第5章・33節『出てきたカーネルシア』
「下に向かっている通路を選んだんだ。上には、怖いわんわんがいたからな」
その場にいた関係者全員が、カシワの脇にいた声の主に一斉に視線を注いだ。カズラは思わずその名を呼びそうになり、慌てて口を閉じた。
「カーネルシア!」
しかしカズラの努力も空しく、ラグが咄嗟にカーネルシアを呼んだ。息の根を止めそうな勢いで、カズラがラグをにらみ付ける。
カシワの容姿が気に入ったのか、カーネルシアは腰を曲げてカシワの顔をじっと見つめている。瑠璃色のポンチョコートが綺麗になっているところを見るに、水場で泥汚れを落として来たのだろうか。
「どこに行っていた」
カズラが声をひそめてカーネルシアに尋ねた。
「ひみちゅだ」
カーネルシアは口をいびつな形に変えて、カシワを見たまま笑った。カシワは至近距離の不気味な顔に、眉を寄せて上半身を後ろへと引いた。
「カーネルシアさん、初めまして。サヘー保護委員会委員長のメロウティア・タカイドです。シーファーさんとのご関係をお聞きしても?」
メロウティアが立ったままのカーネルシアに、ストレートに質問を投げかけた。マエルーが無言で立ち上がり、近くにあった空き椅子をテーブルの横へと置く。
カズラはカーネルシアが下手なことを言って墓穴を掘らないか、気が気ではなかった。
「カーネルシアと呼びたければ、そう呼んでも構わない」
カーネルシアがようやくカシワから目をそらし、メロウティアの視線を受け止めた。
「と……おっしゃいますと? 名が他にあるんですか? それとも、呼び捨てで構わないという意味ですか? 正式なお名前はなんです?」
カシワの矢継ぎ早な質問に、カズラとラグが一瞬眉を寄せた。職業柄必要なのだろうが、重箱の隅をつつき回るような聞き方だ。
「名はカーネルだ」
臆することなくそう返したカーネルシアに、再びカズラとラグの見開かれた目が向けられた。
今まで名前だと思っていたのがフルネームだった事に驚き、空のコップを握っていたカズラの指がぴくりと動いた。
「カーネル・シアさん……。ふむ。姓が……シア、と?」
カシワが手帳にその名をせっせと書き込む。
「姓はない」
カーネルシアは立ったまま淡々と答えた。
「姓がない?」
メロウティアが、カーネルシアの容姿を脳裏に焼き付けているように眺めながらつぶやく。
カーネルシアはメロウティアの反応を素通りして、カシワの後ろに座ったマエルーの後頭部に視線を移している。夕焼け色の肩までの毛が、後ろでゆるくひとつにまとめられており、耳だけがこちらを向いている。その手はカシワ同様、カーネルシアの返答を忙しく書き留めていた。
「では、カーネルさん。改めてシーファーさんとのご関係を、ご説明願えますか」
カシワに促されたカーネルシアの目が、するりとカズラの顔へ行く。カズラの紫色の瞳に、歯を出して笑うカーネルシアが映る。
「カズラは僕のにゃんにゃんなんだ」
「!?」
マエルーが小さく鼻息を噴き出し、慌てて咳ばらいをして誤魔化した。夕焼け色のしっぽが、何度か小刻みに揺らされる。
絶句したカズラが、その後の説明をどうするか考えている内に、カーネルシアが後を続けた。
「僕をコワト村に入れると言ってくれたんだ。昨日会ったばかりなのに、お腹が空いていた僕を、カズラは助けようとしてくれたんだ。いいにゃんにゃんだろう?」
「昨日初めて? ……シーファーさん、どうして初対面のカーネルさんを村に入れようと?」
カズラは、耳の先を火でちりちりと焼かれているような気がした。
「相手は、やせ細って腹を空かせていた子供だ。こっちに危害を加えてくる素振りもなかった。人の心があれば助けようとするだろ」
カズラはスズモロのパンを手に取ると、半分にちぎってカーネルシアに差し出した。
「食べるか?」
カーネルシアの目がパンと宙を行ったり来たりしていたが、数秒止まった後でパンを取り、口の中にすべて押し込んだ。そして口をむにむにと動かし、歯をカチカチとならす。その様を、メロウティアとカシワが怪訝そうに見た。
カーネルシアは2人の視線に気づくと、再び数秒止まり、噛んでいないパンをぐぐぐと強引に飲み込んだ。
本当のところ、カズラにはカーネルシアの年齢が分からなかった。確かに、顔や体格は10代前半のものに見える。しかし、今になって考えれば、恐ろしく細い腕でラグを抱え、湖から軽々引き上げているのだ。濡れた衣服も鞄も、まるで重さなど無いかのように。
地下通路で後ろから押された時も、カズラの力では全く踏ん張りがきかなかった。空腹で倒れていたような10代前半の子供に、果たしてそんな力があるだろうか。
だが、仮に大人であったとしても、カーネルシアを子供として印象付けておけば、面倒なことに巻き込まれる可能性は小さくなる。飲み込んだチァーラの実は、大した量ではないのだろうから、これから村で働いて返せばいい。




