第1章・2節『麻酔薬』
スリングショットの射程圏内に、不審者の後ろ姿とドゥルフをとらえ、カズラは弾受けに麻酔弾を挟み込んで指をかけた。息を整えながらスリングショットの本体を前にかかげ、弾受けの指を顔の横まで引き絞る。腕の筋肉がしなやかに盛り上がった。
ふと、表皮から視線を感じ、カズラははっとしてチァーラの幹を見た。
今まさしく狙いを定めようとしている相手が、チァーラの表皮の反射でカズラを見ていた。色鮮やかな青紫の瞳が、宝石のように闇の中に浮かんでいる。
一気に顔が青ざめるのを感じ、カズラは引き絞った麻酔弾を即座に放った。ドクバナ蔦の花弁とトバシ茸を利用して作られたその弾は、相手に当たりさえすれば、弾けて麻酔薬が周囲に霧となって飛び散る仕組みになっていた。
「テ゜ッ」
小柄な人間は奇妙な声をあげ、弾に当たった衝撃で小さく体を揺らした。間髪入れずに2発目の麻酔弾を、離れたドゥルフ目掛けて放つ。
スリングショットの発射音と人間の声に気づいたドゥルフだったが、麻酔弾が胸に当たるほうが早かった。
麻酔薬の黄色い濃霧が、人間とドゥルフを急速に包み込む。やがてドゥルフが目を回したように地面へと倒れた。
詰めの甘さと安堵を同時に感じながら、カズラはスリングショットを腰のホルダーに収めた。手袋をはめ、麻酔弾が当たった2人をとらえるために縄を取り出した。人間は、地面に屈むように座り込んでいる。
その者の所々破れている小汚い粗末な外衣が、カズラの紫色の虹彩に映った。洗いもせずに、数年着たおした物だろうか。霧が収まるのを待ち、カズラはゆっくりと人間の背後に近づいた。
「!?」
カズラの瞳孔が大きく広がる。目にした光景が信じられずに、カズラは愕然と口を開けた。
人間は麻痺するどころか、外衣の下から棒のような両腕をのばし、地面に転がっていた数個の小さなチァーラの実を拾い集めていたのだ。
「お前!!」
即座に駆け寄り、人間の右腕をひねり上げて手を止めさせる。しかし、人間は左手に持っていたチァーラの実を、事もあろうかそのまま口に放り込んだ。
「おい! 喰うな!!」
他の警備の者がとらえたチァーラの実の窃盗犯は、今までに何度か見たことはあったが、実を飲み込んで盗もうとした者はいなかった。皮の表面に、致死性ではないものの嘔吐毒があるため、飲み込んだ場合10分もしない内に吐き戻してしまうからだ。
持っていた縄で、人間の細い両腕を後ろで縛りあげると、カズラは立て膝をついて人間の顔をのぞきこんだ。カズラの意に反し、人間は特に反抗もせずカズラの顔を見上げた。
その無表情な顔に不気味さを感じながらも、カズラは出来るだけ声を低めて盗人をとがめた。
「お前、チァーラの実を盗みに来たのか。どうなるか分かっているんだろうな」
人間の肌の露出が少ないことと、風があったことを考えると、麻酔薬は効果がなかったのだろうか。麻酔薬の霧が人間を包み込んでいたのは、確かに目視していた。息を止めていたとしても、肌に少しでも付着すれば効果が出るはずなのだが。
「……」
人間は何も答えず、じっとしたままカズラを隅々まで見ている。珍しい肌色への好奇の目には慣れていたが、それでも、盗人に間近で凝視されるのは居心地がいいものではない。
ひとまず人間を立ち上がらせ、近くの木の幹に体を縛り付けた。これで少なくともドゥルフを縛り上げる間、チァーラの実を喰われることは避けられるだろう。
カズラは続いて、倒れているはずのドゥルフへと目を向けた。しかし、人間の挙動に気を取られていたためか、すでにドゥルフの姿は消えていた。
下草が、重い物を引きずったように倒されている。どうやら、他にいた仲間の手で助け出されてしまった後らしい。
人間のもとに戻り、幹に縛り付けていた縄を解くと、後ろ手の縄を引いてロクアシへと急いだ。ここは一旦、応援を呼んだ方がいい。流石にチァーラの警備ごときで、命を危険にさらす事はしたくなかった。




