第2章・10節『やさしいにゃんにゃん』
その道は特別保護区であるチァーラの森を迂回する形で、ゴンゾー街へと続いていた。カーネルシアがルク・ミィアと出会ってから、既に3時間は歩き続けてきただろうか。やがてルク・ミィアが足を重そうに引きずり出し、カーネルシアにしばしの休憩を提案してきた。
2人は道をはずれると、遠くに海を見下ろせる、小ぢんまりとした丘の上で一休みする事にした。草のまだ濡れている葉が、ひざ上まで青々とのびている。離れた場所には、どこかの集落の畑も見えた。
島の縁は高い崖になっているため、海岸線を見ることはできなかったが、その向こう側に青い海原が見えている。ルク・ミィアは長鞄を足元に下ろすと、心地よい風に思いきり両腕を伸ばした。
「いい眺めですねぇ、カーネルシアさ……いえ、カーネルシア。海はお好きですか?」
薄紫色の目を細めながら、水平線を見つめてルク・ミィアが聞く。その方角には、約100キロメートルほど先にルク・ミィアの祖国、グレィマがあるのだ。
「食べるものがある森の方が好きだな」
カーネルシアは草の中に腰を下ろすと、カバンを前にして抱え込んだ。左隣にルク・ミィアが座り、荷物から茶色の袋と、皮の水筒を取り出す。
「奇遇ですね、私もですよ。さて、少しお召し上がりになりませんか? 小腹が空いたときのために、保存食を持ってきているんです」
ルク・ミィアは茶色の袋をのぞき込み、スズモロの実の粉で作ったパンと、プリベリーの干した赤い実を手に持った。
主食のひとつであるスズモロは、チァーラの実より大きい粒が鈴なりになる。昔はスズナリ・トウモロコシと呼ばれていた穀物だ。古き時代の人々が食べていたトウモロコシと言う物と味が似ていたことから、この名がついたと言われている。
「水筒にフウセン果汁も入っているんですよ。商談のついでに、コワト村で少しわけていただいたんです」
差し出された物を、カーネルシアが穴の開くように見つめる。コワト村とは、カズラの村の名だ。なかなか受け取らないカーネルシアを見て、ルク・ミィアが苦笑した。
「質素な物ばかりで恐縮ですが……お腹、空いていませんか?」
草の細かでやわらかに広がった穂先が、風に揺られてサラサラと音を立てている。
カーネルシアはルク・ミィアの顔とパンを交互に見たあと、穂先の繊細な動きに視線を移した。
「僕が食べるより、君が食べたほうがいい。おなかが空いているんだろう?」
遠慮しているのか、それほど腹が減っていないのか、カーネルシアの声からは判断できなかった。
ルク・ミィアは首をかしげて、カーネルシアに優しく笑いかけた。
「そう遠慮なさらず、もう少しお肉をつけた方が良いですよ。あなたの体、弱い風にでも飛ばされそうなほど軽そうですから」
海から吹き上げてくる風が、時折ほんのりとした磯の匂いを運んできている。カーネルシアはルク・ミィアの言葉を聞いて、同じように首をかしげて見せた。
しかし続く言葉はなく、何かを考えこんでいるように、カーネルシアの視線がどこか宙を見たまま止まる。
「お気を害されたなら、すみません。出すぎましたか?」
硬そうな平たいパンを見下ろしながら、ルク・ミィアが寂し気につぶやいた。カーネルシアはルク・ミィアに黙って手の平を出すと、目線を地面へと落とした。
何か言いたげではあったが、ひとまずは食べる気になったのだろうか。ルク・ミィアはパンの上に赤いドライプリベリーを数個置いて、カーネルシアの手にのせた。
「君も、やさしいにゃんにゃんだな」
カーネルシアのか細い声が、さまよう風に流されていく。ルク・ミィアはそれを聞き逃したように耳をそばだて、カーネルシアに顔を寄せた。
「私が、何ですか?」
カーネルシアはそれに答える前に、パンとドライプリべリーを全て口に詰め、ぐぎゅぎゅという異音と共に丸呑みした。
ルク・ミィアが瞳孔を丸く広げ、唖然として固まる。数秒した後、はっとした様子で水筒を持ち上げ、カーネルシアに黙ったまま手渡した。
表情のないカーネルシアはそれを機械のようにただ受け取ると、水筒に口をつけて皮の水筒を両手で押し、ずぞっと中身を一気飲みした。
更にルク・ミィアの目が見開かれ、思わず大きく噴き出す。
「ぶふぉっ! ……失礼。豪快ですね」
口元を手の甲でぬぐいながら、ルク・ミィアが笑いをこらえて肩を震わせる。
「不思議ちゃんごっこをされているんですか?」
ルク・ミィアのふかふかのしっぽが、先ほどより膨れているように見える。カーネルシアはそれに気を取られたように、しっぽの動きを目で追い続けた。
ルク・ミィアはカーネルシアに自慢するようにしっぽを動かすと、カラになった水筒をカーネルシアの両手からそっと抜き出した。天候と暖かな気温を考えれば、どこかで飲み物を調達した方がよさそうだ。まだゴンゾーへの道は長い。
「カーネルシアは、どちらに向かわれているんです?」
長鞄に皮の水筒をたたみ入れながら、ルク・ミィアが話題を変えた。風になびく青紫色の髪を気にもとめず、カーネルシアの目が少し申し訳なさそうに伏せられた。
「ごめん。加減をしないで全部飲んでしまった」
表情からは何も読み取れない相手だったが、感情がまったく無いという訳ではなさそうだ。
「大丈夫ですよ。ゴンゾーに着く前に、どこかで飲める物を補充しますから」
外套の上に落ちたパンくずを、ルク・ミィアが手で静かに払った。
営業に対し、初対面から悪意を持つ者はそう多くはない。物珍しさも手伝い、普段以上に話をはずませる相手もいる。そもそも、そう持っていく事が、営業の手腕の見せ所なのだ。
様々な立場の者を見てきたルク・ミィアは、カーネルシアから何も伝わってこないことに、少し不思議な気持ちを抱いた。警戒心もなく、初対面の相手への過度な気遣いも、虚勢を張ったり優位性を誇示することもない。
別の関係への期待や立場そのものへの値踏み、拒絶、分析、思惑、好奇心、無関心、そのどれもが感じられなかった。
カーネルシアから伝わってきたのは、ただ静かな許容だった。
久しく感じてこなかった穏やかさが、ルク・ミィアの心にじんわり浸透してきていた。足の疲れも、幾分かやわらいできている。
「僕も街に向かっているんだ」
ルク・ミィア同様、カーネルシアが自分の服を同じように手で払いながら言った。それを聞いたルク・ミィアは、ほっと一安心したような笑みを見せた。
カーネルシアは立ち上がってカバンをゆっくり抱き上げると、南西にある街の方を向いて目を細めた。ルク・ミィアが、つられてカーネルシアの視線をなぞる。
「紫のにゃんにゃんのために行くんだ」
カーネルシアはそう言うと、ささやかな笑みらしきものを作った。




