第1章・6節『ランデル』
村を覆っている夜気が、冷たくカズラの体を包む。上空には、いつの間にか厚い雲が垂れこみ、細かな雨が降り始めていた。
駐在所から少し離れた小屋は暗く、硬い土の床や湿った壁は、招かれざる客の来訪を拒んでいるように見えた。カズラは中でカーネルシアを座らせると、自分も隣に座り込み、カーネルシアの頭を肩に寄りかからせた。
年齢は13か14くらいだろうか。その顔はまるで、子供が木炭を握りしめ、紙に線を描いたのかと思うほど特徴がなかった。
腹が空いたと言っていたが、食べ物の匂いを嗅げば目を覚ますだろうか。弱っている者を、何もないここに置き去りにするのは、少々酷なように思えた。
ここがどこであれ、留置した者には適切な飲食を与える規定があるはずだ。しかし、隊員達の態度を考えると、カーネルシアは朝まで放置されるだろう。
試しに、朝食用の干し肉の欠片をカーネルシアの前にぶら下げる。やがてカーネルシアの鼻が少しひくつき、頭がわずかに動いた。
「目が覚めたか」
カズラは念のためにカーネルシアの縄を片手で持ちながら、その口元に干し肉を持って行った。
「腹が減っているのなら食べろ」
カーネルシアがいまだにチァーラの実を吐き戻していないのは、やはりカズラの放った麻酔弾が原因なのだろうか。肌の露出の少なさと、腹が減りすぎて代謝が落ちていたということなら、麻痺するまでに時間差が出る可能性はある。
嘔吐毒のあるチァーラの実を、麻痺して吐けないままでいるが故に、体調を崩して気を失うことになったのだとしたら。
しかし、カーネルシアは干し肉を素通りし、何かを言いたげな面持ちでカズラに顔を向けた。カズラは辛抱強く干し肉をぶら下げ続けた。ロクアシのおやつ用に、ジュクバナの干した実もいくつかあったが、それよりはまともな味だ。
カーネルシアは、しばらく干し肉とカズラの顔を交互に見た後、渋々と言っていいほど消極的な動きで肉を口にした。チァーラの実同様、噛まずにそのまま肉片を呑み込むと、全く足りていないという風に、力なく膝の上に顎を乗せた。
チァーラの実を呑みこんだままでいられた者の話は、今までに聞いたことがなかった。しかし、チァーラの実の皮は、人には消化できないという話は聞いたことがあった。
つまり、時間が経てば、下からそのまま排出されるということだ。嘔吐毒による衰弱があったとしても、体からチァーラの皮が出ていけば、問題はなくなるだろう。
チァーラに対する人の研究意欲には、目を見張るものがあった。それは、チァーラの実が高値で取引されている理由と深く関わっていた。
チァーラの実に含まれている【ランデル】という物質。いまだチァーラの実以外から発見されておらず、温度維持という不思議な性質も、このランデルの特質から来るものだと考えられていた。
実からランデルを抽出した場合、ランデルは数分ほどで完全に崩壊し、消滅してしまう。そのため、最も安定している実のままの状態で取引されていた。皮も乾燥させれば、厄介な生物の忌避剤としても使用でき、古くから余すところなく利用されてきた。
「君はやさしいにゃんにゃんだな……」
カーネルシアに意外な言葉をかけられ、カズラは詰まった声の代わりに、しっぽで床を小刻みに叩いた。
「俺はクースフローだ。猫と一緒にするな」
ようやくそう言って、うなだれているカーネルシアに再び視線を移した。小屋の外からの薄い光に、その姿が見すぼらしく照らされている。ほかの窃盗犯とは異なり、まるで孤児が着の身着のままで、どうにか今まで生き長らえてきたような印象を受ける。
ここ、サヘー島にしか生えていないチァーラの木の栽培許可権を得られるのは、総計50集落に限られていた。そのほとんどが、樹上の作業に長けたクースフローの集落であったが、1割程度の数の人間も栽培に関わっていた。そこから何らかの理由で外に出てきた、あるいは追い出された者なのだろうか。
「お前、親はどうした。兄弟はいるのか」
集落に無所属である者、あるいは上陸、滞在許可書のない者は、すみやかにサヘー島から出なければならない。特別保護区に許可なく留まることは、サヘー特別保護法違反で処罰の対象となっていた。そのため、カーネルシアを浮浪者とみなした治安維持部隊の隊員が、島で唯一の港街に連れていくと言ったのだ。
「どちらも居ない」
うつむいたままのカーネルシアから返されたその言葉には、カズラが想定していた悲壮感などなく、ただただ、淡々としていた。
カズラは自分がなぜカーネルシアを放置して、さっさと森へ戻らないのか、戸惑いを感じていた。退屈な警備に戻りたくないだけだと思い込もうとしたが、実際にはこの正体の知れない相手を心配し始めていた。
サヘー島にいる者たちは、グレィマかセルデンサローという2国の、いずれかの国籍を持つ必要があった。しかし、国に頼る相手がいるのなら、こんな身なりで深夜に徘徊などしてはいないだろう。
グレィマやセルデンサローは先進的な環境ではあったが、身寄りのない者が放り出されて生きていくには、かなり厳しい場所でもあると聞く。
その点、チァーラの特別保護区だけあって、サヘー島はチァーラの栽培に特化されていた。サヘー島でなら、チァーラ栽培に従事している限り、比較的安定した収入が得られた。
新規に栽培許可権を取得することは無理だろうが、すでに許可権のある村に所属することは可能だ。村としても働き手は欲しいだろうし、もし金に関して不満を漏らすようなら、カーネルシアに自分の手当てを分けてもいい。
先走った考えであると感じながらも、カズラは急かされるようにカーネルシアに声をかけた。
「他に行くところがないなら、ここで働くか? 食べ物と寝床ぐらいなら、俺が世話してやれる」
カズラのその言葉を聞いて、カーネルシアがカズラに再び視線を向けた。今度もまた、驚きという名の表情を忘れてしまったような顔だ。
「僕を助けようとする人を、久しぶりに見た」
深い影に埋もれた瞳が、何を物語っているのかカズラには見えなかった。だが、カーネルシアはカズラのしっぽに手を伸ばし、壊れ物にでも触るかのように、そっと毛先を撫でた。




