第8章・61節『切れるもの』
グレィマに近い小島の地下に、人々がポルポと交流するために作ったと言われている街があった。その小島は、約300年前にテッタ・ヨネジマが発見し、テッタ島と呼名づけられた。島の地下にある街は、その名を取ってポルポテッタと呼ばれた。
混沌とした地下の世界には、ミチアキモラやポルポ以外にも、人間社会で落ちぶれた者達が大勢逃げ込んできていた。彼らは、ミチアキモラと地上とを結ぶ仲介人の役割も果たしていた。
ポルポやミチアキモラは国を作っていなかったが、それなりに秩序は持ち合わせていた。具体的な法はなく、あくまで自己責任社会であった。
権力的には、トイレや上下水道、通路の保全などを維持しているポルポが上であり、ポルポが地下世界の掟の番人であるとも言えた。
ゴンゾー街に一番近い街チョスポより、ポルポテッタは更に入り組んだ造りになっていた。いたる所に人用の案内標識があったが、全ての通路を把握している者は存在していないように思えた。
「くそっ……マジでやってられねえっつーんだよ」
人間の男ケルワーズが、乱暴に木の椅子を蹴った。衝撃で、あごまで伸びたピンク色の髪が揺れた。
朝、ゴンゾー街でキノコを売り歩いた帰りに、黒猫をからかったお陰で海に落ちていた。何がドゥルフ達の気に障ったのか分からなかったが、岸壁に助け上げられたかと思えば殴られ、散々な目にあったのだ。
その足でチョスポに逃げた後、ペットのズヘビに乗ってポルポテッタまで帰ってきていた。
チョスポとポルポテッタ間には、ズヘビ用に作られた古い水路があり、ズヘビはそこを時速30キロメートルで進むことが出来た。
後ろ向きの長いひげがついた顔と、15メートルほどのぬめった胴体を持っており、正式名称はナマズヘビと言った。
このぬめりのせいで、騎乗するにはズヘビの動きに落とされない技術が必要となった。そのため、誰でも簡単に乗れる代物という訳ではなかった。
その数少ないズヘビ乗りであるケルワーズが、バランスを崩して人前で海に落ちたのだ。それを悲劇と言わずして、何と言うのか。その時の情景が嫌でもよみがえり、ケルワーズの顔が酒に酔ったように真っ赤になった。
しかし、さすがに騎乗に慣れているとは言え、3時間半のズヘビの旅は体中が筋肉痛になる。ケルワーズは翌日の痛みを和らげようと、再び足を動かし椅子を蹴った。
「ちょっと、ケル、椅子を蹴らないでよ」
隣の椅子に座っていた人間のアメが、木のコップに酒を注ぎながら顔をしかめた。
数回寝てからと言うもの、ケルワーズの恋人面をしている金食い女だ。人が稼いだ金を、あっという間に酒やら服に変えてしまう。
ただの金ではない。ケルワーズがこよなく愛し、丹精込めて作ったキノコを売って作った金だ。
しかし、アメの体の線はしなやかでメリハリもあり、他の女と比べて文句のつけようがなかった。何よりも、ケルワーズが一番好きなケラ茸と同じピンク色の目をしている。年も若く、これで性格が良ければ絶対に手放したりはしないのだが、そうは問屋が卸さないのが人生というものだ。
ポルポテッタのトスポバー本店には、ケルワーズとアメ以外にも客が大勢いた。クースフローやミチアキモラの女も見かけたが、その中で人間のアメは一番の見た目をしていた。
体の線を強調している強気な赤いシャツを、舐めるようにケルワーズが眺める。若く張りのある色白の肌が、トスポバーの抑えた照明の中で、妖艶な雰囲気を作り上げている。
嫌な出来事も、明日の朝にはどうでもいい過去になっているだろう。
アメの美しいピンク色の瞳が、ケルワーズの視線に気づいて動いた。
「なぁに? 数日会えなかっただけなのに、もうそんな目で私を見るの?」
その甘ったるい声に気分を良くしたケルワーズは、アメの腰へと手を回すと、他人に見せびらかすようにいちゃつき始めた。
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時刻は22時も回り、メロウティアは疲れた顔で、庁舎から職員用の宿舎に帰っていた。
グレィマにいる叔父のムラタ教授からは、動物病院の副院長であるイイダ氏に、繭の件を話した旨の通信が入っていた。
チァーラの実を利用した発電機により、ゴンゾー街では住宅にも電化設備が比較的整っていた。風呂にゆっくりつかる暇もなく上がると、小机の上の小さな白熱灯をつけた。
体拭きで髪を乾かしながら、ベッド上のキミワタを詰めた敷布団に腰をおろす。電力を得る技術があっても、この小さな白熱灯で我慢しなければならない。
何しろ電化製品を作る者はおろか、原材料を確保し、それを加工する者すら足りていないのだ。
重要な基盤施設に対しては、集中的に人員を集められる。しかし、個人の物となると、いくら歴史あるタカイドの人間と言っても贅沢は出来ない世界だった。
設備を整えたそばから、老朽化での修理や交換が待っている。グレィマやセルデンサローの首都に住む金持ちは別として、サヘー島の住人ともなると、部屋に電灯ひとつあるだけでも恵まれていた。
古き時代の人々が残した言い伝えでは、ベュー・ルガテカーには機械仕掛けの人がいたそうだ。もはやそれを、人と呼んでもよい物なのかどうかはさて置き。
夜は昼と変わらぬ人工光に満ち、空中に遠くの世界などが映されていたとも言う。宙に浮かぶ巨大な船や天を突き破る高い塔など、想像することすら出来ない。
片や、メロウティアは小さな島でいつまでも地面の下をのぞき続けている。
心に侘しさを感じながら、白熱灯の下で弟達から寄せられた最新の報告書を開く。2人はゴンゾー街の北西にある学者街・サニム付近で、サヘロディの遺物を探していた。
滅亡したフョーカーサヘーの首都であり、今ではただの墓場となった、見る影もないセイキョウ方面の調査は、ヨシタカの代ですでに終わっていた。キーイーらィの呪いが残っていると、人々に広く噂されている不浄の地だ。
サニム街でも硬質化したチァーラの根に邪魔され、思うように地下探査は進んでいなかった。
報告書には調査を終えた範囲と結果が記されてあったが、いつも通り真新しい物は何もなかった。メロウティアは報告書を小机に投げ置き、ベッドに体を横たえた。
味気ないカル木の板が張られた天井をしばらく眺め、ため息をついて枕元に置かれていた本を取る。表題は短く『サヘー島での生涯』とだけある。
婚約者のカシワがグレィマの古本屋で見つけたと言って、手土産に持ってきた本だ。カシワとの唯一の共通点とも言える趣味が、読書だった。
要約を読むに、キーイーらィの呪い後、古き時代の人々の日記を収集し研究していた人物の子孫の伝記のようだ。
古き時代の人々の本は、ベュー・ルガテカーでの生活が垣間見えることから、歴史を好む読書家には人気が高かった。
アーサニカーに来た時から、記録を残すことを最も重要な事項と考えていただけあり、原本以外にも多数の写し書きがあった。印刷の設備を整えてからは、些細なものであっても製本され、様々な場所に保管された。
そのお陰で、ランデル戦争の戦火により大半が焼失した後も、わずかばかりのこういった本が手に入れられたのだ。
古き時代の人々に対し、キーイーらィの呪いを生き延びた人々は、新しき時代の人々と呼ばれた。それから約300年。
そろそろ別の呼び方を考えた方がいい頃合いだろう。
メロウティアは茶色くなったページを繰りながら、慈しむ気分で文字を追った。どこか懐かしい温かな匂いが、本の間から漏れ出てくる。
眠気で目を滑らせながら、会ったこともない者の人生を読み解いていく。現実と夢の境界があいまいになりかけた時、メロウティアの意識がひとつの行に留められた。
そこには、先祖が古き時代の人々の日記で見つけ、生涯それを探し続けていたとして、こう綴られてあった。
【チァーラを切れる物】




