第4章・26節『もふもふの礼儀』
「お風呂に入ったのね。でも、まだくちゃいのね」
ポルポが次の料理をテーブルに置きながら、目玉をころころと回した。カーネルシアが両眉を引き上げ、手の甲をくんくんと嗅ぐ。
「カーネルシア、あなたの一番お好きな食べ物は何ですか?」
気を引くためか、ルク・ミィアがカーネルシアに探りを入れる。カズラが忠告する間も無く、カーネルシアがルク・ミィアに即答した。
「レィンドイー」
未だかつて聞いた事の無い単語に、カズラが一瞬困惑する。
カズラはしかし、ルク・ミィアを前に虚勢を張り、当然知っていると言う顔で小さくうなづいた。余裕しゃくしゃくのルク・ミィアを見る限り、よく知られた料理か食材なのだろうか。
狭い村で生活しているカズラには、この小さな世界でさえ見知らぬ物が多い。
皿に乗っているキノコにしても、カズラが食べたことのない物ばかりだ。キノコは地底の名産品であり、ビタミンDを含む重要な食材でもある。他に地下で食べられる物と言えば、地上との交易で手に入れた物か、地底魚、深層で獲れる水棲生物くらいだろう。
何にしても、カーネルシアを食べ物で餌付けしようとする卑劣な手に、負ける訳にはいかない。カズラの中で対抗心が増し、その眼光が剃刀のように鋭くなった。
「カーネルシアに付きまとう『本当の』目的は何だ」
ルク・ミィアが、皿のヒエキノコに突き刺したフォークを止める。薄紫色の目が、カズラの濃い紫色の虹彩をとらえ、瞳孔を大きく広げた。
「私はただ、カーネルシアが心配なんです。私はあなたを疑ってはいませんが、私以外の方はどうでしょう?」
そこで一旦言葉を切り、ヒエキノコのよく焼けた軸を、口へと優雅に運んだ。ケラ茸に比べて味は淡泊だが、しっとりとした舌触りと濃厚で豊かな甘い香りがする。
カズラの存在がそれを味わう余裕を奪っているとでも言うように、ルク・ミィアが再びカズラに冷え切った表情を向けた。
「あなたと一緒にいると、カーネルシアが危険に晒されるかもしれません。営業の仕事をしていて、人を見る目はあると思っています。カーネルシアは無害な方ですが、あなたは……」
ルク・ミィアはそう言うと、首を傾げて肩をすくめた。
カズラは深い渓谷のように眉間を詰め、ルク・ミィアをにらんだ。
「言いたい事があるなら、はっきり言え」
ルク・ミィアが、落ち着き払って微笑を浮かべる。
「今にも私に噛みつきそうですよね。周囲の方々とあなたが対立するだろう事は、簡単に想像できます」
食器の音すら聞こえない中、ポルポが次の料理を抱えて来た。カーネルシアはカズラとルク・ミィアが料理に目もくれずに威圧し合っているため、ポルポから黙って皿を受け取った。他にする事がないのか、料理を丸のみにして空き皿をポルポにさっさと返す。続いてどっしりした袋を服のポケットから取り出すと、ポルポに何かささやき、袋を手渡した。
「俺は人に媚びへつらう事はしない。嫌いだと思った相手なら、尚更だ」
椅子の後ろで、カズラのしっぽの毛がじわじわと逆立ち始める。所々束になっていた、まだ完全に乾いていない毛までがつられて離れていく。
「よろしいんじゃないですか? これからも是非、孤立に勤しんでください。ただ、カーネルシアを巻き込まないで下さいね。迷惑ですから」
ルク・ミィアのしっぽの先も開き、埃を払うように左右に動き出す。
カーネルシアの視線が両者のしっぽを行き来し、唐突に両手がそれぞれのしっぽをつかまえた。
「!?」
カズラとルク・ミィアが驚いて小さく飛び上がる。カーネルシアは手を弱くにぎにぎさせ、口を丸く小さく開けて興奮した声をあげた。
「ニゃ、ニゃんニゃんにょ!!」
あふれんばかりのヒエキノコの炒め物を持ってきたポルポが、テーブルに皿を置きながら2本のしっぽに反応する。
「しゅごいもふもふね」
カーネルシアが手首をぶるぶると動かし、膨らんだしっぽの先をぶんぶんと振り回す。人間には無い繊細でやわらかなアンダーコートの毛が、振られるごとに空気を含み開いていく。
「ニゃんニゃん……しゅごい! もふもふね!!」
カズラとルク・ミィアはしばらく固まり、カーネルシアにされるがままになっていた。やがてカズラが正気に戻り、しっぽを素早く引っ込めた。
「急所をつかむなと言っている!」
ルク・ミィアは苦笑しながら、しっぽの先をくにくにと動かし、カーネルシアの様子を楽しそうに眺めた。
「かぁねるしあったら、まるで子供みたいですねぇ」
その言葉を聞き、カーネルシアの手が止まる。
「にゃんにゃんのしっぽがもふもふになったら、振るのが礼儀だろう? 君たちが子供なんだぞ?」
カーネルシアの物言いに、カズラとルク・ミィアが思わず目を合わせた。カーネルシアは誰も手を付けない山盛りのヒエキノコを再び丸のみし、空の皿をポルポに手渡した。ポルポは目玉をくりくりと動かし、皿とカーネルシアの顔を見た。
「底なしに食べるのね?」
最後の大皿に、こぼれそうなほどのヒエキノコが盛られ、テーブルを覆いつくすように置かれた。カーネルシアは皿の一部を別の椀に入れてもらうと、椀とスプーンを持って部屋に戻って行った。
カズラが椅子を倒しそうな勢いで、カーネルシアを追いかけていく。残されたヒエキノコの山を前に、ルク・ミィアが思わずポルポを呼び止めた。
「あの、私頼みましたか? これ」
それを聞き、ポルポの口の両端が上がる。
「くちゃい人が頼んだのね。代金はもうもらったのね」
ルク・ミィアが飽きるほどのヒエキノコをどうにか平らげ、腹を抱えて部屋に戻った頃には、固く閉ざされた扉だけが残されていた。ルク・ミィアの黒い長鞄もコートも、ご丁寧に外に放り出されている。
ルク・ミィアは長鞄の中から、歯ブラシとして利用していたニューニュー蔦の茎を取り出すと、涼しい顔で洗面台へと向かった。
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部屋に戻っていたカーネルシアは、冷たい寝床の横に座り込んでいた。ヒエキノコの炒め物をラグの口にスプーンで運びながら、声をかけて起こそうとしている。
ルク・ミィアを排除出来たカズラは、満足そうな顔で扉の前に腰を下ろした。ラグが朦朧としながらも、口を開けてヒエキノコを食べ始めた。
カズラはカーネルシアの後ろ姿をじっと見ながら、色々と思い返していた。ルク・ミィアの言う通り、カーネルシアは無害そのものに思えたが、カズラの心には説明できない感情が燻り続けていた。
得体の知れぬ相手だと言うのに、カズラの何かがカーネルシアに引き寄せられていた。カズラがカーネルシアに、そうあって欲しいと願っているのだろうか。
無断でチァーラの森に入り込んでいたとは言え、空腹のカーネルシアを麻酔薬で眠らせてしまった罪悪感が原因なのだろうか。
「ありがとう、カーネルシア……」
半分ほどキノコを食べたラグは、鞄を抱きしめたまま再び眠りに落ちた。カーネルシアはラグの残したキノコを数秒見下ろした後、丸のみにして椀を空けた。
「どうして噛まない。消化に悪いぞ」
カズラにそう言われ、カーネルシアの唇がむにむにと波打つ。歯を小刻みに打ち鳴らす音が漏れ聞こえる。
「今噛んでどうする。全部丸のみしただろ」
薄暗がりの中でカーネルシアの動作が止まり、青紫色の瞳がきょろきょろと動いた。丸のみしているのも、何か意味があるのだろうか。
カズラはそのまま膝を抱えると、今日あった事を全て頭から追い出すように瞼を閉じた。




