第7章・56節『ロロ』
ルク・ミィアが、付近の手すりにつかまって下を見ている乗組員に大声をかける。
「ロロ除けはどうしたんです!?」
それは、ロロが船にぶつかってこないよう、小回りの利かない大型船に必ず乗せられている音波忌避装置のことだった。
「臨時船には元から無い!」
「難破した輸送船のロロ除けがあったでしょう!!」
ルク・ミィアの声を聞き、カズラがカーネルシアの体を自分に引き寄せ、手すりを握りしめた。ロロの恐ろしく長い体は、未だに船の下を通過しており、終わりのない道のように見えた。
「どこかのバカが港で海に落として壊した!! 他に無いんだから仕方ねえだろ!!」
体を螺旋状に大きく旋回させて泳ぐロロが、船の進路方向に高い波を作り出す。
乗客は悲鳴を上げて、備え付けの椅子や手すりにしがみ付き、もはや動き回る荷物を止めようとする者はいなかった。船にかき分けられた海水が、白い波しぶきとなって横に飛び散っていく。ラグのこげ茶色の二重マントも、しぶきを受けて表面に黒い水玉模様を作り始めた。
「絶対に木箱を落とすな!!」
下の階層から、他の乗組員たちの声が届いた。チァーラの木箱や、他の輸送品が置かれているエリアだ。紐で固定されているとは言え、こうも船が激しく上下していたのでは、その内海に放り出されてしまうだろう。海に落ちるのが、木箱だけですめば良いが。
完全に耳を寝かせたカズラは、しかしカーネルシアを心配させないよう、気丈に振舞おうと努力した。ルク・ミィアは長鞄をもう一度肩からおろすと、中に固定されていたハリヌ器の部品を取り出し、器用に組み立て始めた。黄緑色のしっぽが、バランスを取るためにせわしなく動く。
「それで何をする気だ」
カズラがルク・ミィアの行為を見て、思わず口走る。次々と組み立てられたランデル・ハリヌ器は、水鉄砲の上部に横長の小型タンクがついているような、奇妙な形状をしていた。
「ロロを止めるんですよ。このままだと、みんな海の藻屑です!」
嫌な浮遊感が体をめぐった後、波の底に叩きつけられた船が、再び大きく傾く。
「補充用のチァーラの実が、まだ残っていて良かったですよ」
ルク・ミィアは黒い手袋をはめると、長鞄の中からチァーラの実が入った皮の袋を取り出した。そして、ハリヌ器の貯蔵タンクの投入口から、持っていた全てのチァーラの実を手早く入れた。
内部タンクの上部には、温度調節機構があった。それぞれ隔離された密封容器の中に、すでに温度が記録されているチァーラの実が1粒ずつ入れられていた。
内部タンクには特殊な液体が入っており、密封容器の片方を下げて液体に接触させ、ランデルの力で液体の温度が下がるのを待った。
「温度記録開始します」
腕時計を電灯に当てて見ながら、ルク・ミィアがハリヌ器の赤いボタンを押して通電した。今から1分後に、内部タンク中のチァーラの実全てが、液体と同じ温度を記録するはずだ。
船全体から、きしむ音が漏れ出してくる。遥か先に行っているロロの頭が、左に大きく旋回し始めた。
もう2度と船には乗りたくないとラグは思った。片腕でカーネルシアを抱きしめていたカズラは、何も言わないカーネルシアの顔をのぞき見た。
恐怖におののいているのかと思いきや、ただ小さく口を開け、激しく動く水平線を面白そうに見ている。感情が薄いのなら、恐怖もまた薄いのだろうか。
今だけはカーネルシアの気持ちと変わりたいと思いながら、カズラは震えるしっぽを体にぴたりとくっつけた。
ロロの頭が、船から500メートルは離れただろうか。ようやく船の下から、その白銀の体が見えなくなった。宵に向かっていく世界の中で、視界は刻一刻と悪くなっていく。
水しぶきで甲板が濡れ、立っていられないほど乱れた揺れに、カズラは甲板に尻をつけて座り込んだ。その隙に、カーネルシアがカズラの腕をすり抜けた。
数メートル先で体をくねらせ、まだ揺れている船でバランスを取って遊び始める。
「カーネルシア!」
カズラが必死にカーネルシアを呼ぶが、カーネルシアは歯を見せて笑ったまま、船の揺れに合わせて体を動かしている。
「面白い乗り物だな」
左舷からロロの銀色の頭が、波をかき分け船目がけて進んできていた。
「戻れ!! あいつが帰って来る!!」
カズラが這いつくばりながら、カーネルシアに近寄ろうとした。
ルク・ミィアは腕時計からハリヌ器に目を戻すと、噴射口の下に空気圧縮用のパーツを取り付けた。
「どうやってそれでロロを止めるんだ!?」
船酔いと水しぶきの冷たさで、見て分かるほどに体を震わせながらラグが叫んだ。
「冷え冷えのチァーラの実を、召し上がっていただくんですよ!」
内部タンクはすでに霜がついて中が見えなくなっており、外部タンクには結露した水滴が多数流れ落ちていた。内部タンクの液体と全てのチァーラの実は、既にマイナス15度になっているはずだ。これをロロの体内に入れられれば、チァーラの実に接触したロロの肉も凍り付く。
さすがにロロ全体を凍結させるほどの実は無かったが、撃退できるだけの痛みは与えられるだろう。
ルク・ミィアは手すりに足を絡め、ハリヌ器の噴射口を外に向けた。ロロの頭が、すでに船から100メートルまでに迫っていた。口の中にもうひとつの口が見えており、内側に鋭い棘のような歯が幾列にも並んでいる。
カズラはようやくカーネルシアにたどり着くと、離さないように腕で抱えて衝撃に備えた。
「君は心配するのが好きなにゃんにゃんだな」
置かれている状況が分からないのか、カーネルシアがのん気に自分を抱えているカズラの手の甲をなでている。
「僕は、大きなにゃんにゃんの手には、小さなにゃんにゃんと同じ毛と肉球が必要だと思うんだ。そのほうが、もっとニゃんニゃんだからな」
[ロロロロロロロロ……]
口を開けながら海面を進んでくるロロの頭が、急速に迫ってきた。
この音からロロと名付けた先人に対し、ラグは少し残念な気持ちを感じた。しかし、ロロの顔を見る限り、もしかするとロロはろろではなく、くちくちと読むのではないかとも思えた。
もう2度と、あの肉厚で旨いロロの煮付けが食べられないのかと軽く絶望する。ロロの煮付けを食べたラグ自身が、この災いを呼んだのではないかとさえ思えていた。
きっとロロは仲間思いなのだろう。もしかしたら、今朝食べたロロはあのロロの子供だったのかもしれない。ラグの体中の毛穴から、コロロの匂いが放出されているのだ。それがパパロロかママロロを引き寄せ、怒らせているのだろう。
ウタゲが昔、ロロは他ロロの死臭を避けるらしいと言っていたが、そう考えるとロロを食べたラグが海に飛び込めば、体から染み出るロロ臭で逃げたりしないだろうか。とは言え、泳げないラグにそれを試す度胸はこれっぽっちも無かったが。
それより、カズラ達が雑貨屋に行っている間に、頑張ればもう1食、ロロ料理を食べられたかもしれない。いや、ウタゲとカフェに行く時間があったなら、絶対にロロを食べられたはずだった。
ロロ肉はポンの実のパイより格段に旨かった。コロロをパイにすれば、より旨いのではなかろうか。ラグは思い出したロロの味で唾液をあふれさせながら目を閉じて、柔らかさの中にも独特の歯ごたえを残した肉厚のロロ煮を思い出していた。
ルク・ミィアが濡れそぼりながら、目前に迫る10メートルほどに開いた口へ向けて、ハリヌ器の引き金を引いた。瞬時に、噴射口からチァーラの実が数個発射された。即座にパーツを動かし空気を圧縮した後、残りのチァーラの実を発射する。
その全てがロロの口の中に入り、ロロは頭を下げて船の下に潜り込んでいった。横波で船体が再び激しく傾く。
猫であれば、甲板に爪を立ててその体を留めておけただろう。しかしクースフローにあるのは、人間と同じ柔な爪だけだ。
体が船体に叩きつけられるか、暗い海に投げ出されるか。
それでもカーネルシアだけは守らなければと思いながら、カズラはカーネルシアを抱えている腕に力を入れた。
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