第1章・3節『カーネルシア』
人間の体は思う以上に軽く、ロクアシに共に乗せても問題はなさそうだった。
「あのドゥルフの奴らは、お前の仲間か?」
騎乗するためにロクアシを座らせ、人間の体を持ちあげて胴にまたがらせる。
「ん゛ん゛」
人間の頭が、鈍い言葉とともに何度か横に動いた。ロクアシが長い口吻をのばし、人間が食べ物ではないことを確かめている。
「それは否定しているのか?」
カズラもロクアシにまたがり、目線の下にきた人間の後頭部を見つめながら言った。人間から風に運ばれ、奇妙な匂いが鼻の先に漂ってくる。ロクアシの体から発せられるものとも異なる、どことなく香ばしく甘い匂いだ。
何の匂いに似ているのかを探るように、カズラの鼻孔がすんすんと音を鳴らす。
「ん゛……」
今度は縦に動いた頭に、カズラは首を傾げてまじまじとそれを眺めた。カズラが初めてとらえた窃盗犯としては、格好がつかないのは否めない。
ロクアシの手綱を左手で持ち、村の方に誘導して走らせる。人間がほかにもチァーラの実を隠し持っていないかと、後ろから相手の外衣に右手をのばし、まさぐった。
「どうして僕をくすぐるんだ」
人間が体を左右にひねり、驚いたように声をあげた。
明日には忘れそうなほど、これと言って特徴のない声だ。表情と同様、感情が読み取れない。
「ほかにも実を盗んでいないか、確かめているだけだ」
追跡者がいないかと、耳を後ろに向けて用心しながら、カズラがぶっきら棒に返した。
外衣の下の服も、ぼろ布のように破れかけている。斜めがけで下げられていた人間のカバンが手に当たり、カズラはそれを確認するために後ろへ回した。ロクアシの走る振動で中身を落とさないよう、カバンを内ももに押しつけて固定する。
「それは僕の持ち物だぞ?」
縛られた後ろ手を窮屈そうに動かしながら、人間がカズラの方に首を向けて抗議してきた。しかし、その口調はどこかぎこちなく、語尾はもったりとしており、到底怒っているようには聞こえなかった。
「人のチァーラに手を出しておきながら、言える言葉か」
カズラはそう言いながらカバンの口を広げると、チァーラの実が隠されていないか探った。しかし中にあったのは、やわらかな物が詰められた30センチメートルほどの長さの、白っぽい人型のぬいぐるみの様な物、ひとつだけだった。
手でおおざっぱに確認する限りは、人型の中にチァーラの実が入っているような感触はない。カズラはいぶかしげに人型を見ながら、人間の頭に視線を移した。
「これは何だ?」
人間はその質問が聞こえていないように、後ろ手で器用にロクアシの長い毛を撫で、その感触を楽しんでいる。
カズラは小さくため息をつくと、人型をカバンに戻した。他に身分証明書のたぐいも、上陸許可証のたぐいも見当たらない。完全な身元不明者というわけだ。
ロクアシを急がせながらも、兄達が小鳥でも仕留めたのかと茶化す様が目に見えるようだった。
この人間ではなく、先にドゥルフの方を捕らえていれば、まだ格好がついただろうか。カバンの中にチァーラの実がつまっていたのなら話は別だが、数個の実を丸呑みしたというだけでは精々軽い罰金だ。あとは身分を証明できなければ、籍を持つ国に送り返されるだけだろう。
ロクアシの餌代のほうが高つくと、集落の者にも嫌味を言われるかもしれない。幸先が悪いことに、森の湿度が高まってきている。もう暫くすれば、雨が降りだしそうだ。
木々の小枝が顔の横をかすめ、カズラは慣れた様子でそれをよけた。だが、人間は小枝に顔を当てるように、ロクアシの上で体を跳ねさせた。
「!?」
小枝からぶら下がった、小さな実が数個ついた房の影を見て、カズラは人間の肩を引いた。人間が当たりに行ったのは、チァーラの小枝だった。
引っ張られて体を斜めにした人間の口から、事もあろうにチァーラの実の房がはみ出ていた。
「お前っ! また喰ったのか!!」
人間は大きく口を開くと、残りのチァーラの実も房ごと飲み込んだ。言葉を失いながら、カズラは人間の体をロクアシの上で反転させ、対面する形で座らせた。これ以上、実を喰われる訳にはいかなかったからだ。
「さっきから……一体何なんだ、お前は!!」
そう言いながら、カズラは眉間にしわを寄せ、人間をにらんだ。
隠れてチァーラの実を運ぶために、大量にチァーラの実を飲み込んでいたのだろうか。10分で嘔吐毒により吐き戻すと言うのに、その行為に何の意味があるというのか。ましてや、警備中のカズラに実を呑むところを見られているのだ。
「……カーネルシア」
目的が読めないカズラに、人間がそう呟いた。
「カーネルシア?」
人間の言葉を繰り返したカズラの声が、森の静けさに吸われていく。
チァーラの森にいながら、チァーラの実の性質を知らずに呑み込んでいたのだろうか。何にしろ、ロクアシの上で突然吐き戻されるのも面倒だ。長い毛に吐しゃ物がかかれば、洗うのにひと苦労する。
カーネルシアと答えた人間は、座り心地が悪いように体をもぞもぞと動かしており、ロクアシが長い口吻をのばして、不安定な人間の体を気にし始めた。
ドゥルフと人間がいた場所から1キロメートルは離れただろうか。後方からの追跡者の気配も、今のところはない。ここでなら、応援のための連絡を安全にいれられる。その間に人間が呑み込んだチァーラの実も、全て吐き戻されていることだろう。
カズラはそう考えながらロクアシを止めると、近くの木の幹に手綱を縛りつけ、同時に人間の体も縛りつけた。
「カーネルシアか」
どことなく可愛らしい響きだが、名前なのだろうか。盗人と仲良くなる気はなかったものの、これもひとつの礼儀かと考え、カズラは自分の名を小さく口にした。
「俺の名はカズラだ」
「カズラか。いい名だな」
こちらの油断を誘っているのか、自身の置かれた立場が分かっていないのか、カーネルシアがのん気に反応した。
人に名を褒められたのは、これが初めてだった。褒められた事自体、カズラの記憶にはなかったのだが。
害のなさそうな顔をしている奴は信用ならない。
害がありそうな顔をしている奴も信用ならない。
それが、カズラが今まで生きてきて学んだ事だった。




