第3章・21節『借り』
「ア゜ーサ゜ニ・ア゜ーサ゜ニモ゛。くちゃいのね」
ポルポは呪文のような言葉を並べ、カーネルシアの方を見た。人間とドゥルフが、それを聞いて噴き出す。ラグはカズラからあふれ出る殺気を感じ、大事になる前にポルポに用件を告げた。
「風呂を貸してもらいたいんだ」
世間では、ポルポ便というサービスがよく利用されていた。地上で栽培されているスズモロの種子が好物で、サービスはそれや金を対価としていた。
1度に運べる重さは200キログラムほどで、ポルポに荷物を指定した場所や人へと配達してもらうのだ。
サヘー島では配達できる場所がゴンゾー街周辺と限られていたが、海を隔てた連絡手段として、非常に優れたサービスだった。
そのポルポ便の窓口も兼ねて、バーと休憩所が営まれていたのである。
「風呂は階段の上ね。ひとり1,000エンね」
ラグにそう告げたポルポが、ひげ触手を伸ばしてカウンターの上をこんこんと叩いた。料金は先払いらしい。ラグは鞄の中から財布を出すと、まだ濡れている硬貨を4枚カウンターに置いた。
「体拭きは別ね。貸し出し1枚500エンね」
ぼったくりだ、とカズラは内心思いながら、嫌そうにラグとポルポを見た。カーネルシアが人間観察に飽きたようで、天井の苔玉を食い入るように見ている。口をぱくぱく動かしているが、腹が減ってきているのだろうか。
ラグはコメカミの下をぽりぽりと掻くと、鞄の中から袋を取り出し、ポルポに中を見せた。
「3枚分は、これで支払ってもいいか?」
中にはゴンゾー街で買い付けたスズモロの実が、しっかり湿気って入っていた。
「!? スズモロ持ってたのね!」
物凄い食いつきで、ポルポがスズモロの入っている袋に触手を突っ込み、中から十分だと思われる量の実を別の袋へと移した。
「ちょっと濡れてるのね?」
そう言いながら、ポルポはカウンターの後ろにあった大きな平皿に、受け取ったばかりのスズモロの粒を広げた。
ラグはポルポから体拭きを3枚もらうと、カズラとカーネルシアに1枚ずつ手渡した。
上階にはいくつか部屋があり、風呂と書かれた板の下がった扉が一番奥にあった。
「金は村に帰れたら払う」
カズラが貧相な体拭きを見下ろし、不愛想に呟いた。
「奢りだと言っただろ? その代わり……」
ラグの言葉に、カズラの表情がこわばる。それに続くであろう面倒ごとを避けるため、借りを作らず金を払うと言っているのだ。
「スズモロの実なら、僕があげよう」
カズラの後ろから階段を上がってきたカーネルシアが、そう言いながら自分のカバンを開けた。カズラの記憶が正しければ、そのカバンの中には奇妙な人型がひとつ入っていただけだ。
しかし、それはコワト村に駐在している隊員に抜かれたはずだった。
「え、いや、あ……」
ラグが予想外の申し出に、困惑しながら反応した。カーネルシアはカバンから袋を取り出すと、ラグの手にそれを握らせた。
「どうやってスズモロを手に入れた」
スズモロは人々の主食として利用され、長く品種改良されてきた穀物だ。安いとは言え、金のないカーネルシアが、ゴンゾー街で売られているスズモロの実を買えるとは思えない。
カズラの問いに、カーネルシアは口を閉じたまま唇をむにむにと動かした。
「まさか、盗んだのか?」
カズラに疑いの目を向けられ、カーネルシアが首を横に大きく振った。
「ん゛ん゛。僕は人の物は盗まない」
「嘘をつくな。チァーラの実を飲み込んで盗んだだろ。あれは人の物だ」
そのやり取りを心配そうに見ていたラグだったが、カーネルシアからもらった袋を返そうと、中の実を手のひらに取り出した。ふと、小さな違和感に気づく。
袋もスズモロの実も、全く濡れていないのだ。
「あれは……」
指摘したカズラに対し、カーネルシアの語尾が弱々しく消えた。ラグは袋から顔を上げると、カーネルシアが掛けている灰色のカバンを見た。
太い糸で織られた厚手の古そうな生地だったが、それも完全に乾いている。湖に落ちたことで、若干汚れが取れた瑠璃色のポンチョコートもだ。
カーネルシアに声をかけようと顔を向け、こちらをじっと見ている青紫色の瞳に気づいた。急に背筋が冷え、ラグは言葉を失い固まった。
「あれが、なんだ」
カズラはカーネルシアの視線を追い、怪訝そうにラグを見やった。酷く青ざめ、幽霊に会ったような顔をしている。
「どうしてそんな顔をしている」
カズラの声で我に返ったラグが、挙動不審に目を伏せた。
「いや……」
ラグの薄い黄土色の瞳が、カズラの服も盗み見る。その服も、湿り気無く乾いている様だ。
湖から出て1時間も経っていないのに、いくら少し風があったとは言え、肌寒い地下でずぶ濡れの服が乾くだろうか。自身の腰丈の二重マントを見下ろしたラグは、更に激しく動揺してのけ反った。
二重マントもその下の服も、何から何まで、すべてが完全に乾いていた。
カズラとカーネルシア、そして通路の輪郭が次第にぐにゃりと歪み、ラグは底なしの闇の淵に突然落とされていった。




