第2章・12節『ミチアキモラ』
「紫の……猫ですか?」
カーネルシアの言葉を聞いて、ルク・ミィアが言い直した。まだ残っている風が、白い雲の群れを東に追いやっていく。この時期は過ごしやすい気温だったが、小さな嵐が起きやすくもあった。
ルク・ミィアも長鞄を担ぎなおすと、外套についた枯れ草を落とし、大きく腕を回した。
「ん゛ん゛、大きい方のにゃんにゃんだ」
カーネルシアが、首を横に振りながら否定する。どこか誇らしげで、その言葉の発音自体を面白がっているようにも見える。
「もしかして、クースフローの事ですか?」
再びもたもたと歩き出したカーネルシアに、ルク・ミィアが続いた。草原を横切りながら、再び土の道に戻る。暖かで青臭いにおいが、服にまとわりついて立ち上った。
「大人は、にゃんにゃんと言うんだぞ?」
カーネルシアが、子供に言って聞かせるようにゆっくりと答えた。一瞬呆気にとられたルク・ミィアだったが、やがて黄緑色のしっぽの先を楽しそうに左右に揺らした。
「ふふふっ、面白い方ですねぇ。カーネルシアったら」
ルク・ミィアに対して、カーネルシアが意外そうに顔を向ける。
「どうしてだ?」
カーネルシアは本気でクースフローの呼称が、にゃんにゃんだと思っているようだ。どこで間違えて覚えたのだろうか。ルク・ミィアは再び目を丸くして、しかし興味深そうに、カーネルシアの真っすぐな青紫色の瞳を見つめ返した。
ゴンゾー街にたどり着いたのは、午後を回ってからの事だった。ルク・ミィアは離島手続きがある事を理由に、街に入ってしばらくした後カーネルシアと別れていた。
汚れた石畳の街路には、あちこちの村から買い出しに来た者たちや、島に上陸したばかりの人々が歩いていた。
港にはチァーラの実を利用した蒸気機関を用いた、大型の定期輸送船が係留されており、チァーラが詰められた箱の輸出作業をしていた。
ゴンゾー街に着いてから、カーネルシアはずっと何かを探しているように、周囲を見回しながら歩いていた。ルク・ミィアが別れる前に、街まで共に歩いてくれたお礼だと言って、瑠璃色のポンチョコートを買ってくれた。
お陰で、一見しただけでは浮浪者だと思われる事はなかった。鮮やかで瑞々しい青紫色の髪が、海からの風に気持ちよさげに揺れていた。
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【ミチアキモラ】
その名の通り、ミチアキ・ヨコギが自身を土台として、野生動物のモラと遺伝子を掛け合わせて作り出したキメラ種だ。
古い時代の人々が残した文献を読み解くに、モグラという生物に似ていたため、安易にモラと名付けられたらしい。始祖の名にケチを付ける訳ではないが、もう少しひねった種族名は無かったのだろうか。
買い物を終え、鞄をいっぱいにしたミチアキモラの青年は、漠然とそんな事を考えていた。
オールバックにした黄土色の髪。そこに、ミチアキモラの特徴である太いメッシュが、コメカミから後ろに流れるように深紅色で3本入っている。目が光に非常に弱いため、保護のために大きな黒いゴーグルをかけていた。
髪と同じ黄土色のつなぎの上に、焦げ茶色の腰丈の二重マントを着ており、ズボンの裾を、剥げた黒のエンジニアブーツに入れていた。右肩からは、カーキ色の大き目の鞄が斜め掛けされている。
徹夜明けの状態で朝から保護委員会に呼び出され、わざわざ来てみれば、見たことのない繭を分析しろときた。植物学者とは言え、青年の研究対象はチァーラの木なのだ。
繭は、庁舎にあった刃物では全く歯が立たず、ミチアキモラの青年と同じく呼び出された他の学者達も、さじを投げていた。当然、青年も何一つ助言できるものがなく、呆れた顔をした委員会の者たちに、庁舎から追い出されていた。
それからしばらく、折角ゴンゾー街に来たのだからと、他の植物学者と情報を交換したり、眠い目をこすりながらも、買い物をしたりしていたのだった。
各地で出荷されたチァーラの実は、保護委員の検査を受けるまで、港の北にある一時保管庫に置かれていた。認可を受けたものは、すぐ裏の倉庫に運ばれ、東方のグレィマか南方のセルデンサロー行きの定期輸送船に乗せられる手はずだ。
一時保管庫の北には、マルモチをとめておくための広場が設けられていた。マルモチとは、一部の村から出荷箱を運んでくるために利用されている、大型の白いアメーバのような家畜の事である。
既に作業が終わったのか、広場にマルモチの姿はなく、一時保管庫の受付も閉ざされていた。露出した土は、マルモチが腹の下で消化したお陰で、1本の雑草すら生えていない。
広場の端には、休憩のために柱と屋根だけのあずま屋が建てられていた。青年はぶらぶらと広場を横切ると、そこに置いてあった、丸太を切って置いただけの粗末な腰かけに座った。
夕方になり、人通りも少なくなってきている。さすがに気温が下がってきたのか、青年の肺の奥がむずむずと嫌な気配を感じ始めた。16時発のグレィマへの輸送船も、もう出港したことだろう。道の対面には小さな店が並んでいたが、そこも閉店の準備をしている様子だ。
東の路地の奥には、ゴンゾー街の周辺に生えている、高さが4メートルほどのタケウツギの藪が見えていた。文献によれば竹と呼ばれていた植物と、空木と呼ばれていた植物に性質がよく似ていたため、その名がついたらしい。藪からは、かすかな芳香が漂ってきている。
さらに遠くには、クロバシラと呼ばれる黒い構造物が見えていた。まるで植物の鋭く巨大な棘が、地中から空に飛び出したような形状をしている。天に向かう先端は見えず、どれだけの高さがあるのか計測するすべはなかった。
古き時代の人々がサヘー島に来た時から存在しており、今では人が登れる高度にアンテナが取り付けられ、ラジオの電波塔として利用されている。
青年は鞄の中から冊子と紙巻鉛筆を取り出すと、空いたページに思い出せる限りの繭の形状を書き留めた。ふと、タケウツギの藪の中で、何かが動いたような気配を感じた。
丁度5月の花期に入っていたため、長細い葉の間に、可愛らしいピンク色の花々が見えている。鼻をくすぐる香りは、そこから来ているのだろう。その下で、誰かが倒れているのが見えた。
「!!」
青年は座っていた丸太を転がしながら、慌てて街路を走り抜け、タケウツギの藪の中に入っていった。
「大丈夫か!?」
うつ伏せに倒れていた者は、消し炭色とでも言うような暗い肌の色をしていた。紫色の髪と同じ色の耳を持ち、そして尻からは長細いしっぽが生えていた。




