第6章・47節『サヘロディに会ったら』
「ムラタ教授から返答がありました。結局、繭の分析は出来なかったようです」
庁舎の委員長室に戻って来たマエルーは、グレィマの生命分析研究所から暗号化通信を受け、メロウティアに内容を報告した。
息抜きに海を眺めていたメロウティアが、振り返らず息をつく。
「ここにはやはり、技術が足りない。人も足りなければ、持っていたはずの知識も失われてしまっている」
その声は、今までの軽く爽やかなものと違い、重く深刻な性質を含んでいた。
マエルーが眼鏡をかけ直し、通信内容が書かれた紙を折り曲げ、メロウティアの机の上に静かに置いた。委員長室はヨシタカ・タカイドの代から入り口が2重になっており、会話の内容が立ち聞きされないように配慮されていた。
「我々が失ったベュー・ルガテカーの技術を取り戻せる存在は、この世でサヘロディしかいない」
その星には、多数の国々と高度な科学力があった。いや、今尚そこにあり、古き時代の人々が星を後にした後も、絶え間なく発展し続けている事だろう。
「自身を追放した人類に応えてくれるでしょうか」
マエルーはメロウティアにならい、低く声を落とした。外に見える陽気な風景とは裏腹に、委員長室には冷たい空気が張り詰めていた。
カズラ達の証言が間違いでなければ、サヘロディを探すべきは広大な地下となる。
「彼が信者を集めて何をしようとしているのか、それを知る必要がある。窃盗事件との関わりや、森への放火、ドゥルフとの関係も」
部屋の中に響く、時計の秒針の音が耳障りだった。人にとっての1秒と、サヘロディにとっての1秒は大きく異なるのだろうか。
古き時代の人々の言葉が正しければ、サヘロディは不死であるはずだった。果たして彼が次に姿を現す時、人はまだ生きているのだろうかと、マエルーは思った。
「地下通路の捜索は、引き続き治安維持部隊に任せる。特別捜査官とは可能な限り、情報を共有して。我々の目的はこれまで通り、サヘロディと遺物の在り処よ」
メロウティアは強い意志がこもった目で、マエルーを真正面から見据えた。
「忘れないで。我々キーイーギナはそのためにある」
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「俺は、サヘロディに会ったら聞きたいことが山のようにあるんだ。それなのに、それなのに……はははは……」
今ではしくしくと泣きながら、ラグがテーブルにうなだれて嘆いた。
「嫌ですねぇ、めそめそする方は辛気臭くて。嘆くのは死ぬ当日だけにして下さいよ。ふふふ……」
ルク・ミィアも疲れ切っているのか、椅子にもたれ掛かってかすれた声を出している。
「カーネルシアは……サヘロディに会ったら、何をされたいですか?」
テーブルの凹凸を触っているカーネルシアの指先を、ルク・ミィアの薄紫色の瞳が追いかける。
「……。カズラとルク・ミィアは?」
カーネルシアに話を振られたカズラは、くだらない質問だとばかりに顔をそむけた。
「何もない」
存在するかどうかも分からない者に、何をすると言うのか。もし、タケウツギの藪で出会ったミチアキモラがサヘロディだと言うのなら、何かをしてもらえるとは到底思えなかった。
カズラは物心ついてから、肌の色を変えてくれとサヘロディに願い続けた。だが、結局その願いは、聞き届けられる事はなかった。自身のその行為と純粋だった頃の心を消すかのように、カズラはサヘロディそのものに背を向けていた。
「私は……ふふふ。そうですねぇ、本当に今でも存在しているのなら、私から記憶の一部を消してもらいたいですね」
辛気臭いと言ったラグの感情が感染でもしたように、ルク・ミィアが急にぼやき出す。
ケラ茸には、アルコールと似たような成分でも含まれているのだろうか。ラグとルク・ミィアの状態は、まるで居酒屋で泣き言をこぼしている酔っ払いのようだ。
店内には未だカズラ達以外に客がおらず、それが陰鬱な空気を尚のこと強めていた。
ラグは肩で大きく息をしながら、隣のルク・ミィアをしげしげと見た。
「記憶を? ……何でまた」
「誰にでも嫌な記憶のひとつやふたつはあるでしょう? ……ふふふ」
ルク・ミィアの薄ら笑いが、しんみりと店内に漂う。だが生憎カズラの場合は、記憶を消したところで何がどうなる訳でもない。
「僕は今まで触った中で、一番のニゃんニゃんを教えてもらいたいな」
カーネルシアはようやく思いついたようにそう答えると、サヘロディに思いを馳せるように、窓の外へ顔を向けた。
ラグとルク・ミィアが力なく笑う。
(一番手触りが良かった猫?)
カズラだけが真剣な表情で、毛の手入れをするには何が必要かを考えた。
ルク・ミィアとラグの体力が回復するのを待った後、4人は食事処からようやく外へと出た。だが輸送船の出港まで、まだ2時間以上もある。
クルーセが諦めて帰っている事を願いながら、カズラは通りを歩く人々に注意深く目を走らせた。
グレィマに行くことは、ただの現実逃避だろうか。生まれてこの方、観光をした事のないカズラにとっては、地下を除いてこれが初めての旅となる。
もし上手く事が運べば、向こうで仕事を見つけて部屋を借り、カーネルシアと共に生きていけるかもしれない。
カーネルシアの同意を得ることが大前提だが、カズラを自分のにゃんにゃんだと言ってはばからないのだ。カズラはカーネルシアの言葉を思い出し、自然と表情をゆるめた。
誰に笑われようと、悪くない響きだ。悪くないどころか、最上だと言っても過言ではない。カーネルシアはカズラにしか、自分のにゃんにゃんだと言っていないのだ。
「カーネルシア、お口が汚れていますよ」
ルク・ミィアがポケットからハンカチを取り出し、馴れ馴れしくカーネルシアの口の端を拭った。途端にカズラの顔から、余裕のある笑みが消える。負け犬ならぬ負け猫は、何を頑張ったところで負け猫のままだ。しかし、だからと言ってカーネルシアに媚を売る権利を認めるつもりなどない。
「どこかで歯を磨きたいですね。朝食後に磨けませんでしたし」
営業職らしく身だしなみに気を使っている様子で、ルク・ミィアが周囲を見回した。ラグが何かを思い出し、東の方へ指を向けた。
「それなら、マルモチ用の広場がいい。あそこに水飲み場があった」
マルモチ用の広場とは、チァーラの実を村から運んできたマルモチを待機させておく、一時保管庫裏にある場所のことだ。ゴンゾー街から出る道につながっている為、クルーセに見つかりやすい場所でもある。
カズラは息を深く吸い込むと、クルーセの匂いがしないか神経を尖らせた。
「カーネルシアには私の歯ブラシを差し上げましょうね。未使用の物ですよ」
ルク・ミィアの用意周到さに、カズラの目の下がストレスでひくひくと動く。
「あそこなら座れる場所もあるし、近くに公衆トイレもある。出港時刻までそこで過ごせるな。我ながらいい案だ」
ラグが自画自賛しながら、ひとりで力強くうなずいている。つい先ほどまで、ケラ茸にさめざめと泣かされていたとは思えない。
実の出荷時間のピークは過ぎている事から、マルモチ広場にいる人の数は減る一方だろう。ますますクルーセに見つかる可能性がある。
歯磨きをしないと言う選択肢は、カーネルシアにとっても良くはない。歯医者は数が少ないだけでなく、足元を見て高額な治療費も請求してくる。一人でクルーセから逃げることを優先し、出港時刻までカーネルシアと離れるわけにもいかない。ルク・ミィア達の気が変わり、カーネルシアを島のどこかに連れ去る事もあり得るのだ。
カズラには特に、ルク・ミィアがカーネルシアに異常なほど執着している様に見えた。まるで、カズラの好物を片っ端から奪っていった兄達のようだ。
ラグと違い、同じ種族のクースフローであるがために、余計にそう感じるのかもしれない。
子供時代、おやつとして作ったニューニュー樹液の飴も、お気に入りのロクアシの毛束も、金をためて買った本も、何もかも兄達に奪われて無くなった。幼いカズラの顔から、人生への些細な楽しみと望みが、笑顔とともに少しずつ失われていったのだ。
それ以来、カズラは好きな物を作らないことで自衛してきた。彼らは決して変わらない。傷つかぬようにするには、傷つく機会を自ら手放すしかなかった。
兄達にまつわる嫌な記憶をかき消すように、カズラは頭を乱暴に振った。
そんなカズラが、カーネルシアとの精神的なつながりを心から求めているのだ。それを邪魔する者は皆、カズラにとっては憎き敵だった。
「歯を磨くのか?」
マルモチ広場に向かって歩きながら、カーネルシアがルク・ミィアを見上げて聞いた。
【チァーラの根かじり】
カズラは食堂での老人の言葉を、ふと思い出した。何をもってしても、人には切れない物。そして、それを噛んでいた歯。




