第7章・54節『こぼれたもの』
下着をはき終えたカズラは、カーネルシアのもとに行く前に、甲板から見える大海原に目を奪われた。
水平線はぼやけていたが、沈むフョーカーの光が水面で乱反射している。森で生活しているカズラにとって、なかなか体験することが出来ない光景だ。
阻む物のない潮風に吹かれながら、錆の浮いた手すりに近寄る。
コロコロモと呼ばれる小さな発光生物が、船の周囲で様々な光を放ちながら、波にのまれて後方へと散らばっていく。
カズラの肌の色が原因なのか、周囲の乗客が次々カズラから離れていく。普段通りひそひそと漏れ出す声も、遠い場所から聞こえるように感じる。
深い緑から銀色へと変化していく海の表面を見つめながら、カズラの意識がゆるやかに風景に溶けていった。
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どこかで歌が聴こえていた気がした。それがいつの事だったのかは、思い出せなかった。聴いたことがない言葉と、輪郭のない声で繰り返される旋律。何かが引き千切られ、奪われた感覚だけが残っていた。
不意に、カズラの頬に涙がこぼれ落ちた。激しく動揺したカズラは、手の甲でそれを直ぐにぬぐうと、自分を誤魔化すようにしっぽを激しく揺らした。
途端にしっぽの先が、尻の後ろで何かにぶつかった。ぎょっとして振り向いたカズラの目に、青紫色の頭が映り込んだ。
「!? カーネルシア」
そこには、しゃがみ込んで片手に櫛をにぎりしめ、カズラのしっぽを手で追いかけているカーネルシアの姿があった。
「何をしている……」
一気に緊張がゆるみ、カズラが気の抜けた声を出した。
「カズラの毛づくろいをしに来たんだ。にゃんにゃんには必要なことだからな」
カーネルシアはそう言うと、しゃがんだまま、捕まえたカズラのしっぽにそっと櫛を入れ始めた。
苦笑しながら甲板の手すりに向き直ったカズラは、そのままカーネルシアの好きにさせることにした。他人にしっぽを手入れしてもらうなど想像もしなかったが、案外悪くないものだった。
カーネルシアが強く握りすぎないことは分かっている。何よりも、他人に心を許しているという状況自体、カズラには特別に心地よく思えていた。
「カーネルシア、見てください! 誰かの荷物に引っ掛けられて、髪がぐしゃぐしゃになってしまったんです!! そんな貧相なしっぽより、私の髪を梳いてください!!」
いい気分でカーネルシアにしっぽを任せていたカズラのもとに、ルク・ミィアが頭のてっぺんから声を出しながら駆け寄ってきた。
途端にカズラの顔が歪み、しっぽに怒りが充填される。どう見ても自分で絡ませたとしか思えない髪を見せながら、ルク・ミィアがカーネルシアの手を取った。
「他の方に席を取られてしまいますから、早く席に戻りましょうねっ!」
ルク・ミィアはカズラの存在を完全に無視して、カーネルシアを元居た席へと連れ帰った。
カズラのスリングショットが盗られていなければ、ありったけの麻酔弾をルク・ミィアの後頭部目掛けて撃ち込んでいたことだろう。警備目的以外での使用は認められていなかったが、カーネルシアと言う身内の拉致を妨害するためなら、認められて然るべきと言うものだ。
カズラは鼻息を荒く吐き、しっぽの毛先を広げながら、足早にカーネルシアとルク・ミィアの後を追った。
ルク・ミィアは懸念材料のひとつだが、どうせグレィマまでの辛抱だ。
結局、カズラはゴンゾー街で仕事に有り付けなかった。カーネルシアはセベヒーシャを売って金を得たが、それはカーネルシアの金であってカズラの金ではない。
グレィマに着き次第、早々に金を稼がなければならない。カーネルシアとどこで新生活を始めるにしろ、金が無ければ何も始まらないのだ。しかも、カズラはカーネルシアから、すでに乗船券と下着分の6,000エンも借りがある。このままでは、今晩泊まる場所すら確保できない。
めり込むように冊子に何かを書いていたラグの隣に、ルク・ミィアがカーネルシアを座らせた。その横に悠々と腰を下ろしたルク・ミィアが、一足遅かったカズラを嘲笑うように足を組んだ。
「カーネルシア、グレィマに着いた後、泊まるあてはあるんですか?」
カズラの心を読んでいるように、ルク・ミィアがいきなり核心をつく。
カーネルシアはルク・ミィアの髪に入れた櫛を止めると、目の前のカズラに顔を向け、次にルク・ミィアに視線を戻した。
「ん゛ん゛……」
それを聞き、ルク・ミィアの顔がまばゆいほどに輝く。
「では、私が宿を手配「断る!!」
速攻カズラから怒号が飛び、周囲の乗客が迷惑そうに眉をひそめた。
「あなたには言っていませんよ」
「お前は会社に帰るんだろ」
声を出来るだけ落としたカズラだが、語尾には激しい憎悪がこもっていた。ルク・ミィアがそれに対し、白々しく言い返す。
「帰りますよ? 明日の朝」
カーネルシアは何の心配もしていないように、櫛から薄黄緑色のやわらかで細い毛を集めると、面白そうに鼻息をかけて遊び始めた。
カズラがそれに気づき、カーネルシアからルク・ミィアの毛を奪って、座席の下に思い切り投げつける。
「汚い物で遊ぶな! 病気になるぞ!」
落ちた毛が風に舞い転がる様を見て、さらにカズラが足で追撃し蹴散らす。ルク・ミィアは面倒そうに肩をすくめ、薄紫色の瞳を天井へ向けて息をついた。
「あなたのボサボサな毛と一緒にしないでください。大体、お金がないのに宿はどうする気ですか。まさか、カーネルシアを野宿させる気ですか?」
ルク・ミィアの語尾にも微熱がこもり始め、ラグが冊子を閉じて横から観戦し始めた。まるで野良猫の喧嘩を見ているようだ。
カズラは返答に詰まり、牙を見せながら表情をこわばらせた。カーネルシアがカズラを見上げ、その尖った白い牙を見つめる。
「俺……宿代出そうか?」
カズラに即答で断られるのは目に見えていたが、ラグが心配そうに口を開いた。昨日の風邪が治りきっていないのか、船に乗ってからこの方、もやもやした吐き気が大きくなってきていた。
初めて船に乗ったラグには、まだ分からなかった。この世に、船酔いという物が存在していることを。
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サヘー島にある地下通路のひとつで、16歳になるドゥルフの少年が指示書を読んでいた。ドゥルフ・ストーンと呼ばれる、元孤児の寄せ集め集団の1人だった。
指示書には、次の放火場所と地下通路の地図が細かく描きこまれていた。
少年は腰に下げていた袋の口を開き、持ち物を確かめた。中には、フウセン草の実に入れられたヌーネイルの油と、火種用のキミワタの繊維、そして小型の圧縮発火器が入っていた。
ドゥルフの少年は、以前仲間と回し読みした本に、サヘロディ教が出てきたことを思い出していた。
悪しき敵として描かれることが多い教団だが、彼らは架空の存在などではなかった。長くに渡り実在しており、今ではサヘロディの神炎が、サヘロディ教の信徒たちの受け皿となっていた。
少年はまだ、サヘロディの姿を直接見てはいなかった。ドゥルフ・ストーンの現リーダーであるトウミツから指示を受け、別動隊として動いていたからだ。
仲間の話によると、サヘロディは信者達に、決して切ることのできないチァーラの木を切って見せたと言う。
だが、少年はそんな噂は信じていなかった。神であれば、全て思い通りに出来るはずだ。考えただけで、この星アーサニカーを燃やし尽くしてしまうことも。わざわざドゥルフ・ストーンに協力させ、このような企てを行うこともないはずなのだ。
しかし、それでは罪に対する罰にならないのだろうと、信者のひとりが言っていた。サヘロディをないがしろにし、感謝を忘れ、チァーラの実を我が物顔で利用していること。それがサヘロディの言う、人の罪らしい。
だが、そもそも少年の神は別に存在していた。それは実在の人間であり、実際神ではない事は承知していた。だが、それに匹敵するほどの人物なのだ。
少年は、もし自身が神であるならば、人々の前で神の力を堂々と見せつけるだろうと考えた。逆らう者は全員洗脳し、死ぬまで奴隷にしてもいい。
そうすれば、少年が行った事の全ては、神の行いとして許されるのだろうか。いや、神であるならば、誰に許しを請う必要もないのだ。神には、人が作った法など関係がない。
冷える地下通路で両腕をさすり、少年は神について悶々と考えながら、重い足取りで目的地へと向かった。




