第8章・58節『全ての知識を求める』
カズラが攻撃的な目でラグを見ているのに気付いたカーネルシアは、遮るように顔を出してカズラの視線を切った。
「僕は君たちを信用している。でも、話を聞くことと理解することは違う。複雑な話は、もっとお互いを知ってからするものだ。本にそう書いてあったぞ?」
カーネルシアが言い終えるや否や、船内での営業を終えたルク・ミィアがつかつかと歩み寄り、カズラとカーネルシアの間に体をぬるりと割り込ませた。
「どんな本を読まれたんです?」
しゃがみながら、尻を2人の狭い隙間にずりずりとねじ込む。押されて体をずらされたカズラは、ルク・ミィアのふわふわしたしっぽに噛みつくように、クースフロー特有の尖った犬歯をむき出しにした。
「『人と暮らす30のひみちゅ』っていう本だ」
どことなく自慢げにカーネルシアが胸を張る。
「どこでそんな本を読んだ」
胡散臭い題名に、カズラの体から力が抜ける。ゴンゾー街の古本屋で、立ち読みでもした事があるのだろうか。バラノ村が学者街であるサニムから近いのならば、そこで本を読んだのかもしれない。
「面白い本をご存じなんですね。あ、カーネルシア、お腹空いていませんか? 焼き菓子を一緒に食べましょう」
ゴンゾー街で購入していた焼き菓子を取り出し、ルク・ミィアがカーネルシアを誘う。いかにも子供が好きそうな甘い匂いが、周囲に漂った。
カズラはすかさず立ち上がると、ルク・ミィアから離れてカーネルシアとラグの間に座り直した。カーネルシアに断られる様を見ようと、カズラが息をひそめてほくそ笑む。
「僕は今日の分をもう食べたんだ。だから君たちの食べ物を、僕のために減らす必要はない」
カズラがそれ見たことかと言うように、カーネルシアの隣で強くうなずいた。
途端にルク・ミィアの耳が垂れ下がり、絶望に打ちひしがれたとでも言うように、肩を落とした。
「そうですよね……夜に焼き菓子なんて、食べられませんよね……。すみませんでした……。カーネルシアの好みも知らないだなんて」
今にも涙を流しそうな顔をして、ルク・ミィアが震えた声を出す。船内は、乗客の疲れ切ったひそひそ話で満ちていたが、ルク・ミィアがその中でもひと際暗く鼻をすすった。
その態度に我慢できず、目を剥いたカズラの手に力がみなぎる。座る位置を変えていなければ、今頃ルク・ミィアのしっぽを反射的に引っこ抜いていただろう。
殺気に慌てたのか、ルク・ミィアに同情したのかは分からないが、カーネルシアがルク・ミィアの手から焼き菓子をつかみ取った。そのまま口の中に押し込んだものの、明らかに引きつり強張っている。
「ふふふ、カーネルシアったらお優しいんだから、もう」
ルク・ミィアが晴れやかに、けろりと笑った。カーネルシアの背後で、言葉にならない怒りと不快感から、カズラの顔がこれ以上ないほどに歪められる。
カズラの隣でやり取りを眺めていたラグは、冊子に2匹の猫が喧嘩している悪戯書きを描いた。横の余白に、カーネルシアが読んだという本の題名も追加する。
ラグも昔から本を読むのが好きな方だったが、自己啓発のたぐいには手を出したことがなかった。子供の頃に親が買ってきた『森に棲む神』と、『サヘロディのチァーラ』は、すり切れるほどに読んだ。どちらもチヨ・クスノキが執筆した本で、発行部数はそれほど多くはなかった。
チヨは初代チァーラの木を守っているクスノキ村の現村長でもあり、本には特別な情緒が込められているように思えた。彼女の本に巡り合えたからこそ、今のラグがあると言っても過言ではない。
ラグは最も好きなフレーズとなっている、チヨの本にあった言葉を、懐かしむように小さく冊子に書いた。
【全ての知識を求める……キーイーらィ】
そして静かに冊子を閉じ、鞄の中に丁寧にしまった。
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セルデンサローの首都トウノの港。他に誰もいない乗船窓口付近で、大柄な人間の男が暗い夜の海をにらんでいた。若者と言うには少し老けた印象があるが、40代と言うには、まだ張りの残った肌をしている。
焦燥感と苛立ちを隠しきれない様子だったが、身なりは貧しい者のそれとは異なっていた。黒く長い外套で身を包んでおり、裾からは手入れの行き届いた黒い革靴が見えている。
男は朝7時に、ここトウノからポルポ便で信書を送っていた。宛先は国際捜査機関の特別捜査官であり、セルデンサローの治安維持部隊【セルデンの盾】の捜査官でもある、イノ・シカヤマだ。
国際捜査機関の緊急会議が行われたグレィマのフジシマへ送ったのだが、ポルポ便が到着した時には、シカヤマは調査のため既にサヘー島へと向かった後だった。
ポルポ便の規定で24時間は相手を追跡できるため、信書はすぐにサヘー島へと送られた。途中で問題でも起きない限り、13時にはサヘー島に信書が届いている計算になる。
シカヤマがゴンゾー港で信書を受け取っていれば、今頃ここにシカヤマの姿があったはずなのだ。しかし、待てど暮らせど、海上にそれらしき船の姿は見えなかった。
遠くの水平線をにらんでいた男の目が、手首に付けられた時計に移される。時刻は既に20時を過ぎている。秒針が動くごとに、怒りが増幅していくように感じられる。
祖国セルデンサローと、教王イツヒラ・セルデン・トウノへの忠誠心。それを軽んずることは、何人たりとも許されないはずだった。男は行き場なく暴れる心を制御するため、その拳を必死に握りしめた。




