第3章・18節『動くカーネルシア』
地上への別の通路を探すため、カーネルシアの腕を取ろうと、視界の隅の影に消し炭色の手を伸ばす。だが、逆に腕をつかまれ、強引に引き寄せられて何かの台に乗り上げた。
「!?」
足元を見ると、レールの上に老朽化した軌道自転車の台座があった。いつの間にかカーネルシアが、後ろにあった転車台の方から引っ張って来たらしい。酷く錆びついている所を見るに、利用されず放置されていた物なのだろう。
ラグがそれに気づいて2人に近寄り、レールに耳をそばだてた。無音を確かめた後、何食わぬ顔で軌道自転車の台座の上に飛び乗る。
「地下での移動手段のひとつだ。この部分に足を乗せて、こいで進むんだ」
軌道自転車には2つの小さなサドルと、ハンドル、ペダルが取り付けられていた。ラグは頼まれもしない内から左側のサドルに乗ると、ペダルに足をかけて実際にこいで見せた。
背が反り返るほどの耳障りな音と共に、軌道自転車がゆっくりと動き出す。台座の上は狭いため身動きが取れず、カズラはしっぽを器用に動かし恐々とバランスを取った。
レールの上を、がたがたと揺れながら自転車が進んでいく。カズラが思わず、前方のハンドルをつかむ。カーネルシアを連れて自転車から降りようにも、不安定すぎて怪我をさせてしまいそうだ。
カーネルシアが意気揚々とした顔で、ラグの隣のサドルに座る。次第に調子が出てきたラグの動きを真似て、回るペダルの上に足を置いた。
それを見てぎょっとしたカズラが、カーネルシアの体を軽々と持ち上げ、サドルを封じるように尻を置いた。
「カズラもこぎたいのか」
台車の真ん中で、カーネルシアが口をへの字に曲げる。ラグのこぐリズムが波に乗り始め、自転車がレールのつなぎ目を通過するたび、通路に大きな音が響く。
その内レールは緩い下り坂へと続き、自転車が次第に速度を上げ始めた。回り続けるペダルが足に当たりそうになり、カズラはブレーキを必死で探した。
自転車があるのは知っていたが、サヘー島ではトゲチラシが生息しているお陰で、高価なタイヤがパンクしやすく、ほとんど利用されていなかった。ゴンゾー街から離れた集落では、さすがに蒸気自動車を使用して出荷していたため、それは実物で見たことがあった。
車ではタイヤの前に、アメーバの原生動物であるマルモチの死肉を装着し、棘を回収して進むのだ。速度は落ちるが、サヘー島ではタイヤを作る工場がないため、苦し紛れの策だった。
尻に酷い振動が伝わり、カズラはロクアシのふかふかした乗り心地が急に恋しくなった。
村から遠ざかるにつれ、カズラの心に期待と不安が入り混じる。
しかし、カーネルシアとコワト村に帰って、どうなると言うのだろうか。騒動の後で一時的でも行方が分からなくなったカズラに待っているのは、やがて糾弾と化す村人達の疑いの目だ。
カズラはいっそ、このまま自分の父や母のように村を出てしまおうかと考えた。兄達を含め、誰ひとりカズラの行方を気にかける者などいないだろう。
幼い頃から森の中に隠れ家を作り、外の世界で生活する事を夢想しながら生きてきた。いつか村を出ていくことだけが、カズラの生きる希望だったと言っても過言ではなかった。今なら独りではない。カーネルシアの身元はさて置き、カズラの見た目に悪態をついてきたり、嫌みや皮肉を言ったりはしていない人間だ。
しかし、現実はそう簡単にはいくまい。
身分証明書の無い者が、グレィマやセルデンサローに上陸できるはずがないのだ。かと言って、じめじめとした地下でミチアキモラと共に生活する事など、全くもって論外だった。
狭い場所はクースフローだからか心地は良かったが、地下という独特の息苦しさは求めていない。同じ湿気っているのなら、チァーラの森の方がずっといい。
肝心なのは均衡だ。解放感と安心感、そのどちらも欠けてはいけない。
そう思いながら、カズラは紫色の髪を大きくかき上げていく風に、ざわついた恐怖を感じ始めた。
(どこまで速度を上げる気だ?)
ラグにそう聞きかけたが、何かのプライドがそれを邪魔し、カズラは言葉をのみ込んだ。足をペダルに置き、回る速度を落とそうとするが、ラグのこぐ力が強いのか、全く歯が立たない。カズラに比べ、そこまで筋力がある様には見えないのだが。
どこにもつかまらずに立ったままのカーネルシアが、奇妙な動きで体をかくかくと左右に揺らしている。まるで、この軌道自転車のスピードを楽しみ、下手なりに踊っているかのようだ。
どう考えても、こんな速度で動かすことを想定しているとは思えない音と振動だ。
地底の遥か下まで吸い込まれるかのように、自転車が轟音を上げてレールの上を走る。
しっぽが風に引き千切られそうなほど尻の後ろでなびき、カズラは顔を歪めて隣を盗み見た。そこには既に足を持ち上げ、卒倒しそうなほどに引きつり、青い顔をしているラグがいた。
右方に曲がったレールの上で、自転車の車輪が火花を散らし、カズラの尻が嫌な浮遊感に包まれる。速度が速すぎて、脱輪しかけているのだ。カズラとラグは必死で体を右に寄せ、浮いた車輪をレールに押し付けようとした。
カーネルシアが、2人とは反対方向に体をかくかくと動かす。
「動くな!!」
カズラの叫び声も空しく、軌道自転車は悲鳴を上げて、3人を乗せたまま左の闇の中へと吹っ飛んでいった。




