しかけている。
かたやラグはスズモロの実を頬張り、図書館で読んだ本の感想を、延々と垂れ流し続けた。
「カズラしゃ、もふもふは知っていましゅか? カズラしゃのようなものを言うんでしゅよ? お勉強になりましゅね」
舌足らずな言い方を繰り返しているカーネルシアに、カズラは戸惑いを隠せる気がしなかった。だが、今はラグもいる。今度カーネルシアがしっぽを喰おうとしたら、ラグを代わりに差し出して逃げればいい。
「カーネルシアは、どうして幼児言葉を使っているんだ?」
カーネルシアの言葉がようやく耳に入ったらしく、ラグがのぞき込むようにカーネルシアを見た。カーネルシアは気がすんだ様子で、カズラのしっぽを手放した。
「にゃんにゃんにはこう話しかけろと、本に書いてあったからな」
カズラに説明した時と同じように、カーネルシアが真顔でラグに答えた。
「どんな本だ! そこには尻尾を喰えとでも書いてあったのか!?」
カズラがラグを驚かせるほどの声で叫んだ。しかし、カーネルシアは悪びれもなく涼しい顔で返した。
「『にゃんにゃんと暮らす12のひみちゅ』だ。しっぽを食べては駄目だ。可哀想だろう?」
不思議な題名を、ラグが何気なく冊子に書き込む。前の物を使い切ったのか、違う大きさの新しい物になっている。
完全に他人事のようなラグの素振りが、カズラの心を逆なでした。
「さっき俺の尻尾を喰っていただろ!」
カズラは自分のしっぽを持ち上げ、カーネルシアの目の前にまだ少し濡れている先を突き付けた。
それを見て、カーネルシアの眉毛がぴくりと動く。
「食べていない。少しぺるぺるしてみたくなっただけだ。僕を洗ったお返しだ」
今度はカズラの眉毛がぴくぴくと動いた。
ラグが冊子に黒猫としっぽのいびつな絵を描きながら、スズモロを数粒口に放り込んだ。続けて書こうとした単語に、紙巻き鉛筆を止める。
「ぺるぺるって何だ?」
カーネルシアは数秒目を宙で止めると、しっぽをラグ側にしまい込んだカズラと目を合わせた。
「にゃんにゃんは毛をなめるからな。だから僕もぺるぺるした。3番目のひみちゅに、毛づくろいを手伝えと書いてあったんだ」
「そんな本は2度と読むな。そもそも俺はクースフローだと何回言えば分かるんだ!」
カズラは、まだカーネルシアの言うことが信じられなかったが、ラグの手前、これ以上わめいていても情けなさが増すばかりだ。平常心と落ち着きを取り戻すように、ゆっくり深呼吸する。
だが、その心の奥から慎重に考えろと声がする。今後、カーネルシアが絶対にカズラに危害を加えないとは言い切れない。やたらと人の急所を触ってくるのも、一気にとどめを刺すため、隙をうかがっているからなのではないか。
子供のころから兄達や、その取り巻き達に弄ばれていた記憶がよみがえる。
ここでラグとルク・ミィアを置いて行くのは、愚策なのではないかとカズラは思い始めた。




