第8章・60節『にやけるサヘロディ』
「ルク・ミィアが、宿に行って風呂に入ってから着た方がいいと言っていたからな」
カーネルシアが同意を求めるように、隣で寝ているルク・ミィアを見る。膝を曲げた上に両腕を乗せ、そこに突っ伏して寝ているルク・ミィアの耳に気が付き、顔を寄せて至近距離でじっと中をのぞき始める。
カーネルシアの鼻息がかかっているのか、それとも息を吹きかけているのか、ルク・ミィアの耳が反射でぱたぱたと動いた。
「カズラは僕とずっと一緒にいたいか?」
今度は、その言葉でカズラの耳が動く。
「ああ。……お前は違うのか?」
カーネルシアにしてみれば、成人した後は、カズラからの保護を受ける理由はなくなる。それも、コワト村でカーネルシアを受け入れる場合の話であって、グレィマで金を稼げるか分からないカズラに、保護してもらえる確証はない。
しかし、自分のにゃんにゃんだと言った意味は何だったのか。自分のだと言う以上、ずっと一緒にいるという意味だとカズラは思い込んでいた。
猫を飼ったら、死ぬまで飼い続けるのが鉄則のはずだ。例えそれが、野良猫やキメラ種のクースフローであったとしてもだ。
ひとしきりルク・ミィアの耳の中を観察した後、カーネルシアはカズラに視線を戻し、歯を見せて笑顔を作った。
「君がそう言うなら、君の気がすむまで一緒にいよう」
こわばった表情をしていたカズラの顔が、わずかに緊張を解いてゆるんだ。数秒遅れて、言葉の代わりに微かな笑みをカーネルシアに返す。
じわじわとした安心感が、カズラの胸に染み入る様に広がっていった。
「は? 一緒にいたいと言えば一緒にいてくれるんですか? カーネルシア」
ほんのり幸せに浸っていたカズラの頭に、ルク・ミィアが冷水を浴びせるが如く声を上げた。
「そうは言っていないんじゃないか?」
カズラの横から、ラグが死人のような顔でつぶやく。まるで恥をかいたようにカズラの目の端が引きあがり、しっぽがぷるぷると震えだした。
「私も一緒にいたいです、カーネルシア。私の助手をしていただけませんか? お給金ははずみま「断る!!!」
泣く子も黙る勢いと形相で、カズラが絶叫した。
乗客の群れから離れた場所にいたとは言え、船の上が一瞬完全な無音と化す。
「あなたには関係ないでしょうが。それとも、無職でカーネルシアを養えるとでも言うんですか?」
両手を握りしめているカズラに対し、ルク・ミィアが平然と煽るように言った。
カズラは今すぐカーネルシアのカバンから紙袋をつかみ、ルク・ミィアの目の前で海に投げ捨ててやりたい衝動に駆られた。カーネルシアには、自分のはいている下着を穿かせればいい。そもそも、本人が望んでいないのなら、穿かせるまでもないのだ。
パンツを穿かずとも、人は死なない。
だが、カーネルシアがルク・ミィアの【おパンツ】を穿くなど、カズラの心が凌辱されるのと変わらないではないか。
しかし、カーネルシアの手前、大人としての手本を見せていかなくてはならないのだ。それが保護者というものであり、痛いところを突かれて子供のように取り乱すなど、あってはならない。
カズラは強く目を閉じ、大波の立つ心を懸命に落ち着かせようとした。
カーネルシアは、ポンチョコートに残った毛を丁寧に集めた後、助手に誘ってきたルク・ミィアを見上げた。
「助手はできない。僕は忙しいからな。でも、僕と一緒にいたいなら、いても構わない」
カーネルシアのその返答に、カズラは瞬間的に発狂して取り乱しそうになり、自分の頭を抱えて歯ぎしりをした。
「俺もしばらく一緒に居ていいか?」
更なるラグの便乗で、カズラの紫色の髪が激しく総毛立った。
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「サヘロディ様、お湯加減はいかがですか?」
集会所に作られている広い風呂場の入り口から、アヤノ・サヤカの凛とした声が、サヘロディと呼ばれた男の耳に届いた。
湯は入浴剤として入れられたニューニュー蔦の樹液で、茶色く濁っている。すりつぶすと高揚効果のある、ミフ草の花もいくつか浮かべられている。
「ちょうど良いぞ」
男は湯の中で両腕を限界まで伸ばすと、力を抜いて湯船のヘリに頭を預けた。今日は特に何かをしていたと言うわけでもないが、年をとった生物の体と言うものは、ただ生きているだけでも疲れるのだ。
「例の件は、ドゥルフ・ストーンの者達に指示しておきました。サヘロディ様が生成された食事に、皆、大層満足しておりました。特にカレエライスと言う物は、一番人気でございましたよ」
楽し気にも聞こえるサヤカの話し声が、風呂場の壁に反響して広がる。
「それからトウミツが後ほど、サヘロディ様にお話があると申しておりました。しかし、サヘロディ様。私はトウミツを信用されることには反対いたします」
エルフの体も良いが、サキュバスと言う物も試したい。にやけた面をした男は、扉の向こうにいるサヤカの体を透視しながら、手を前に突き出し、宙に幾多も魔法陣を浮かばせた。
「サヘロディ様!? またこのようなことを……」
扉の向こうで、サヤカが小さく叫び声をあげる。その声を聴き、男の顔がさらに大きく歪んだ。
明日はまた、地上へ出向かなければならない。間違った道を歩んでいる人類に、正しい支配者が誰なのかを思い出させなければならないのだ。
「それはチァーラの実などではなく、サヘロディそのものなのだ」
男は低くつぶやくと、遠くの扉に片手を向け、軽く開ける仕草をした。扉は音もなく開け放たれ、裸のアヤノ・サヤカが恥ずかし気に後ろ向きで立っていた。
その尻からは黒く長い尾が生えており、背中には艶のあるツバサという物が生えていた。
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「じいさん、あんたサヘロディ様に奇跡を見せてもらったんだって?」
でっぷりとした肉厚の腹をなでながら、ミチアキモラの男が小柄な老人に声をかけた。集会所の奥にある何もない部屋の中、信者達が思い思いの場所で寝転がっている。
「ああ、そうだとも。サヘロディ様は、信じられないほど素晴らしい奇跡をお見せになってくださった」
老人がにたりと笑い、大きくうなずいた。前歯が数本無くなっており、歯の表面は茶色く着色している。
「サヘロディ様は光り輝いて、大空を自由にお飛びになった。それから星をお取りになって、私に授けてくださった」
老人は服のポケットから、手のひらに収まるほどの大きさの、ごつごつした白い石を取り出して見せた。
「俺も見たぞ。サヘロディ様が手を振っただけで、部屋に置いてあった瓶全部から、あふれるほどのテンジョウイワ茸が出てきた」
2人の小さくも熱中した自慢話に、周囲で横になっていた信者達が聞き耳を立てる。テンジョウイワ茸と言えば、地下の大きな空洞の高い場所にのみ生えるキノコだ。希少価値がとても高く、簡単に見つけられる物ではない。
それが瓶にあふれるとなると、一体幾らの値が付くのだろうか。2人の信者はその後もささやき声で、サヘロディが実際に見せたと言う数多くの奇跡の話を続けていた。
その興奮は静かに、そして確実に他の信者達にも伝搬していった。




