第8章・63節『チァー』
工事現場に向かったカズラは、最も体格が大きく、作業員に指示を出していたドゥルフを見つけ近づいた。頭を下げ、朝までの間で何か仕事をくれないかと懇願する。
褐色の肌をした銀髪のドゥルフは、自身よりも暗い肌色のカズラに目を丸くした。しかし、熱心なカズラの様子を見て、気が変わったように笑った。
「ここはもうすぐ終わる。が、港なら夜通し船で作業しているはずだ。飛び入り参加に深夜手当は出ないだろうがな」
足元を見られた形にはなるが、それでも金が手に入るならと、カズラはすぐさま港に舞い戻った。
港では、カズラが乗ってきた輸送船に煌々とした明かりが灯されていた。ロロの襲撃で受けた破損個所の修理が、今しがた始められたばかりらしい。
カズラはそこで作業を指示していた別のドゥルフに、工事現場のドゥルフから仕事の話を聞いた旨を伝えた。
怪訝そうな目でカズラを見ていたドゥルフだったが、想定外の損害を受けた船を修理するための人手は、確かに足りていなかった。
結果的にカズラは、朝までの仕事を首尾よくもらい受けることができた。上機嫌でしっぽを揺らしながら、もう慣れたように船の上を歩く。
気がかりなのはカーネルシアの事だったが、迎えに行くまで図書館から一歩も出ない事を、固く約束させていた。ルク・ミィアとラグが居る以上、安心は出来ないが、どこにも行かないと言ったカーネルシアを信じる他ない。
夜気は心地よく冷え、森とは違う時折吹く潮風と波の音も、カズラの気分を高揚させた。
大した晩飯を食べていないにも関わらず、肉体と神経が研ぎ澄まされているように思えた。ルク・ミィアやラグの金を頼りにしなくてもよいと言う事実が、何よりカズラを興奮させていたのだろう。
朝一番に、美味い物を腹いっぱいカーネルシアに食わせてやろうと考えながら、カズラは紫色のしっぽをぷるぷると震わせた。
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チァーラの木に関する書物を数冊持ったラグは、ルク・ミィアとカーネルシアの前にあったソファーに、嬉しさのあまり踊るように腰を下ろした。
「今から読むんですか。もう0時を過ぎましたよ?」
寝ていると思ったルク・ミィアが話しかけてきたため、ラグは驚いた様子で顔を上げた。
「もうそんな時間なのか。……ここ、さすがグレィマの国立だけあるな。サヘー島で見たことがない本ばかりで、つい」
そう言いながら、膝の上に置いた本の1冊を手に取る。
「チァーラの木ですか。研究熱心ですね」
背表紙を見て興味を持ったのか、ルク・ミィアが寝ているカーネルシアの髪で遊びながら会話を続けた。
「そう言えば、サヘー島で聞いたんですが、チァーラには正式名称があるそうですね。結局、村の方に聞きそびれてしまいました。ラグさんはご存じですか?」
「あぁ。正式名称はチァー・ランデルサニンって言うんだ。チァーの中でランデルを実に含む木だけが、チァーラと呼ばれる所以だな」
本の目次を読みながら、ラグが静かに答えた。手と本の間には、ラグの所有物らしき栞が挟まれている。〇や▽が描かれたそれは、飼育されているヌーネイルの脱皮した鱗を加工して作られていた。
「チァーの木は知っているだろ? 君たちクースフローや猫のオスの嗜好品だからな。グレィマにも生えていると思うけど、サヘー島にしかチァーラの木は生えない。チァーラの実を植えても発芽しないし、チァーラの幼木だと考えられるものを別の場所に移植しても、育つのはただのチァーの木なんだ。変な話だよな」
ダレザのランプが、微かに揺れる光を周囲に投げかける。ルク・ミィアは指に巻いた濃い青紫色の髪を放すと、カーネルシアを起こさないよう、手櫛でその髪をすき始めた。
「となると、チァーラの木はどうやって増えているんです?」
本から目を離したラグは、その場にカズラがいなくて良かったと思った。ルク・ミィアがカーネルシアの髪を触っている様をカズラが見れば、静かな図書館から全員が放り出されるほどの騒ぎになっていただろう。
「チァーラの周囲にチァーの苗木を植えるんだ。それが年月を経てチァーラの木になる。どうしてそうなるのかは、まだ正確には解明されていない」
手元の紙の質感を楽しみながら、ラグはチァーラの木に思いを馳せるように目を閉じた。
ラグが所属しているサヘー植物研究所は、グレィマとセルデンサロー両国から資金提供を受けていた。他にもいくつかの財団から援助を受けていたが、それらの目的がチァーラの木の移植方法であることは一目瞭然だった。
サヘー協定により、チァーラの木は特別保護樹木に指定され、研究で利用できるチァーラの木はごく限られた物だけだった。それが研究の妨げになってはいたが、その手厚い保護により、チァーラの森が大きく広がったと言うことでもある。
「そもそも、ランデルを生成する時点で、どう考えても自然に進化した植物じゃない。サヘロディが実在してチァーラの木を作ったのは、紛れもない事実だ。そう思わないか?」
サヘロディの名を聞き、ルク・ミィアは指を止めてラグに視線を移した。
「ラグさんはゴンゾー街で、サヘロディと呼ばれた男を見たんですよね? 本当に、その人物がサヘロディだと思います?」
ラグは本の上で目を泳がせると、黄土色の細い眉を寄せた。横に置いた鞄のショルダーベルトを握りしめたい気持ちが沸き上がる。
「俺には分からない……。長年想像していたのは、もっとすらりとした長身で、厳かで、慈愛に満ちた……まさしく神と呼ぶに相応しい姿だった」
離れたソファーから咳払いの声が聞こえ、ラグは体を少し丸め更に声をひそめた。
「でも、あの男は威圧的だった。彼がもしサヘロディなのだとしたら、人にとって何か良からぬことが起きる気がする。だから、サヘロディであって欲しくない」
ルク・ミィアはラグに何か言う代わりに、黄緑色のしっぽの先を数回ゆっくりと振った。




