第2章・13節『追われる』
見たことのない肌の色に驚きを隠せない青年だったが、駆け寄ってそのクースフローを介抱しようとした。しかし直ぐそばに、もう1人の人間が座り込んでいるのに気づき、青年はぎょっとしてその足を止めた。人間は青紫色の髪と目をしており、走ってきた青年をじっと見上げていた。
青年の声に反応したように、クースフローがゆっくりと動いて起き上がり、頭に手を当てながら周囲を見回した。
「やあ、カズラ」
人間はそうクースフローを呼ぶと、顔に取って張り付けたような笑みを作った。
カズラは今しがた夢から覚めたように、人間と周囲の風景の間で何度となく視線を行き来させた。
「カーネルシア? ……どこだ、ここは」
そばで棒立ちになっている見知らぬミチアキモラに気づき、カズラは怪訝な目を青年に向けた。
「あ……無事ならいいんだ。それじゃあ、俺はここで」
青年は挙動不審に片手をあげ、ゴーグルの位置を直す振りをしながら、気まずそうに藪から出ていこうとした。
「おい! 待て!!」
唐突に広場の方で野太い声があがり、思わず青年が硬直した。治安維持部隊の制服を着た大柄のドゥルフが、数人の小柄な者たちを追いかけ、狭い街路に入ってきていた。
追われていた者たちは、全員灰色のフード付きのクロークを身にまとっており、青年同様黒いゴーグルをかけていた。カズラとカーネルシアが立ち上がった時、街とは反対の方角から低い声が届いた。
「どけ、人の子らよ。邪魔だ」
まばらに生えていた下草の茂みの向こうから、いつの間にか、またしても小柄な男が出てきていた。身長は150センチメートルほどで、カーネルシアより5センチほど低かった。他の者より暗い灰色のクロークを着ており、フードの中にはやはりゴーグルが目を覆っているのが見えた。全員、黒く肉厚でとがった特徴的な爪を持っている。
カーネルシアは目を丸々と開け、無言で男を食い入るように観察しだした。男はしばしカズラを眺めていた様子だったが、やがて思い出したように口を開いた。
「我が姿がそれほど珍しいか? 人の子よ」
「サヘロディ様!」
隊員に追われていた3人の不審者が、男のもとに息を切らせて走ってきた。不審者達はカズラ達の存在に一瞬躊躇したが、直ぐにサヘロディと呼んだ男に付き従い、下草の方へと足を進めた。
「お前たち、後は頼んだぞ!」
男は去り際にカズラ達に向かってそう叫ぶと、嫌な笑みを浮かべ、急にその姿を消した。
駆け寄って下草をのぞき込んでみると、人が入れるほどの深い穴が、地面の枯れ葉の中で口を開けていた。
「お前らも仲間か!!」
つんざくような声をあげ、隊員のドゥルフが藪めがけて突っ込んでくる。街路の奥から、他の隊員たちが走って来ているのが見えた。
「全員捕まえろ!!」
それを見たカーネルシアは、カズラの腕を引っ張ると、下草の穴目掛けてカズラの体を落とした。愕然と事の成り行きを見ていた青年の腕が、ドゥルフの右手に捕らえられる。ドゥルフの隊員は続けて、カーネルシアの外套もつかもうと、たくましい左手を伸ばした。
「えっ!? お、俺!?」
青年の素っ頓狂な声を背に、カーネルシアは素早くタケウツギをしならせると、隊員の顔目掛けて手を離した。タケウツギは見事に隊員の額に命中し、隊員は奇声を発してよろめいた。
カーネルシアは青年の腕を隊員の手から抜き出し、青年も下草の穴に突き落とすと、手をひらひらさせて先に進めと指示した。
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治安維持部隊の新人が、庁舎の3階にある保護委員会の委員長室に駆け込んできたのは、それからしばらく経っての事だった。
秘書であるクースフローのマエルーが、少し眠そうに茶色の縁眼鏡をかけ直し、入ってきたドゥルフの隊員に応対した。
「委員長は会議中です。何か問題でも?」
エメラルド色の短い髪をした少女の隊員は、耳を後ろに向けて呼吸を整え、言葉を選びながら報告し始めた。
「あ、あの、街で窃盗を働いたミチアキモラがいたので、巡視中の隊員が追いかけたんですが」
庁舎の中で異色を放っていたマエルーの存在は、異種のドゥルフであっても胸を躍らせるものだった。
マエルーのすらりとした指が、書類をしなやかにめくり上げる所作にすら心を奪われている者もいる。
マエルーは色付きレンズの奥でガラスのような目を細めると、濁った夕焼け色の細い眉をひそめてドゥルフの隊員を見た。アンダーコートの毛量で膨れ、ごわついている髪から、かすかに酸化した油脂の臭いがし始めている。顔と体格には、まだ幼さが残っているようだ。
ミチアキモラと言えば地下を中心に生活を営んでいる、サヘー島ではあまり見かけない種族だ。
「それで?」
マエルーが低いながらも柔らかな声で続きを促す。しかし、隊員はマエルーから目をそらすと、言い辛そうに顔をしかめた。後ろを向いた耳が、倒れこむように下がっていく。力強く張りのあるしっぽも、今では完全に足に張り付いている。
「その……小さな穴の中に逃げ込まれまして、全員、見失いました」
自身と同じ背丈の隊員を見ながら、マエルーがため息をついた。ドゥルフにしては小柄な方だが、すぐ成長し追い抜かれることだろう。
「それで?」
マエルーは辛抱強くその続きを待った。不審者を取り逃がした程度で、わざわざ委員長に報告しには来ない。
この新人は別件でも失態を犯していたが、それをとがめないマエルーに、隊員が幾分気をゆるめた。
「逃走者の中に、コワト村で行方不明になっているカズラ・シーファーがいた模様です」
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嵐の後だからか、下草の穴の中には強烈に湿った臭いが充満していた。底の横に奥へと続く狭い穴が、不格好に広がっている。四つん這いになれば、大人のクースフローでもどうにか通れる大きさだ。
唐突に穴へと突き落とされたカズラは、事情がまるでのみ込めていなかった。しかし、青年とカーネルシアに急かされる形で、先へと進まざるを得なくなった。
左に弧を描きながら下へと傾斜が続いていたが、やがて平行になり、少しかがめば立って歩ける程度の通路になった。息苦しさを感じはしたものの、それは閉塞感から来るものであり、体に支障は出ていなかった。
時折キノコが生えており、それが通路に酸素を供給していた。地下でよく利用されている、棒茸と呼ばれるキノコだ。20センチメートルほどに伸びた棒茸は、周囲の酸素濃度に反応して非常に弱く黄色に発光していた。腐植土のような臭いを出しており、長居すれば毛に染みつきそうだ。
やがてカズラ達は、小部屋のように広げられた空間に出た。服の土汚れが、棒茸の光に浮かぶ。
「何がどうなっているのか、今すぐ説明してくれ」
中央で立ち止まったカズラが、眉間にしわを寄せて後ろを振り返った。ゴーグルを外して首にかけていた青年も、困惑した表情をカズラとカーネルシアに向けている。
「俺は君達や、さっきの奴らとは何の関係もない。君が倒れていたから、どうしたのかと思って見に行っただけだ」
青年は心細いのか、斜め掛けにした鞄のショルダーベルトを、強く握りしめながら言った。
その顔を見る限り、カズラより幾分若そうだ。ミチアキモラは大雑把な磁場が分かると言うが、あまり頼りになりそうな雰囲気ではない。
「ここはゴンゾー街の地下だ」
この状況に何の動揺もしていない様に、カーネルシアが答えた。




