第9章・66節『変な輪郭』
まだ自分の体を洗い終えていないにも関わらず、小さな達成感がカズラの心に満ちていった。泡を流し終えたカーネルシアと場所を入れ替わり、カズラは自分の頭を洗い始めた。
石鹸の泡が髪に広がる前に、カーネルシアはドアを開けて脱衣所に出て行った。サヘー島で野宿していた時は、川などで水浴びでもしていたのだろうか。
カズラもサヘー島の銭湯では、いくら洗っても汚れが落ちていないぞと笑われ、カーネルシア同様、人がいる時は短時間で入浴をすませていた。
その内、カーネルシアも石鹸で体を洗うことが楽しくなってくるだろう。今度は全身を洗ってやる必要がありそうだ。
カズラは生まれて初めてもちもちの泡に埋もれ、茶化される事のない環境で幸せそうに体をすみずみまで洗った。
泡を流し終え、さっぱりした顔で脱衣所に出たカズラは、カーネルシアがすでに着替えて、外に出ていることに気づいた。
ドアの横にかけておいた体拭きはまだ2枚あり、どちらも使用された形跡がない。
まさか拭かずに、下着と予備の服を着たのだろうか。
ルク・ミィアがカーネルシアに買った、忌々しい下着セットだ。やわらかなロクアシの長毛で織られた、特別の。
その存在を思い出し、カズラが渋い顔に戻る。
脳裏にふと、シャワー室でのカーネルシアの後ろ姿が浮かび、カズラは体拭きを被ったまま固まった。あの時は冷水に気を取られていたが、思い返してみるとおかしな印象を受ける。
体重の軽さや線の細さから、皮と骨だけのように思えたが、体の輪郭は妙にのっぺりしており、不思議な感覚を引き起こさせた。
細いには細いが、ふくらんだ棒人間と言うべきか、それとも、赤ん坊の手足をそのまま長くしたと言うべきか。
骨ばったり引き締まったくびれが、どこにも無かったのだ。
両側の脱衣所から衣擦れの音が聞こえ始め、カズラは現実に引き戻されて紫色の髪を拭き始めた。
換気扇の音なのか、先ほどから何かの騒音も入り口の方から聞こえてきている。
珍しい肌の色という特徴を持つがゆえに、日々嫌な思いをしてきたのだ。それが今、カーネルシアに対し、他人と同じことを自分もしようとしている。保護者の立場となった自分がだ。
カズラはその事実に気づいて動揺し、しおれたように下がったしっぽを乱暴に拭いた。
予備の服は作業服らしく、ラグの服と同じで上下がつながっており、少しだぼついていた。ズボンの後ろには、しっぽのあるクースフローやドゥルフでも着られるように、人間の尾てい骨付近で、隠された通し口も作られている。
まだ完全に乾いていないしっぽが、灰色の作業服の上でせわしげに揺れた。
着替え終わり、仕切りの布を開けたが、シャワールームにカーネルシアの姿はなかった。元いた応接室に急いで戻ると、カーネルシアはカバンをソファーの横に置き、棚のハリヌ器をのん気に眺めていた。
カズラが部屋に入った途端、後ろからやってきたルク・ミィアが、服を抱えたままで応接室に顔だけをのぞかせた。
「服を出してから、サヘー島で取れた契約の整理をしてきますね。昼頃までには終わらせますので、それまではこの部屋でご自由におくつろぎを」
鞄を抱え、小綺麗になったラグが来たため、扉を広げて隣をすり抜けるのを待った後、ルク・ミィアはこう付け加えた。
「カーネルシア、後でお昼ごはんを一緒に食べましょう。朝ごはんの分も合わせて、美味しいものをご馳走しますから。では」
閉められた扉を前に、カズラは自分の置かれた状況を把握し、茫然とソファーに体を落とした。シャワーにうつつを抜かしている間、服を質物としてカーネルシアの足を止める策に、まんまとはまってしまったのだ。カズラは石鹸の泡などに心を奪われた自分に、心底失望した。
「昼まで暇ってことか……。俺、図書館で本を読んでくる。昼前には必ず帰るから、待っていてくれないか?」
ラグは持っていたゴーグルをかけながらそう言うと、カーネルシアの返答も待たずに外へと出て行った。
ルク・ミィアはカーネルシアと勝手に昼飯の約束をしたが、ラグを誘ってはいないはずだ。それなのに、まだラグはカーネルシアについて回ろうとしているのだろうか。
そもそも、昼までこの部屋に居続けることはない。昼までどころか、この際思い切って古い服を手放し、カーネルシアと姿をくらませる手もある。
新しい生活を始めるのだから、過去ときれいに決別した方がいい。よこしまな笑みを浮かべたカズラは、なかなかの自案に目を鋭く光らせた。
カーネルシアがいないと悟った時の、ラグとルク・ミィアの顔が見られないことだけが残念だ。
「カーネルシア、今からお前の行きたい所に向かうぞ」
カズラはそう言いながら、後ろでハリヌ器を見ているカーネルシアに明るい顔を向けた。
「駄目だ。ルク・ミィアとラグを待つんだ。一緒に行きたがっているからな」
取り付く島もなくカーネルシアが却下する。そしてカズラの隣に行き、態度で示すようにソファーに深く腰を下ろした。
「一緒に行きたいと言えば、誰でもいいのか」
出鼻をくじかれたカズラが、不貞腐れたようにつぶやく。
カーネルシアは波打つように動くカズラのしっぽを見下ろし、カバンの中から櫛を取り出すと、黙々としっぽの毛を梳きだした。
乾かしていないカーネルシアの髪の方が、櫛を必要としているのではないか。そう思ったカズラは視線を青紫色の髪に向け、思わず目を見開いた。
体拭きを使っていないにも関わらず、その髪は完全に乾いていた。




